ヨハン・ルートヴィヒ・アベルリ
ヨハン・ルートヴィヒ・アベルリ(Johann Ludwig Aberli、1723年11月14日 - 1786年10月17日)はスイスの画家、版画家である。ベルンで版画工房を開き、風景版画などを出版した。
ヨハン・ルートヴィヒ・アベルリ Johann Ludwig Aberli | |
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Jakob Emanuel Handmannによる肖像画 | |
生誕 |
1723年11月14日 スイス、ヴィンタートゥール |
死没 |
1786年10月17日 (62歳没) スイス、ベルン |
略歴
編集スイス・チューリヒ州のヴィンタートゥールの貧しい守衛の息子に生まれた。短期間の学校生活の後、ハインリヒ・マイヤーという地元の風景画家の弟子なった。マイヤーのとりなしによって、18歳になった1741年に、アベルリはベルンにあるヨハン・グリム(Johann Grimm: 1675-1747)の経営する絵画学校に入学できた。美術学校で学びながら肖像画や装飾画を描く仕事もした。
1740年代は画家のブリックマン(Philipp Hieronymus Brinckmann: 1709-1760)とベルナー・オーバーラントなどを旅しって風景画を描いた。1747年に結婚し 娘が生まれたが早逝した。1747年にヨハン・グリムが亡くなった後、彼の美術学校の運営を引き継いだ。美術学校の生徒とレマン湖やビール湖、ヌシャテル湖に写生旅行した。
1750年代に入ると、自らのスタジオと出版会社を作り、自分の版画作品の出版を始めた。弟子に版画を教え、アドリアン・ツィング(1734-1816)を版画家として雇った。アベルリが育てた版画家にはサミュエル・ヒエロニムス・グリム(Samuel Hieronymus Grimm: 1733-1794)がいる。1759年に2人の弟子とパリに出て、7週間滞在し、パリの美術品を鑑賞し、パリで人気のあった版画家のヨハン・ゲオルク・ヴィレ(1715-1808)の仕事を知った。
パリから戻ると、ベルンに版画や美術品の販売店を開き成功し、美術品コレクションを構築し、多くの美術家や文学者、学者らと交際するようになった。学者のアルブレヒト・フォン・ハラーやヨハン・ヤーコプ・ボードマー、ヨハン・ブライティンガー(Johann Jakob Breitinger)らとも交流した。
多色版画の新しい技法も開発した。1779年に、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがスイスへの2度目の旅をした時、ゲーテはアベルリを訪ねた。
ベルンで62歳で亡くなった。アベルリの事業は、助手を務めた画家のハインリッヒ・リーター(Heinrich Rieter: 1751-1818)が引き継いだ。
作品
編集-
建築家 Erasmus Ritter の肖像画
Burgerbibliothek Bern -
ベルンの農民
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グリンデルヴァルトの風景
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シュタウブバッハの滝 (1768)
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スイスの家(水彩画)
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スイスの湖V(水彩画)
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ヴィンミスの風景 (多色版画)
参考文献
編集- Frédéric-Charles Lonchamp: J.-L. Aberli (1723–1786). Son temps, sa vie et son oeuvre avec un catalogue complet, méthodique et raisonné a) de son oeuvre gravé; b) de l'oeuvre gravé de ses interprétateurs; c) de ses peintures et de ses dessins (crayons, aquarelles, esquisses, etc.), Paris 1927.
- Wilhelm Adolf Schmidt: Aberli, Johann Ludwig. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 1, Duncker & Humblot, Leipzig 1875, S. 20.
- Tobias Pfeifer-Helke: Aberli, Johann Ludwig. In: Sikart