マーク・ロコ

イギリス出身のプロレスラー (1951-2020)

マーク "ローラーボール" ロコMark "Rollerball" Rocco、本名:Mark Hussey1951年5月11日 - 2020年7月30日[3][7])は、イギリスマンチェスター出身のプロレスラー

マーク・ロコ
(マーク・ロッコ)[1]
マーク・ロコ (マーク・ロッコ)[1]の画像
プロフィール
リングネーム ブラック・タイガー
"ローラーボール" マーク・ロコ
ローラーボール・ロコ
"マニアック" マーク・ロコ
ジム・ハジー・ジュニア
本名 マーク・ハジー
(マーク・ハッシー)
ニックネーム 暗闇の虎
暗黒の虎
ローラーボール
ザ・マニアック
(The Maniac)
マスター・オブ・ディザスター
(Master of Disaster)
ミーン・マシーン
(Mean Machine)[2]
身長 173cm - 178cm
体重 88kg - 95kg
誕生日 (1951-05-11) 1951年5月11日
死亡日 (2020-07-30) 2020年7月30日(69歳没)[3][4]
出身地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
グレーター・マンチェスター州マンチェスター[2]
スポーツ歴 レスリング[5]
サッカー[5] 
トレーナー ジム・ハジー
コリン・ジョイソン
デビュー 1970年[6]
引退 1991年
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日本では初代タイガーマスクのライバル、初代ブラック・タイガーBlack Tiger)として知られ、1980年代新日本プロレスに再三来日[5]。そのキャラクターは何代にも渡って後進の選手に継承されるなど、以降の日本マット界に多大な影響を残した[8]

"ローラーボール" のニックネームは、1975年製作のSFアクション映画ローラーボール』にスタント・パーソンとして出演したことに由来する[9]

来歴

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ドロップキックの名手として活躍した父のジム・ハジー(ジム・ハッシー)からはプロ入りを反対されていたが、父のツアー中に密かにコリン・ジョイソンのトレーニングを受け[10]1970年2月25日に英国マットにてジョイソンを相手にデビュー[6]

マックス・クラブトリーが運営を引き継いだデール・マーティンズ・プロモーションズ(ジョイント・プロモーションズの基幹組織)を主戦場ににヒールのポジションで活動[10]1977年にはダイナマイト・キッドと抗争を繰り広げた[11]1979年9月には "ローラーボール" マーク・ロッコのリングネームで国際プロレスに初来日、阿修羅・原WWU世界ジュニアヘビー級王座に2度挑戦している[5][12]

1980年から1981年にかけては、当時イギリスで武者修行中だったサミー・リーこと佐山聡と抗争を展開しており[10][11]、佐山がタイガーマスクとして凱旋後の1982年4月には、覆面レスラーブラック・タイガーに変身して新日本プロレスに初登場、タイガーマスクのWWFジュニアヘビー級王座に挑戦した[13]。同年5月6日にはグラン浜田を破り、タイガーマスクの負傷による返上で空位となっていた同王座を獲得[14]。20日後の5月26日にタイガーマスクに敗れ短命王者で終わったものの、以降1980年代は新日本マットを日本での主戦場に活動。アントニオ猪木に頼まれ、ハルク・ホーガンにレスリングの基本をコーチしたこともあったという[15]

1983年8月のタイガーマスク引退後はザ・コブラのライバルとなり、1984年12月28日にはWWFの本拠地ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、コブラとのWWFジュニア王座決定戦を行った[14][16]1986年からは地元の英国マットでフライング・フジ・ヤマダこと山田恵一と世界ヘビーミドル級王座を争い[17]1987年8月には凱旋帰国した山田を追って素顔のマーク・ロコとして新日本に参戦。1989年7月には再びブラック・タイガーに変身し、獣神サンダー・ライガーIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦した[5]

