ベイリー (DD-492)
艦歴 | |
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造船所 | ニューヨーク州スタテンアイランドベスレヘム造船 |
起工 | 1941年1月29日 |
進水 | 1941年12月19日 |
就役 | 1942年5月11日 |
退役 | 1946年5月2日 |
除籍 | 1968年6月1日 |
その後 | 1969年11月4日標的艦として沈没 |
性能諸元 | |
排水量 | 1,620トン |
全長 | 106m |
全幅 | 11m |
吃水 | 5.3 m |
最大速力 | 37ノット |
乗員 | 276名 |
兵装 | Mk 10 5インチ砲 4門 21インチ魚雷発射管 |
ベイリー (USS Bailey, DD-492) はアメリカ海軍のベンソン級駆逐艦の一隻。 艦名はセオドラス・ベイリー少将にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。 1969年に標的艦として沈没した。
艦歴
編集ニューヨーク州スタテンアイランドベスレヘム造船にて1941年1月29日起工され、1942年5月11日、F・D・カーンズ少佐指揮下にて1942年5月11日に就役、太平洋艦隊に配備された。太平洋ではアリューシャン列島哨戒のため第8任務部隊に所属した。1943年1月12日にアムチトカ島への侵攻を支援し、3月26日にはコマンドルスキー諸島海戦に参加した。重巡洋艦那智に対して魚雷攻撃を行った際、ベイリーは3発の8インチ砲直撃を受け、5名が死亡、6名が負傷し、船体に大きな損傷を負うが、この行動により海軍部隊章を受賞した。アラスカ州のダッチハーバーで応急修理を行い、本格的な修理のため1943年4月8日にメア・アイランド海軍造船所に入った。
修理を終えたベイリーは1943年10月16日に真珠湾に入港した。 1943年11月から1944年10月まで、ベイリーは以下の海域にて火力支援、索敵、哨戒任務に従事した。
- タラワ(1943年11月20日から12月7日)
- マロエラップ環礁、クェゼリン環礁(1944年1月30日から2月29日)
- サイパン島、テニアン島(6月15日から7月28日)
- ペリリュー島、アンガウル島(9月15日から10月2日)
1944年10月1日の夜、パラオ沖での哨戒任務中に2度の激しい機銃掃射を受け、9名が死亡、16名が負傷した。ベイリーは修理のためマレ島へ向かい、10月25日に到着した。1944年12月24日に真珠湾に戻り、ミンダナオ島の戦いおよびボルネオの戦いにて上陸を支援した。1945年8月から11月までの間、ベイリーは極東海域での訓練に従事した。1945年12月11日、マサチューセッツ州ボストンへ移動し、1946年5月2日、サウスカロライナ州チャールストンにて退役した。ベイリーは1968年6月1日に海軍船籍から除籍され、1969年11月4日にフロリダ沖で標的として沈没した。
勲章
編集ベイリーは太平洋における行動により海軍部隊章と9個の従軍星章を受章した。
脚注
編集- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。 記事はここで閲覧できます。