ラピテース族
ラピテース族(ラピテースぞく、古希: Λαπίθης, Lapithēs)は、ギリシア神話に登場するテッサリアー地方の半神話的民族である。複数形はラピタイ(古希: Λαπίθαι, Lapithai)。長母音を省略してラピテス族とも。英語ではラピタ(英: Lapith)。
ラピテース[注 1]の子孫とされ、ゼウスの妻の女神ヘーラーを誘惑しようとしたためにゼウスの怒りを受けたイクシーオーンや、結婚式のさいにケンタウロス達と闘ったペイリトオスといった人物が有名。
概要
編集ラピテース族は河神ペーネイオスを祖とする部族で、主にペーネイオス河流域に広がるテッサリアー平原と、オッサ山、ペーリオン山の山岳部一帯に住んでいた[1]。普通はギリシア人の一分派と考えられている。彼らは野蛮なケンタウロス族の敵対者で、武勇にすぐれ、「槍をふるうラピタイ族」などとうたわれている[2]。
ラピテース族はイクシーオーン、プレギュアース、ペイリトオス、カイネウス、ポリュペーモスといった英雄を輩出しているが、彼らはしばしば向う見ずで、敬神に篤いとは言えないところがあり、特にイクシーオーンとプレギュアースは神に対する冒涜的行為のために冥府で罰を受けているとされる。
ラピテース族の最も有名なエピソードはペイリトオスの結婚式の際に起きたケンタウロス族との戦いである。このエピソードは古来より芸術のモチーフとしても好まれ、中でもアテーナイのパルテノン神殿メトープの彫刻群は有名であり、ルネサンス期以降もしばしば西洋絵画の画題となっている。
系譜伝承
編集神話によると、河神ペーネイオスとクレウーサとの間にヒュプセウスとスティルベーが生まれ、スティルベーとアポローンの間に2子ラピテースとケンタウロスが生まれた[3]。このうちラピテースがペーネイオス河畔に住み着いて王となった。この地の住人をラピテース族と呼ぶのはラピテースに由来する。
ラピテースの2子ポルバースとペリパースはともにラピテース族の王となったが、ポルバースは招かれてエーリス地方に行き[4]、彼に伝説的なエーリス王アウゲイアースとアクトールが生まれた[注 2]。一方、テッサリアー地方に残ったペリパースには8子が生まれ、さらに長男のアンティオーンはペリメーレー(アミュターオーンの娘)との間にイクシーオーンをもうけた。このイクシーオーンにペイリトオスと[5]ケンタウロス族が生まれた[6]。
ガイア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ペーネイオス | クレウーサ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヒュプセウス | クリダノペー | ダプネー | スティルベー | アポローン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
キューレーネー | アポローン | ラピテース | ケンタウロス | アイネウス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テミストー | アリスタイオス | アステュアギュイア | ペリパース | トリオパース | ポルバース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レウコーン | スコイネウス | アクタイオーン | アンティオーン | ペリメーレー | アウゲイアース | アクトール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンドレウス | エウイッペー | アタランテー | アタマース | ネペレー | イクシーオーン | ディアー | ゼウス | アガステネース | モリオネ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エテオクレース | ケーピソス | プリクソス | ヘレー | ケンタウロス族 | ペイリトオス | ヒッポダメイア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ポリュポイテース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
文化
編集勢力範囲
編集ホメーロス
編集ホメーロスは『イーリアス』第2巻の軍船リストにおいて、ポリュポイテース王(ペイリトオスの息子)がアルギッサ(アルグラ、現アギア・ソフィア)、ギュルトーネー(ギュルトーン、現バクレナ)、オルテー(現ツァリツアニ、 en)、エーローネー(現カラッツォリ)、白亜のオロオッソーン(現エラソナ、 en)の軍勢を率いたこと、彼の父ペイリトオスがケンタウロス族をペーリオン山からアイティケスに追い払ったこと、カイネウスの孫レオンテウスも戦争に参加したことを述べている[8]。