1990年1月に最後の来日を果たしてからは英国のオールスター・プロモーションズ(後のオールスター・レスリング)に定着したが、1991年デイブ・テイラーとの試合で脊髄を負傷、同年のワージングにおけるデイブ・フィンレイ戦を最後に現役を引退した[10][18]。なお、共にヒールのポジションにいたロコとフィンレイは欧州では頻繁にタッグを組んでおり、1988年6月にはオーストリアリンツオットー・ワンツ主宰のCWA)にて、トニー・セント・クレアー&ミレ・ツルノを相手にCWA世界タッグ王座を争った[19]。1989年10月に行われたWWF英国遠征の前座試合にも、揃って出場している[20]

引退後は、スペインカナリア諸島テネリフェ島に居住[8]。英国の各団体にもレジェンドとして招かれており、2003年2月と2006年8月にはオールスター・レスリングの主催したリユニオン・イベントに登場している。2015年10月3日にレディングで行われたレボリューション・プロレスリングRPW)と新日本プロレスの合同興行では、獣神サンダー・ライガーとの久々の再会を果たした[21]

2020年7月30日[3]、69歳で死去[4]

得意技

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獲得タイトル

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入場テーマ曲

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  • フットボール・ファイト / クイーン (新日本プロレスでブラック・タイガー変身時の入場テーマ曲として使用された)
  • トラッシュ / TOKIO 23(新日本プロレスで自身の入場主題歌として使用)

逸話

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  • グラビアの撮影で京都清水寺を訪れた際、日本の古都の美しさに感銘を受け「ビューティフル」を連発。この美しさを妻にも見せたいと絵ハガキ を送っている[23]

参考文献

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  • 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』日本スポーツ出版社、2002年。 
  • 『Gスピリッツ Vol.16』辰巳出版、2010年。ISBN 4777808017 
  • 『Gスピリッツ Vol.41』辰巳出版、2016年。ISBN 4777817660 
  • ミスター髙橋『幽霊軍団にギブアップ ― オカルトにフォール負けした陽気な裸のギャングたち―』(ベースボール・マガジン社、1984年)ISBN 4583024274

脚注

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  1. ^ より原音に近い表記は「マーク・ロッコ」であり、国際プロレスへの初来日時も「マーク・ロッコ」の表記・呼称が用いられた(DVD-BOX『国際プロレスクロニクル 下巻』DISC.4 / 2011年、クエスト)。
  2. ^ a b Mark Rocco”. Wrestlingdata.com. 2022年12月28日閲覧。
  3. ^ a b c Tributes to British wrestling pioneer famed for exciting style ahead of its time”. Press and Journal (2020年7月31日). 2020年8月1日閲覧。
  4. ^ a b Mark "Rollerball" Rocco Reportedly Passes Away At Age 69”. Wrestling Inc (2020年7月31日). 2020年8月1日閲覧。
  5. ^ a b c d e 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P18。
  6. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.41』P10。
  7. ^ Décès de Mark « Rollerball » Rocco à l’âge de 69 ans (フランス語)
  8. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.41』P6。
  9. ^ 『Gスピリッツ Vol.41』P11。
  10. ^ a b c d The Forgotten Legend of Rollerball Rocco”. Online World of Wrestling (2007年4月10日). 2011年1月20日閲覧。
  11. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.16』P26。
  12. ^ IWE 1979 Dynamite Series”. Puroresu.com. 2016年9月28日閲覧。
  13. ^ NJPW 1982 Big Fight Series”. Puroresu.com. 2016年9月28日閲覧。
  14. ^ a b c WWF Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  15. ^ 『Gスピリッツ Vol.41』P20。
  16. ^ WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2011年1月20日閲覧。
  17. ^ a b World Heavy-Middleweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  18. ^ 『Gスピリッツ Vol.41』P17。
  19. ^ CWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年5月30日閲覧。
  20. ^ WWE Yearly Results 1989”. The History of WWE. 2011年1月20日閲覧。
  21. ^ 『Gスピリッツ Vol.41』P19。
  22. ^ British Heavy Middleweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月20日閲覧。
  23. ^ 髙橋 1984, p. 132.

関連項目

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外部リンク

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