ペレヤスラヴリ・ザレスキー公
ペレヤスラヴリ・ザレスキー公(ペレヤスラヴリ公)(ロシア語: князь Переяславль-Залесский(Князь переяславский))とは、12世紀後半から14世紀初頭にルーシの北東地方(ウラジーミル大公国領域)に存在したペレヤスラヴリ・ザレスキー公国の君主の称号である(「公」はクニャージからの訳出による)。公・公国の名は、その中心都市だったペレヤスラヴリ・ザレスキー(現ペレスラヴリ・ザレスキー)による。
ペレヤスラヴリ・ザレスキー公の一覧
編集- フセヴォロド・ユーリエヴィチ - 在位:1175年 - 1176年[要出典]
- ヤロスラフ・ムスチスラヴィチ - 在位:1176年[1]
- ヤロスラフ・フセヴォロドヴィチ - 在位:1212年 - 1236年[1]
- アレクサンドル・ヤロスラヴィチ - 在位:1238年 - 1256年[1] / 1264年[2][注 1]
- ドミトリー・アレクサンドロヴィチ- 在位:1264年 - 1294年[1]
- アンドレイ・アレクサンドロヴィチ - 在位:1293年[要出典]
- フョードル・ロスチスラヴィチ(ru) - 在位:1293年 - 1294年[要出典]
- イヴァン・ドミトリエヴィチ(ru) - 在位:1294年 - 1302年[1]
1302年、モスクワ大公国に併合
脚注
編集注釈
- ^ 次の公のドミトリーが公位を継いだのは、父のアレクサンドルが1264年に死亡した後、という解釈による。
出典
- ^ a b c d e Войтович Л. 3.17. Мономаховичі. Юрійовичі. Ростовська, Суздальська, Московська і Тверська гілки // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ Львів,2000.
- ^ Лихач Е. Димитрий Александрович // Русский биографический словарь: В 25 т. / под наблюдением А. А. Половцова. 1896—1918.