ヴォルフガング・ラインホルト
ヴォルフガング・ラインホルト(Wolfgang Reinhold, 1923年4月16日 – 2012年9月2日)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の軍人。1972年から1989年まで、国防次官および国家人民軍航空軍司令官を務めた。
ヴォルフガング・ラインホルト Wolfgang Reinhold | |
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生誕 |
1923年4月16日 ドイツ国 プロイセン自由州 ベルリン フリードリッヒスハーゲン |
死没 |
2012年9月2日(89歳) ドイツ連邦共和国 ブランデンブルク州 バート・ザーロー |
所属組織 |
ドイツ国防軍空軍 (Luftwaffe) 国家人民軍航空軍 (Luftstreitkräfte) |
軍歴 |
1941年-1945年(国防軍) 1952年-1989年(国家人民軍) |
最終階級 | 大将(Generaloberst) |
経歴
編集自動車運転手の息子としてベルリン・フリードリッヒスハーゲン区に生まれる。1938年から1940年まで小売商の修業をする。1940年から1941年まではドレスデン銀行に勤務。第二次世界大戦中の1941年からドイツ空軍に曹長(Feldwebel)として従軍、1945年に赤軍の捕虜となり、1949年に釈放された。
釈放後は旋盤工となる。1950年のドイツ社会主義統一党(SED)入党後、1952年から1954年までコトブス地区の兵営人民警察司令官を務める。再軍備後の1956年から1957年まで、国家人民軍航空軍第3防空師団長。1957年から翌年までソビエト連邦軍事アカデミーで学んだ後、1958年から1965年まで航空軍のさまざまな部署を務める。1963年10月に少将に昇進。1965年から2年間、ソ連軍参謀本部軍事アカデミーで学んだ後、航空軍副司令官に就任した。
ヘルベルト・シャイベ少将の後任として、1972年に航空軍司令官および国防次官に就任。1974年3月に中将、1979年のドイツ民主共和国建国30周年記念日に大将に昇進した。1981年から1989年までSED中央委員会委員を兼任。東欧革命の最中の1989年12月31日、ラインホルト同様20年近く同じ職にあり続けた地上軍司令官ホルスト・シュテッヒバルト大将、政治総局長ホルスト・ブリュンナー大将とともに退役を余儀なくされた。ドイツ再統一後、ベルリンの壁での発砲命令をめぐりベルリン地裁に起訴されたが、証拠不十分により審理停止された。
息子のラルフ・ラインホルト(Ralph Reinhold)は統一後に連邦空軍に入隊し中佐となっていた。しかし1997年9月13日、Tu-154に機長として搭乗中、ナミビア沖でアメリカ軍の輸送機と衝突して墜落、死亡した(1997年ナミビア空中衝突事故)。
参考文献
編集- Klaus Froh, Rüdiger Wenzke: Die Generale und Admirale der NVA. Ein biographisches Handbuch. 4. Auflage. Ch. Links, Berlin 2000, ISBN 3-86153-209-3
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