マイケル・ティルソン・トーマス

マイケル・ティルソン・トーマス(Michael Tilson Thomas、1944年12月21日 - )は、アメリカ指揮者ピアニスト作曲家。本来はトーマスが姓であるが、英語圏では極めて多い姓であることから、ミドルネームを添えてティルソン・トーマスを称している。MTTとも略される。

マイケル・ティルソン・トーマス
Michael Tilson Thomas
マイケル・ティルソン・トーマス
基本情報
生誕 (1944-12-21) 1944年12月21日(79歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州 ロサンゼルス
学歴 南カリフォルニア大学
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者
ピアニスト
マイケル・ティルソン・トーマス

人物・来歴

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カリフォルニア州ロサンゼルスにて、ロシアユダヤ人の家庭に生まれる。祖父ボリス・トマシェフスキー(Boris Thomashefsky[注釈 1]キエフ近郊のシュテットルタラシチャTarascha)出身で、ニューヨークのイディッシュ劇場の設立者。祖父ボリスの姪はイディッシュ女優のベラ・フィンケル(Bella Finkel)であり、ベラの夫は映画俳優ポール・ムニ

南カリフォルニア大学にてインゴルフ・ダールの下で学んだ。1969年に、ウィリアム・スタインバーグの後任として ボストン交響楽団の指揮者としてデビューし、その後、ニューヨーク・フィルハーモニックロサンジェルス・フィルハーモニックロンドン交響楽団サンフランシスコ交響楽団の指揮者を務めた。

1988年には、クラウディオ・アバドの後任として、ロンドン交響楽団の首席指揮者に抜擢される。グスタフ・マーラーリヒャルト・シュトラウスなど録音も多く行い高い評価を得たが、同時期にレナード・バーンスタインが名誉会長として就任していた手前、人気は隠れがちになってしまった。

2004年には、初めてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に登った(曲目はマーラー交響曲第1番他)。

また、若い音楽家の育成を目的として、フロリダでニューワールド交響楽団を創設した。

祖父の代からガーシュウィン一家と親交が深く、ジョージ・ガーシュウィンの権威として他の追随を許さない。

1995年から2020年までサンフランシスコ交響楽団の音楽監督、現在は桂冠音楽監督を務める。これはピエール・モントゥーの19年間を超える最長期間の在任となり、自主制作を含む録音も量産し黄金期を迎えることとなった。特に、一連のマーラーの録音は高い売上と豊富な受賞があり、極めて高い評価を得ている。

私生活

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ゲイであることを自ら公表したことで知られており[1]、現在は30年以上にわたってプライベートとビジネスの両面でMTTを支えているジョシュア・ロビソン(Joshua Robison)と共に、カリフォルニアに在住している[2][3]。2014年11月、ロビソンと正式に結婚した[4]

グラミー賞

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脚注

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注釈

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  1. ^ ロシアの文芸学者のボリス・トマシェフスキーとは別人物

出典

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外部リンク

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先代
ルーカス・フォス
バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団
音楽監督
1971年 - 1979年
次代
ジュリアス・ルーデル
先代
ニューワールド交響楽団
芸術監督・指揮者
1987年 -
次代
-