三上大和

日本の実業家 (1976-)

三上 大和(みかみ やまと、1976年9月22日 - )は、日本実業家[2]。元タレント[2]、元俳優青森県五所川原市出身。青森県立五所川原農林高等学校農業土木科卒業。元太田プロダクション所属。

みかみ やまと
三上 大和
本名 三上 大和
生年月日 (1976-09-22) 1976年9月22日(48歳)
出生地 日本の旗 日本青森県五所川原市
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマオリジナルビデオ
活動期間 1994年 -
活動内容 1994年:日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「平成口ゲンカ王決定戦」出演
著名な家族 三上誠三(自称:羽柴誠三秀吉)(父)[1]
テンプレートを表示

来歴

編集

1994年日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「平成口ゲンカ王決定戦」に出演し準優勝。その際独特の話し方(津軽弁)、キャラクターのユニークさで[3]注目を集め、他のコーナーにも「素朴なヤンキー」として登場するようになる。

高校卒業後に上京[1]して芸能界入り。1995年に「We Are YAMATO」で歌手デビュー。続くセカンドシングルとしてリリースした「Let's go 女 happy time」、「Break Out!」はオリコンチャートにはランクインせず(圏外)、歌手デビューした結果は不発に終わった。1996年NHKの『家へおいでよ』でドラマ初出演。以降、役者として『サイコメトラーEIJI2』、『傷だらけの女』などドラマ、映画、舞台[1]に出演する。

2000年代半ば以降芸能界は引退し、父が経営していた会社である東北興産建設株式会社代表取締役となっている[2]

人物

編集

家族

編集

エピソード

編集
  • 高校を卒業すると父に何も告げずに上京。距離を置き続けたが役者をしていた20代初めに、劇作家で演出家のつかこうへいが主宰する舞台に出演した際、父が突然劇場に新調した作業着長靴姿で現われたことがある[1]
  • 『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で青森の実家のが取り上げられ、をつけた父が登場している様子が1996年10月6日の最終回でも放送された。また「平成口ゲンカ王決定戦」に出演して以降、人気が出てファンレターが多数送られてきた他、『バレンタイン 三上大和君 応援ありがとう集会』が開催され、多数の女性が会場に殺到した(1995年3月25日1996年10月6日放送分)。

出演

編集

バラエティ

編集

テレビドラマ

編集

映画

編集

オリジナルビデオ

編集

舞台

編集
  • つかこうへいオールスター顔見世興行「新・幕末純情伝」(1998年)

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f 羽柴秀吉氏次男「父は人徳があったと亡くなった後気づいた」” (2015年12月19日). 2022年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c d 「追悼・羽柴誠三秀吉氏」息子が明かした“豪快選挙人生”” (2015年4月29日). 2022年6月22日閲覧。
  3. ^ 「土木」を「どもく」と読む(高校で農業土木科に在籍)、ビートたけしとの初対面では「コマネチを見せてくれとお願いする」と豪語するも結局緊張して何も話せなくなりどもりながらお願いする、ヤンキーを自称している割にお人好しな面など。