上條馨
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上條 馨(かみじょう かおる、大正10年(1921年)3月7日 - 昭和36年(1961年)1月3日)は、山梨県の郷土史家、神職。
略歴
編集山梨県甲府市に御崎神社の宮司を務める上條定久、多津の二男として生まれる。昭和13年(1938年)3月に山梨県立甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)を卒業後、神宮皇學館(現在の皇學館大学)に入学し同校を卒業。山梨県立甲府中学校、山梨県立甲府第一高等学校に勤務し、昭和23年(1948年)には母校である山梨県立甲府第一高等学校の校歌を作詞[注釈 1]、また、父の後を継ぎ御崎神社宮司を務める。その後、病気のため同校教諭を辞職。後に山梨学院大学講師、山梨学院大学附属高等学校教諭となる。39歳で死去。
著作
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 昭和23年(1948年)10月22日に同校講堂で、作曲者の小松清(小松耕輔の弟)、ソプラノ歌手の浅野千鶴、ピアノ伴奏の安倍和子により校歌の発表会が開催されている。なお、甲府中学校時代の校歌は三井甲之が作詞している。
出典
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参考文献
編集- 『甲州風物詩』平成3年(1991年)刊