世良田 満義(せらだ みつよし)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。
上野国新田荘世良田郷領主。新田義貞の鎌倉攻めに従い、稲村ヶ崎にて安東聖秀勢を破る[4]。延元3年/建武5年(1338年)義貞が越前にて戦死すると世良田郷に戻る[4]。
満義は元享3年(1323年)、嘉暦3年(1328年)、元徳2年(1330年)に長楽寺に田地等を寄進している[5]。