ホメーロスの挙げる都市のうち、アルギッサ、ギュルトーネー、エーローネーはペーネイオス河中流域の都市で、オルテー、オロオッソーンはエーローネーのさらに北、オリュンポス山麓のエウローポス河流域の都市である。
ストラボーン
編集ストラボーンによると、テッサリアー平原は元来ペライボイ族の土地だったが、イクシーオーンとペイリトオスが進出し、彼らをペーネイオス河の内陸部に追い払った。さらにペイリトオスはペーリオン山からケンタウロス族を駆逐した。ペライボイ族の多くはピンドス山脈やアタマニア、ドロピア地方の山地に移動したが、全てのペライボイ族が平原から追い出されたわけではなく、北部のオリュンポス山周辺はペライボイ族の領域であり、両部族が混在している地域もあった。またラーリッサは依然としてペライボイ族が領有し、平原で最も豊かな土地を支配した[9]。
ただし、この2つの部族が居住する地域を厳密に区別することは困難で、ロドスのアポローニオスはラピテース族の英雄ポリュペーモスの出身地をラーリッサとしているし[10]、ストラボーンもシモーニデースがテッサリアー地方の住人を「ペライボイとラピタイ」と呼んだことを挙げている。なお、ストラボーンはラピテース族の領域をギュルトーン、ペーネイオス河口、オッサ山、ペーリオン山、デメトリアス(en)、平原部のラーリッサと、クランノン(現クランノナス, en)、スコトゥッサ(現パリオカストロ)、モプシオン(現マクリホリ, en)、アトラクス(現アレファカ)、ネッソニス湖、ボイベイス湖(現ヴィヴィイス湖)周辺地域としている[1]。
神話
編集イクシーオーンの伝説
編集伝説によると、イクシーオーンは、その舅を殺したり、ゼウスの妻のヘーラーを誘惑しようとし、ゼウスの送った雲で出来た贋のヘーラーとの間に、ケンタウロスが生まれたとされる。最後には、雷で殺され、永遠に回転する「地獄の火車」にヘビで縛られた。
ケンタウロスとの戦い(ケンタウロマキアー)
編集神話によるとラピテース族はケンタウロスと仲が悪かった。この対立関係はすでに『イーリアス』で語られており、老将ネストールはラピテース族の王ペイリトオスやドリュアース、エクサディオス、カイネウス、ポリュペーモス、さらにアテーナイの王テーセウスとともに戦ったことを同寮の将軍たちに話している[11]。また第2巻の軍船表ではペイリトオスの子ポリュポイテースは父がペーリオン山からケンタウロスを追い出した日に誕生したと語られている[12]。アクーシラーオスも不死身の英雄カイネウスがケンタウロスと頻繁に戦ったと伝えている[13]。
オウィディウスの『変身物語』によると、この戦いはペイリトオスの結婚式の日に起きた。彼はテーセウスとは親友で、一緒に冒険や探検をする仲であった。そのためペイリトオスは美しいヒッポダメイアと結婚したとき、両家の親族やテーセウス、またケンタウロスなどの他のテッサリアーの住民を招待した。しかし婚礼の途中、好色なケンタウロスたちはワインに酔って、他の女達や若い男たちをさらおうとした。中でもエウリュトス(エウリュティオーンとも)はケンタウロスの中でも荒っぽい性格で、酒に酔って花嫁のヒッポダメイアを誘拐しようとした。そのため会場は大混乱となり、ケンタウロスから女たちを守ろうとするラピテース族は、他の地方から出席した英雄たちの力も借りてケンタウロスと戦った。オウィディウスはこの戦いを詳細に語っている。テーセウスは酒甕をエウリュトスの頭に投げつけて倒し、ビアノールの背に飛び乗って棍棒で打ち殺した。ペイリトオスは樫の木を引き抜こうとしているペトライオス、あるいはリュコス、クロミス、ペロプスを投槍で倒した。またペイリトオスに追われたディクテュスは崖から転落してトネリコの樹に胴を刺し貫かれた。エクサディオスは鹿の角でグリューネウスの両目をえぐった。ドリュアースは焼けた杭でロイトスを追い払ったのをはじめ、多くのケンタウロスを殺した。アキレウスの父ペーレウスはデーモレオーンを槍で討った。ペリパースはピュライトスを、アムピュコスはエケクロスを、マカレウスはエリグドゥボスを、予言者モプソスはホディテースを打った。不幸にも不死身のカイネウスはケンタウロスに木で生き埋めにされた末に鳥となったが、この戦いでラピテース族はケンタウロスの多くを討ち、あるいはテッサリアー地方から追放した[14]。
- ラピテース族の戦士リスト
- 以下は『イーリアス』1巻(Il)、『ヘーラクレースの楯』(SH)、『変身物語』(Ov、戦死者除く)による。
50音順 名前 綴り(el) 綴り(la) Il SH Ov
