ヤロスラフ・シルハヴィー
ヤロスラフ・シルハヴィー(Jaroslav Šilhavý,チェコ語発音: [ˈjaroslaf ˈʃɪlhaviː]、1961年11月3日 - )は、チェコ (旧チェコスロバキア)・プルゼニ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。元チェコスロバキア代表。2024年よりオマーン代表監督を務める。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2019年のシルハヴィー | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Jaroslav Šilhavý | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | チェコ | |||||
生年月日 | 1961年11月3日(63歳) | |||||
出身地 | プルゼニ | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1967-1975 | TJホテショフ | |||||
1975-1978 | ČSADプルゼニ | |||||
1978-1979 | シュコダ・プルゼニ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1980 | シュコダ・プルゼニ | 8 | (0) | |||
1980-1990 | RHヘプ | 243 | (9) | |||
1990-1994 | スラヴィア・プラハ | 83 | (3) | |||
1994-1997 | ドルノヴィツェ | 69 | (8) | |||
1997-1999 | ヴィクトリア・ジシュコフ | 62 | (5) | |||
通算 | 465 | (25) | ||||
代表歴 | ||||||
1980-1988 | チェコスロバキア U-21 | 18 | (0) | |||
1990-1991 | チェコスロバキア | 4 | (0) | |||
1992 | チェコスロバキア B | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2005-2007 | スパルタ・プラハB | |||||
2007-2008 | クラドノ | |||||
2008 | ヴィクトリア・プルゼニ | |||||
2001-2009 | チェコ (アシスタント) | |||||
2009-2011 | ディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ | |||||
2011-2014 | スロヴァン・リベレツ | |||||
2014-2015 | バウミト・ヤブロネツ | |||||
2016 | ドゥクラ・プラハ | |||||
2016-2017 | スラヴィア・プラハ | |||||
2018-2023 | チェコ | |||||
2024- | オマーン | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
選手経歴
編集クラブ
編集現役時代は、主にディフェンダーとしてプレーした。1979-80シーズンのチェコスロバキア1部リーグにて、TJシュコダ・プルゼニの選手としてキャリアをスタートさせ、1980-81シーズンから同じく1部リーグ所属のRHヘプへと移籍。同クラブで約10シーズンをプレーし、1989-90シーズンの冬にSKスラヴィア・プラハへと移籍した。
スラヴィア・プラハでは、1992-93シーズンにリーグ準優勝を経験するなど、充実したシーズンを送っていたが、1993-94シーズン終了後にクラブを退団してペトラ・ドルノヴィツェでキャリアを継続させることを選択した。ドルノヴィツェに3シーズン所属した後、首都プラハをホームタウンとするクラブであるFKヴィクトリア・ジシュコフに加入。キャプテンとして2シーズンの間クラブをまとめ[1]、1998年にはチェコ1部リーグの年間MVPに選出された[2]。
代表
編集U-21チェコスロバキア代表として8年もの間招集され、後年にはオーバーエイジ枠での出場もあった。
1990年8月29日、フィンランド代表との親善試合にてチェコスロバキア代表での初キャップを刻んだ。しかし、同代表ではメジャー大会への出場は叶わず、代表4試合目となった1991年3月27日のポーランド代表戦が代表ラストマッチとなった。
指導者経歴
編集現役引退後、いくつかの国内クラブでアシスタントコーチを務め、2001年からはチェコ代表にて智将カレル・ブリュックナー監督の右腕としてUEFA EURO 2004や2006 FIFAワールドカップ、UEFA EURO 2008といった大舞台を経験した[3]。
経験を積んだ2007年、チェコ1部リーグのSKクラドノの監督に就任した[4]。クラブをなんとかリーグ14位で残留に導いたが、1シーズンで契約満了となった。
2011年6月、FCスロヴァン・リベレツの監督に就任[5]。2011-12シーズン、国内の強豪クラブを抑えてチェコ1部リーグ優勝を果たし、2013-14シーズンにはUEFAヨーロッパリーグでクラブをベスト32に導いた。
2018年9月18日、チェコサッカー協会よりチェコ代表の監督に就任することが発表された[6]。UEFA EURO 2020予選を勝ち抜き、迎えたUEFA EURO 2020では、グループステージを3位で突破[7]。ベスト16ではオランダ代表と対戦したが、52分のオランダ代表DFマタイス・デ・リフトの一発退場もあって、2-0で勝利を収めた。しかし、ベスト8でデンマーク代表の前に敗れ、大会敗退が決定した。
人物
編集- 2018年から指揮を執ったチェコ代表では、チームにハードワークとハイプレスをベースにした戦術を落とし込み、UEFA EURO 2020で大会ベスト8の成績を残した[9]。
出典
編集- ^ “Na Žižkově vystřídá Uličného Ščasný” (チェコ語). Mladá fronta DNES (27 September 1999). 13 November 2012閲覧。
- ^ Historie ankety Fotbalista roku - ČMFS website
- ^ “U Chovance jsem býval malý Brückner, vzpomíná liberecký trenér Šilhavý” (チェコ語). Mladá fronta DNES (2011年9月21日). 2022年8月11日閲覧。
- ^ “Šilhavý podepsal v Kladně roční smlouvu s opcí” (チェコ語). Mladá fronta DNES (2007年6月7日). 2022年8月11日閲覧。
- ^ “Liberec našel náhradu za trenéra Radu: ambiciózní tým povede Šilhavý” (チェコ語). Mladá fronta DNES (2011年6月6日). 2022年8月11日閲覧。
- ^ “Jaroslav Šilhavý neuer tschechischer Nationaltrainer” (2018年9月18日). 2022年8月11日閲覧。
- ^ “3位でEURO決勝T進出も…チェコ代表指揮官は満足感示す「タフなグループでよくやった」”. サッカーキング (2021年6月23日). 2022年8月11日閲覧。
- ^ Malý, Jan (1 February 2024). “Nová šance pro Šilhavého, povede národní tým Ománu” (チェコ語). Sport.cz. 2024年5月7日閲覧。
- ^ a b 中野吉之伴 (2021年7月7日). “崩壊寸前からの鮮烈な復活劇 スター不在で華麗さもなく、チャンスメイクも不得手なチェコはなぜEUROで躍進できたのか?”. Number. 2022年8月11日閲覧。
外部リンク
編集- ヤロスラフ・シルハヴィー - National-Football-Teams.com
- ヤロスラフ・シルハヴィー - Transfermarkt
- ヤロスラフ・シルハヴィー - UEFA主催大会成績