佐久間信編
日本の江戸時代前期~中期の武士。江戸幕府旗本佐久間信則の子で、信則系佐久間氏(信重系佐久間氏分家)2代当主。小姓組・大番を歴任
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 慶安3年(1650年) |
死没 | 宝永4年11月27日(1707年12月20日) |
別名 | 通称:平左衛門 |
戒名 | 日理 |
墓所 | 谷中一乗寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川綱吉→徳松 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間信則、母:小倉蔵人(蒲生飛騨守家臣)娘 |
兄弟 | 信編、男子、信貞 |
妻 | 加藤甚右衛門の娘 |
子 | 信登、信厚、信忠 |
神田の館において将軍任官前の徳川綱吉に仕え、小姓組を勤めた。延宝8年(1680年)、綱吉の子・徳松の西の丸入りに父と共に従う。徳松逝去後は小普請を勤めた。
元禄2年(1689年)閏正月14日桐間番に列したが、2月13日には小普請に戻された。元禄3年(1690年)2月16日、大番となった。元禄10年(1697年)7月11日、家督(蔵米300俵)を継いだ。元禄15年(1702年)11月4日、大番を辞す。
宝永4年(1707年)11月27日、死去。享年58。