企救町

日本の福岡県企救郡にあった町

企救町(きくまち)は、現在の福岡県北九州市東部にあたる、旧企救郡に存在した町。1937年9月1日、当時の小倉市に編入され消滅した。かつての町域は現在の小倉南区北部にあたり、行政の中心的存在である。

きくまち
企救町
廃止日 1937年9月1日
廃止理由 編入合併
企救町小倉市
現在の自治体 北九州市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
企救郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 小倉市、八幡市西谷村曽根町
企救町役場
所在地 福岡県企救郡企救町
座標 北緯33度50分48秒 東経130度53分05秒 / 北緯33.84653度 東経130.88481度 / 33.84653; 130.88481座標: 北緯33度50分48秒 東経130度53分05秒 / 北緯33.84653度 東経130.88481度 / 33.84653; 130.88481
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

歴史

編集

現在の地域としては、城野・北方・守恒・徳力・蒲生・南方、さらに小倉北区今町に相当する。

1907年6月1日、当時の城野村東紫村が合併して「企救村」と改称。これが原型である。翌年の4月1日、西紫村が解体された際、このうちの蒲生と今村(現在の今町)が組み込まれ、村域が確定。1917年10月1日に町制を施行した。

しかし、小倉市に隣接していたことから、軍事都市であった小倉市の郊外地として早くから目をつけられ、町内に大日本帝國陸軍の駐屯地(現在は陸上自衛隊小倉駐屯地)や陸軍病院(現在は国立病院機構小倉医療センター)があったことなどから、町制20周年を目の前にした1937年9月1日、小倉市に編入されて消滅した。これを契機に小倉市はさらに膨張を続け、太平洋戦争の開戦直前には西谷村中谷村までもが編入されている。

町役場はその後小倉市の出先機関となり、規模が縮小されていたが、1974年4月1日、北九州市小倉区が南北に分割された際、小倉南区役所となった。管内の出張所は以下の通り。

  • 東谷村役場 → 小倉市役所東谷出張所 → 小倉区役所東谷出張所 → 小倉南区役所東谷出張所
  • 西谷村役場 → 小倉市役所両谷出張所 → 小倉区役所両谷出張所 → 小倉南区役所両谷出張所
  • 曽根町役場 → 小倉市役所曽根出張所 → 小倉区役所曽根出張所 → 小倉南区役所曽根出張所

また、この南北分割では、旧西紫村今村(現在の今町)が小倉北区に帰属となり、旧西紫村については、蒲生のみが小倉南区帰属ということになった。

行政区域の変遷

編集
  • 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い企救郡に以下の3村が成立。
    • 城野村 ← 城野村・横代村・石田村・隠蓑村・堀越村・蜷田村
    • 東紫村 ← 北方村・守恒村・徳力村・南方村・志井村
    • 西紫村 ← 小熊野村・篠崎村・蒲生村・今村
  • 1907年6月1日 - 城野村東紫村が合併して企救村が成立。
  • 1908年4月1日 - 西紫村の一部、大字蒲生、今を企救村へ編入。西紫村の残部、大字小熊野、篠崎は板櫃村へ編入。
  • 1917年10月1日 - 企救村が町制施行して企救町となる。
  • 1937年9月1日 - 小倉市へ編入され消滅。

関連項目

編集