1 アムピュコス Ampyx ○ 2 エクサディオス Εξάδιος Exadios ○ ○ ○ 3 カイネウス Καινεύς Kaineus ○ ○ ○ 4 ドリュアース Δρύας Dryās ○ ○ ○ 5 パレーロス Φάληρος Phalēros ○ 6 プロロコス Πρόλοχος prolochos ○ 7 ペイリトオス Πειρίθοος Peirithoos ○ ○ ○ 8 ペリパース Περίφας Periphās ○ 9 ホプレウス ´Οπλεος Hopleus ○ 10 ポリュペーモス Πολύφημος Polyphēmos ○ 11 ポルバース Φόρβας Phorbās ○ 12 マカレウス Μακαρεύς Makareus ○ 13 モプソス Μόψος Mopsus ○ ○
アルゴー船の冒険
編集何人かのラピテース族はアルゴー船の冒険に参加した(下記リストはラピテース族の参加者)。文献によってはペイリトオスを加えているが、ロドスのアポローニオス『アルゴナウティカ』ではペイリトオスはテーセウスとともに冥府に捕えわれていたために不参加とされる[15]。アポロドーロスはカイネウスの名前を挙げているが、一般的なカイネウスの系譜伝承と一致していない[16](ヒュギーヌスのリストに、同様の系譜伝承を備えた別人のカイネウスがおり、クレーテー人となっている[17])。対してロドスのアポローニオスはカイネウスの息子コローノスを挙げており[18]、さらにヒュギーヌスはコローノスに加えて、ポーコス、プリアーソスの名前も挙げている[17]。
芸術作品
編集- 絵画作品
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ピーテル・パウル・ルーベンス『ヒッポダメイアの誘拐』(1637年-1638年頃) ベルギー王立美術館所蔵
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セバスティアーノ・リッチ『ラピテス族とケンタウロスの戦い』(1705年頃)ハイ美術館所蔵
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ルカ・ジョルダーノ『ラピテス族とケンタウロスの戦い』(1688年頃)エルミタージュ美術館所蔵
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フランチェスコ・ソリメーナ『ラピテス族とケンタウロスの戦い』(1735年-1740年)個人蔵
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b ストラボン、9巻5・20。
- ^ 『イーリアス』12巻128行。
- ^ シケリアのディオドロス、4巻69・1。
- ^ シケリアのディオドロス、4巻69・2。
- ^ シケリアのディオドロス、4巻69・3。
- ^ シケリアのディオドロス、4巻69・5。
- ^ ウェルギリウス『農耕詩』3巻115行−117行。
- ^ 『イーリアス』2巻738−747行。
- ^ ストラボン、9巻5・19。
- ^ ロドスのアポローニオス『アルゴナウタイ』1巻40行。
- ^ 『イーリアス』1巻263行以下。
- ^ 『イーリアス』2巻740行。
- ^ アクーシラーオス断片(オクシュリュンコス・パピルス)
- ^ オウィディウス『変身物語』12巻。
- ^ ロドスのアポローニオス、1巻101-104。
- ^ アポロードロス、1巻9・16。
- ^ a b ヒュギーヌス、14。
- ^ ロドスのアポローニオス、1巻57-58。
- ^ ロドスのアポローニオス、1巻1177-1283。
- ^ ロドスのアポローニオス、1巻1321-1323。
- ^ ロドスのアポローニオス、1巻1345-1347。
参考文献
編集一次資料
編集- アポロドーロス『ギリシア神話』高津春繁訳、岩波文庫(1953年)
- ウェルギリウス『牧歌・農耕詩』河津千代訳、未來社(1981年)
- オウィディウス『変身物語(下)』中村善也訳、岩波文庫(1984年)
- 『オデュッセイア / アルゴナウティカ』松平千秋・岡道男訳、講談社(1982年)
- ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年)
- 『ソクラテス以前哲学者断片集 第1分冊』「アクゥシラオス」丸橋裕訳、岩波書店(1996年)
- ディオドロス『神代地誌』飯尾都人訳、龍溪書舎(1999年)
- ヒュギーヌス『ギリシャ神話集』松田治・青山照男訳、講談社学術文庫(2005年)
- ホメロス『イリアス(上)』松平千秋訳、岩波文庫(1992年)
二次資料
編集- 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』岩波書店(1960年)