ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1712-1773)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、オランダ語: Louis van Beethoven〈ルイス・ヴァン・ベートホーヴェン〉、1712年1月5日頃- 1773年12月24日)は、フランドル出身の声楽家、鍵盤楽器奏者[1]。音楽史史上極めて重要な音楽家とされる同姓同名[1][2]の孫、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの祖父として知られる。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven | |
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Amelius Radouxによる肖像画 | |
基本情報 | |
生誕 |
1712年1月5日頃 スペイン領ネーデルラント、メヘレン |
死没 |
1773年12月24日(61歳没) ドイツ国民の神聖ローマ帝国 ケルン大司教領、ボン |
職業 |
声楽家 宮廷楽長 |
担当楽器 | 声楽(バス) |
生涯
編集ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、1712年にフランドル地方のメヘレンのパン屋の息子として生まれる[3]。洗礼名はLudovicusであり、その他Lodewyk, Lodewyck, Lodewijck, Lodewijk, Louis, Ludwigなど様々な表記がある。1732年には、リエージュの聖ランベール教会のバス歌手となり、1733年3月頃にはケルン大司教および選帝侯であったクレメンス・アウグストの宮廷楽団のバス歌手としてボンに移る[3]。1733年9月7日には、マリア・ヨゼファ・ポールと結婚し、3人の子供を産んでいる[3]。この中で唯一成人したのが第3子のヨハンで、後に大作曲家となるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの父である[3]。妻のマリアはアルコール中毒患者であり、隔離された修道院に入れられていた[1]。
1761年には、次代の選帝侯マクシミリアン・フリードリヒ・フォン・ケーニヒゼック=ローテンフェルスによって宮廷楽長に任命されている[3]。この頃から、彼は宮廷の歌手たちを指導し率いていく立場になっていった[3][1]。彼は同時代の人々から尊敬されており、フランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーは彼を「背が低いが、筋骨がたくましく、きわめて生き生きとした目をしていて(中略)芸術家として大いに尊敬された男。[1]」と述べている[注釈 1]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 平野昭『ベートーヴェン』新潮社〈カラー版作曲家の生涯〉、1985年。ISBN 978-4-10-144001-9。
- ルイス・ロックウッド『ベートーヴェン 音楽と生涯』土本英三郎・藤本一子[監訳]、沼口隆・堀朋平[訳]、春秋社、2010年11月30日。ISBN 978-4-393-93170-7。