三河武士のやかた家康館
三河武士のやかた家康館(みかわぶしのやかたいえやすかん)は、愛知県岡崎市康生町にある歴史博物館。
三河武士のやかた家康館 The Iyeyasu And Mikawa Bushi Museum | |
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施設情報 | |
事業主体 | 岡崎市 |
管理運営 | 一般社団法人岡崎パブリックサービス[1] |
開館 | 1982年(昭和57年)11月3日 |
所在地 |
〒444-0052 愛知県岡崎市康生町561番地 (岡崎公園内)[2] |
位置 | 北緯34度57分27.84秒 東経137度9分31.79秒 / 北緯34.9577333度 東経137.1588306度座標: 北緯34度57分27.84秒 東経137度9分31.79秒 / 北緯34.9577333度 東経137.1588306度 |
外部リンク | 三河武士のやかた家康館 |
プロジェクト:GLAM |
沿革・概要
編集概説
編集1977年(昭和52年)8月に創立40周年を迎えたトヨタ自動車が記念事業の一環として岡崎市に5,000万円を寄付。これを基金として岡崎公園内に歴史博物館を建設することが決まり、1979年(昭和54年)6月、岡崎城・家康館建設整備委員会が発足した[3][4]。同年12月1日、名古屋市西区の浦野設計事務所の設計案が6社の案の中から採用された[5]。
1980年(昭和55年)6月17日、家康館の工事は清水建設名古屋支店が4億2,400万円で落札[6][7]。市は全体の事業費のうち、2億5,000万円は寄付金でまかなう計画を立てた。内田喜久市長は6月22日に行われた衆院選に長男を擁立し[8]、公選法違反容疑で逮捕され、6月30日に辞職した[9][10]。7月初旬、内田が、指名競争入札制度をたてに、長年にわたり建設業界と土木業界に対し数千万円という単位の寄付を強要していたことが市議会で明らかにされた[11][12][13][注 1]。8月から9月にかけて多数の業者が贈賄容疑で逮捕された[24][25]。7月時点の寄付金は約1億1,700万円。残額の集金が危ぶまれたが[24][25]、建設工事は同年に開始された[26]。
1982年(昭和57年)11月3日、開館[27][28]。総事業費は約9億5,000万円と言われる[29]。館内は地下1階の常設展示室ほか1階展示室、特別展示室、甲冑試着体験室、映像コーナー、書籍コーナーがある。このうち常設展示室では、徳川家康や家康に仕えた三河武士の人間像、時代の移り変わりなどを展示している[2]。このほか、甲冑着体験室では甲冑の試着や写真撮影ができる。
2006年(平成18年)3月21日にリニューアルオープンした[2]。
2019年(令和元年)10月1日、岡崎城再建から60年目を記念して徳川宗家第18代当主である徳川恒孝が家康館の初代名誉館長に就任した[30]。
どうする家康 岡崎 大河ドラマ館
編集2022年(令和4年)2月16日、市は新年度当初予算案を発表。2023年(令和5年)大河ドラマ『どうする家康』に関連する事業費として総額10億6,797万円を計上した。家康館全体を「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」として整備し約1年間開館するとした[31][32][33]。同年5月12日、市は、大河ドラマ館運営等業務の優先交渉権者を近畿日本ツーリストに決定したと発表した[34]。大河ドラマ館へ向けた施設改修のため、同年8月29日から休館[35]。
同年12月26日、徳川宗家の当主交代に伴い、徳川家広が家康館の2代目名誉館長に就任した[36]。
2023年1月21日、「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」としてリニューアルオープンした。館長には、「信州上田 真田丸 大河ドラマ館」元館長の唐沢信幸が就任した[37]。大河ドラマ館は2024年(令和6年)1月8日に閉館[38]した。その翌日の1月9日から同年3月22日まで休館し展示を改装、3月23日からリニューアルオープンした[39]。
主な収蔵品
編集種別 | 名称 | 制作年 | 備考 |
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重要文化財 | 黒糸威胴丸具足〈鹿角脇立兜・小具足付 /(本多忠勝所用)〉[40] | 桃山時代 | 1977年(昭和52年)6月11日指定 |
市指定文化財 | 亀甲文地銀貼膳[41] | 江戸時代初期 | 1982年(昭和57年)7月26日指定 |
市指定文化財 | 葵紋桐唐草文蒔絵什器[41] | 江戸時代中期 | 1982年(昭和57年)7月26日指定 |
市指定文化財 | 刀 銘薬王寺 主真助 文亀二年八月日[41] | 1502年(文亀2年) | 2001年(平成13年)5月7日指定 |
市指定文化財 | 刀 銘薬王寺 助次[41] | 室町時代 | 2001年(平成13年)5月7日指定 |
