亀山城 (紀伊国)
亀山城(かめやまじょう)は、現在の和歌山県御坊市湯川町丸山にあった日本の城(山城)[1]。日高平野一帯を支配した国人領主・湯河氏(湯川氏)が拠点とした[3]。
亀山城 (和歌山県) | |
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別名 | 丸山城[1] |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 湯河光春(弥太郎) |
築城年 | 正平3年/貞和4年(1348年)頃 |
主な城主 | 湯河氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、土塁[1] |
指定文化財 | 和歌山県指定史跡(亀山城跡)[2] |
位置 | 北緯33度54分39.5秒 東経135度9分16.7秒 / 北緯33.910972度 東経135.154639度座標: 北緯33度54分39.5秒 東経135度9分16.7秒 / 北緯33.910972度 東経135.154639度 |
地図 |
概要
編集日高平野を一望できる[4]亀山の山頂に築かれた城で、標高122m、比高114mに位置する[1]。亀山全体に曲輪が配置された大規模な城であり、亀山の主峰にある主郭の他、南東約250mの小峰とそこから東に200mの尾根先端部に出城があった[5]。また主郭の周囲には階段状に並ぶ小規模な曲輪が多数存在した[5]。
亀山城は、道湯川(和歌山県田辺市[6])から日高地方に進出した湯河氏3代当主・弥太郎光春により築かれたとされ、築城時期は正平3年/貞和4年(1348年)頃と推測されている[7]。亀山城の南東約500mには、天文18年(1549年)頃建てられたとされる湯河氏の居館・小松原土居(小松原館)が位置していた[8]。
天正13年(1585年)3月、羽柴秀吉による紀州攻めへの抵抗を決めた湯河氏当主の直春は、羽柴軍が亀山城に迫ると自ら城を焼き、熊野に落ちていったという[9]。4月には秀吉が「小松原城」(亀山城)を普請したことを示す書状があるが(『武徳編年集成』)、詳細は不明[10]。
脚注
編集- ^ a b c d 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 80.
- ^ a b “亀山城跡”. 御坊市ホームページ. 御坊市役所. 2023年1月30日閲覧。
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, pp. 68, 80.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981b, p. 1477.
- ^ a b 和歌山城郭調査研究会 2019, pp. 80–83.
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 68.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981b, pp. 1475–1477.
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 78.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981a, pp. 496–499.
- ^ 御坊市史編さん委員会 1981a, p. 501.
- ^ 和歌山城郭調査研究会 2019, p. 83.