久保 太郎右衛門(くぼ たろうえもん、延宝4年2月24日(1676年4月7日) - 正徳元年7月22日(1711年9月4日))は、江戸時代前期から中期の治水家[1]。
高松藩領讃岐国阿野郡萱原村の庄屋[2]。宝永3年(1706年)、干害対策に綾川からの導水を計画し、高松藩主に直訴し投獄される[2]。のちに釈放され、翌年の宝永4年(1707年)延長約14kmの萱原用水を完成させ灌漑に成功した[1]。