ギャラリー
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建物
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正面広場で開かれているグレート家康公「葵」武将隊のイベント
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入口付近
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館内
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『どうする家康』番組紹介コーナー
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『どうする家康』衣装・小道具展示コーナー
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『どうする家康』人物紹介コーナー
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『どうする家康』人物紹介コーナー
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『どうする家康』人物紹介コーナー
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本多忠勝所用の甲冑と鹿角脇立兜
交通アクセス
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 1981年(昭和55年)8月、内田喜久の辞職に伴う市長選が行われ、中根鎭夫が初当選した[14]。中根は市役所と業者の癒着を断ち切るため、1981年(昭和56年)4月、全国にさきがけて、制限付き一般競争入札を導入した。岡崎市が取り入れた同制度は「岡崎方式」と呼ばれ、入札制度改革のロールモデルとして各自治体から注目された[15][16]。
しかし観光関連の公共事業において暗黙の了解で行われる〝寄付の強要〟や〝寄付の割り当て〟はその後も続いている。2019年(令和元年)11月2日、東岡崎駅の北東地区に複合施設「オト リバーサイドテラス」がオープンし、駅と接続するペデストリアンデッキが開通。それとともに、内田康宏市長肝いりの高さ9.5メートルの徳川家康の騎馬像がデッキ上に建てられた[17][18]。騎馬像の総事業費は1億2,204万円[19]。これに対し1億414万円の寄付が集まった(一般寄付:約7000万円、ふるさと納税寄付:約3500万円)。大口寄付者の一覧には市内の土建業者、内田喜久・康宏に関係の深い業者がずらりと並んだ[20][21][22][23]。
出典
編集- ^ “指定管理者管理施設一覧”. 岡崎市. 2016年10月11日閲覧。
- ^ a b c d “三河武士のやかた家康館”. 全国観るなび. 2016年10月11日閲覧。
- ^ “市政だより おかざき No.363” (PDF). 岡崎市役所. p. 3 (1977年11月1日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ “市政だより おかざき No.420” (PDF). 岡崎市役所. p. 7 (1980年3月15日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ 『東海愛知新聞』1979年12月2日、「旧二の丸館ふうの外観 岡崎公園来春着工 家康館の基本設計決まる」。
- ^ 『朝日新聞』1980年8月30日付朝刊、「受注ごと20~500万円 カトウ建設 ワイロ工作の全容」。
- ^ “岡崎市議会 昭和55年6月 定例会 07月04日-14号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1980年6月27日付夕刊、10面、「金権無残・・・国会への夢 強引に息子を擁立」。
- ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (106) 三兄弟 相次ぐ逮捕で断絶へ」 『朝日新聞』1981年4月26日付朝刊、三河版西。
- ^ “市政だより おかざき No.438” (PDF). 岡崎市役所. pp. 8-9 (1980年12月15日). 2020年3月5日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 昭和55年6月 定例会 07月02日-12号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 昭和55年6月 定例会 07月09日-16号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 昭和55年6月 定例会 07月12日-17号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “岡崎の選挙記録 - 岡崎市長選挙”. 岡崎市ホームページ (2023年7月12日). 2023年10月29日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1993年10月23日付朝刊、28面、「地方同根 癒着・ゼネコン・天下り(5) 改革 制度より体質改善急務」。
