ヴァシリー・グロスマン
ヴァシリー・セメノヴィチ・グロスマン(ロシア語: Василий Семёнович Гроссман, ウクライナ語: Василь Семенович Гроссман, ラテン文字転写:Vasily Semyonovich Grossman, 1905年12月12日 - 1964年9月14日)は、ソ連の作家、ジャーナリスト。ウクライナ生まれ。
生涯
編集1905年12月12日、ウクライナのベルディーチウ市に生まれる[1]。ヴァシリーが子供の頃に、両親は離婚し、母親と共に2年間スイスで暮らす(第一次世界大戦勃発前)[2]。1918年、故郷に戻り、1923年にモスクワ大学に入学する[2]。1928年に結婚し、1930年1月に娘が生まれる[2]。ヴァシリーの結婚生活はうまく行かず、1935年には、不倫にいそしむようになる[3]。ヴァシリーは1930年に大学を卒業し、スターリノ(ドネツク)で鉱山技師となる[4]。1932年より、作家として小説を発表する[5]。
独ソ戦勃発後、ヴァシリーは、ソ連赤軍に志願し、東部戦線(ソ連側からすると西部戦線)を転々とし、スターリングラード攻防戦にも従軍し、取材ノートをまとめる[6]。ヴァシリーはマイダネク収容所とトレブリンカ強制収容所にも足を踏み入れ、その惨状を取材した[7]。ヴァシリーは、ソ連軍による虐殺行為や集団レイプを記録していた[7]。
戦後になると、ヨシフ・スターリンの反ユダヤ主義が強まる中、著作の検閲を受けるようになり、独ソ戦を題材にした三部作『人生と運命』などは生前に発表される機会を得なかった。1964年に胃癌で死去。58歳没。
著作
編集脚注
編集参考文献
編集- アントニー・ビーヴァー,リューバ・ヴィノグラードヴァ 著、川上洸 訳『赤軍記者グロースマン : 独ソ戦取材ノート1941-45』白水社、2024年7月。ISBN 978-4-560-09118-0。