ベントレー・スピードシックス
スピードシックス (Speed Six) はベントレーが6½リットルをベース[1][2]に1926年[1]から生産したスポーツカーまたは競技用スポーツカーで、最も成功したレーシング・ベントレーとなった。中でも、ベントレー会長でもあったウルフ・バーナート(Woolf Barnato )によって1930年のブルートレインレースに出場した2台のベントレーはブルートレイン・ベントレーとして知られている。
概要
編集3リットルに設定された「スーパースポーツ」と同じ位置づけで6½リットルの高チューンドバージョンとして1926年[1]に登場した。内径φ3.9in[2]=約100mm[2]×行程5.5in[2]=約140mm[2]の水冷直列6気筒[2]で排気量は6,597cc[1][2]。SU製[1]ツインキャブレター[1]、ハイカムシャフトを装備し、圧縮比を5.1[1]に高めたエンジンは、最大出力160hp[1][注釈 1]にパワーアップされていた。初期型のホイールベースは138in[2](約3,505.2mm[2])。
最高速度は92mph[2](約148km/h[2])[注釈 2]。
ノーマルの6½リットルはエンブレムが青であるのに対し、スピード6のエンブレムは緑である[1][注釈 3]。
日常用途に用いるロードカーとして販売され、例えばウルフ・バーナートの個人的なスピード6は様々なコーチビルダーによってボディを架装され、西オーストラリア州警察はパトロールカーとして2台のサルーンボディを配備した。
1930年[1]から生産された後期型では圧縮比5.3[1]に上げられシングルポートブロック[1]を採用し180hpになった[1]。またホイールベースが延長され140.5in[2](約3,569mm[2])、152.5in[2](約3,874mm[2])の2種類となった[1]。
レース用車
編集レーシング・バージョンはホイールベース132inで、エンジンは6.1:1に圧縮比を高められて二重点火システムを採用[3]し200hp(150kW)/3,500rpmとなった。ベントレー・ボーイズと呼ばれる人たちの運転により数々のレースで活躍し、特に1929年のル・マン24時間レースではベントレーワークス[3]から出場した1号車がヘンリー"ティム"バーキン(Tim Birkin )[3]とウルフ・バーナート[3]により総合優勝[3]、1930年のル・マン24時間レースではベントレーワークス[4]から出場した4号車がグレン・キッドストン(Glen Kidston )とウルフ・バーナートによって総合優勝[4]、ベントレーワークス[4]から出場した2号車がフランク・クレモン(Frank Clement )[4]とリチャード・ワトニー(Richard Watney )[4]により総合2位[4]を獲得している[4]。
注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-166-8
- ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8