佐久間信貞
日本の江戸時代前期~中期の武士
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 寛文12年(1672年) |
死没 | 寛保2年10月2日(1742年10月29日) |
改名 | 信昌(初名)→信貞 |
別名 | 通称:権八郎 |
戒名 | 專翁 |
墓所 | 東京都港区麻布の善学寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 |
父:佐久間信則、母:小倉蔵人娘 養父:佐久間(九平)盛重 |
兄弟 | 信編、男子、信貞 |
妻 | 黒岩新右衛門(松平筑前守家臣)の娘 |
子 |
佐久間信厚室 養子:信厚 |
人物
編集桜田の館において徳川家宣に仕え、小姓組を勤めた。宝永元年(1704年)、家宣の西の丸入りに従い、12月12日に西の丸焼火間番に列せられ、蔵米250俵を賜った。
宝永6年(1709年)10月29日、大番に転任。享保9年(1724年)11月15日にはさらに新番に転任。寛保元年(1741年)3月16日、老齢を理由に新番を辞し、小普請となった。このとき慰労として黄金2枚を賜った。
寛保2年(1742年)10月2日、死去。享年71。