ユーヌス・カーヌーニー
ムハンマド・ユーヌス・カーヌーニー[1](محمد یونس قانونی[2]、英:Yunus Qanuni、1957年 - )は、アフガニスタンの政治家。同国第一副大統領、人民議会議長、内務大臣を歴任。新アフガニスタン党党首。
ムハンマド・ユーヌス・カーヌーニー محمد یونس قانونی | |
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ユーヌス・カーヌーニー(2009年) | |
生年月日 | 1957年(66 - 67歳) |
出生地 | パンジシール州 |
出身校 | カーブル大学 |
所属政党 | 新アフガニスタン党 |
公式サイト | پايگاه اطلاعرساني قانوني |
在任期間 | 2005年12月 - 2011年 |
大統領 | ハーミド・カルザイ |
在任期間 | 2014年3月 - 2014年9月 |
大統領 | ハーミド・カルザイ |
経歴
編集貴族学校「アブ=ハニファ」(1978年)、カーブル大学神学部を卒業。
1992年から1995年、アフガニスタン・イスラム国の政治局長、国防次官(国防相はアフマド・シャー・マスード)。1995年~2001年、北部同盟の内務相。
2001年11月、ボンで開かれたターリバーン後のアフガニスタンに関する会議において、北部同盟代表団の団長を務める。この会議で、ユーヌス・カーヌーニーは、内務大臣になるものとされた。
2001年12月、ハーミド・カルザイ暫定政権の内務大臣として正式に承認。2002年5月1日、移行政権の中等教育相に任命(6月19日にロヤ・ジルガにより承認)。2002年6月末から、閣僚級の安全保障担当大統領特別顧問。
2004年の大統領選挙では、カルザイの対抗馬となり、16.3%を得票し2位であった。2004年12月、野党「新アフガニスタン党」結成を発表し、2005年3月、12の野党を統合する政治連合「アフガニスタン国民理解戦線」を率いた。
2005年から人民議会議員。同年12月21日から人民議会議長。
2014年3月、死去したムハンマド・ファヒームの後任として第一副大統領に指名され就任、半年間のみ務めた。
パーソナル
編集脚注
編集- ^ “アフガニスタン・イスラーム移行政権閣僚”. アジア経済研究所. オリジナルの2013年1月21日時点におけるアーカイブ。 2012年11月10日閲覧。
- ^ “محمد یونس قانونی”. روند سبز افغانستان 2012年11月25日閲覧。
外部リンク
編集- پايگاه اطلاعرساني قانوني - 公式サイト
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