二子塚古墳 (池田市)
二子塚古墳(ふたごづかこふん)は、大阪府池田市井口堂にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。
二子塚古墳 | |
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墳丘 | |
別名 | 稲荷山古墳[1]/新家稲荷山古墳[2] |
所在地 |
大阪府池田市井口堂1丁目5[3] (井口堂公園内) |
位置 | 北緯34度48分47.40秒 東経135度26分38.95秒 / 北緯34.8131667度 東経135.4441528度座標: 北緯34度48分47.40秒 東経135度26分38.95秒 / 北緯34.8131667度 東経135.4441528度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長45m |
埋葬施設 |
後円部:両袖式横穴式石室 前方部:横穴式石室 |
出土品 | 須恵器[4] |
築造時期 | 6世紀前半 |
史跡 | なし |
地図 |
概要
編集大阪府北部、秦野台地から南に延びる丘陵の南端部に築造された古墳である[1]。現在では墳丘上に稲荷社が祀られている。1914年(大正3年)に梅原末治により学会に紹介されたほか[2]、1986年度(昭和61年度)に発掘調査(第1次調査)が実施されている[3]。
墳形は前方後円形で(かつては双円墳とも[3])、前方部を北東方向に向ける。墳丘長は約45メートルを測る[1]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[1]。埋葬施設は後円部・前方部における各1基の横穴式石室である。後円部石室(南石室)は両袖式で石室全長6.7メートルを測るが、前方部石室(北石室)は埋没しており詳らかでない[1]。また副葬品も詳らかでない[3]。
築造時期は、古墳時代後期前半の6世紀前半[1](または6世紀中葉[2])頃と推定される。猪名川流域では最後の前方後円墳と位置づけられる古墳になる。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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墳頂の稲荷社
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須恵器片
池田市立歴史民俗資料館展示。
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板(池田市教育委員会・公園管理者、2011年設置)
- 地方自治体発行
- 『池田市埋蔵文化財発掘調査概報 1986年度(池田市文化財調査報告書 第5集)』池田市教育委員会、1987年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『新修池田市史 第1巻(地理・考古・古代・中世編)』池田市、1997年。
- 事典類
- 高島徹「二子塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、二子塚古墳 (池田市)に関するカテゴリがあります。