- ^ “岡崎市議会 昭和56年12月 定例会 12月09日-22号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年8月2日閲覧。
- ^ “若き日の姿再現 徳川家康像完成 名鉄東岡崎駅前 /愛知”. 毎日新聞. (2019年11月3日) 2019年11月3日閲覧。
- ^ “国内最大級の「象徴」登場 名鉄東岡崎駅前に徳川家康銅像”. エフエムEGAO. 東海愛知新聞 (2019年11月3日). 2019年11月3日閲覧。
- ^ “「若き家康公・騎馬像」完成!”. 内田康宏のブログ (2019年11月14日). 2020年8月30日閲覧。
- ^ “徳川家康像 完成とその内訳”. 日本共産党西三河地区委員会 (2019年12月15日). 2020年8月30日閲覧。
- ^ “岡崎市議会 令和元年12月 定例会 12月02日-14号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年8月30日閲覧。
- ^ “政治資金収支報告書 康友会(令和2年分 定期公表)”. 愛知県選挙管理委員会 (2021年11月29日). 2021年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月28日閲覧。
- ^ “政治資金収支報告書 内田やすひろ後援会(令和2年分 定期公表)”. 愛知県選挙管理委員会 (2021年11月29日). 2021年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月28日閲覧。
- ^ a b 『朝日新聞』1980年8月21日付朝刊、19面、「〝親内田〟筆頭の加藤 矢作北中建設工事 疑惑の焦点だった」。
- ^ a b 『中日新聞』1980年9月12日付朝刊、11版、22面、「矢田組社長を逮捕 内田汚職 学校建設入札でワイロ」。
- ^ “岡崎市議会 昭和57年3月 定例会 03月25日-06号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “市のあゆみ”. 岡崎市. 2016年10月11日閲覧。
- ^ 『東海愛知新聞』1982年11月3日。
- ^ “岡崎市議会 昭和57年6月 定例会 06月17日-08号”. 岡崎市 会議録検索システム. 2020年7月23日閲覧。
- ^ “德川恒孝氏が「三河武士のやかた家康館」名誉館長に就任します。”. 岡崎市 (2019年9月25日). 2023年1月16日閲覧。
- ^ “令和4年度当初予算案を発表します。”. 岡崎市ホームぺージ (2022年2月16日). 2022年5月17日閲覧。
- ^ “「どうする家康」大河ドラマ館 年間70万人以上見込む”. エフエムEGAO. 東海愛知新聞 (2022年2月27日). 2022年5月17日閲覧。
- ^ “【2023年1月21日オープン予定】大河ドラマ館の開催期間・料金などの基本情報”. 岡崎市 (2022年8月19日). 2022年8月31日閲覧。
- ^ “(仮称)岡崎市大河ドラマ館運営等業務の優先交渉権者を決定しました。”. 岡崎市ホームぺージ (2022年5月12日). 2022年5月17日閲覧。
- ^ “令和4年度岡崎城と三河武士のやかた家康館のリニューアルのため休館します。”. 岡崎市観光協会公式サイト (2022年). 2022年9月6日閲覧。
- ^ “德川家広氏が「三河武士のやかた家康館」の2代目名誉館長に就任します。”. 岡崎市 (2022年12月19日). 2022年12月22日閲覧。
- ^ 杉山果奈美 (2022年12月20日). “<人もよう> 岡崎の大河ドラマ館館長・唐沢信幸さん(71)”. 中日新聞. 2022年12月21日閲覧。
- ^ https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c59da76479a690a2c54606c5c9fc4605bb4de84d
- ^ https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/ieyasukan/top
- ^ “黒糸威胴丸具足〈鹿角脇立兜・小具足付/(本多忠勝所用)〉”. 国指定文化財等データベース(文化庁). 2017年1月31日閲覧。
- ^ a b c d “岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市. 2017年1月31日閲覧。