ベイボルトン
ベイボルトン(Bay Bolton、1705年 - 1736年)は18世紀初頭に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬。この時代の競走馬としてはもっとも優れた一頭であり、種牡馬としても成功した。いわゆる三大始祖が成立する以前のサラブレッドのため父系は現在に残っていないが、エクリプス (Eclipse) の父母母父、スナップ (Snap) の母母父、ボニーラス(Bonny Lass。1号族a分枝の祖)の父として現在につながっている。
ベイボルトン | |
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欧字表記 | Bay Bolton |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
生誕 | 1705年 |
死没 | 1736年 |
父 | グレイオーボーイ |
母 | メイクレスメア |
母の父 | メイクレス |
生国 | イギリス |
生産者 | Sir Matthew Pierson |
馬主 | 第2代ボルトン公爵チャールズ・ポーレット |
競走成績 | |
勝ち鞍 | Queen Anne's Gold Cup (1710) |
経歴
編集1705年にヨークシャーで生まれる。父はグレイオーボーイ (Grey Hautboy) 、母はメイクレスメア (Makeless Mare) 。生産者であるマシュー・ピアソン卿のもとで、5歳時にブラウン・ラスティ (Brown Lusty) という名でデビュー、のちにボルトン公爵に売られベイボルトンと呼ばれるようになった。1710年にヨークで行われたアン女王のゴールドカップ (Queen Anne's Gold Cup) で6歳馬を相手に勝ち、このあともほぼ無敗。ミドルハムムーアのグレートサブスクリプションパース、ドラゴン (Dragon) とのマッチレースなどに勝った。
種牡馬としては 第2代ボルトン公爵チャールズ・ポーレットのもとで供用された。1724,1726,1727,1729,1732-1734年の間に7回チャンピオンサイアーになったという後世の集計もある。おもな産駒としてはボルトンスターリング (Bolton Starling) 、ルービー (Looby) 、フェアノート (Fearnought) 辺りであろう。
血統表
編集ベイボルトンの血統(ダーシーズホワイトターク系 / Darcys Yellow Turk 4×4=12.5%) | (血統表の出典) | |||
父 Grey Hautboy 1698 芦毛 |
父の父 Hautboy1690 芦毛 |
Darcys White Turk 芦毛 |
不明 | |
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Royal Mare | 不明 | |||
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父の母 Natural Barb Mare
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母 Makeless Mare 青毛 |
Makeless 栗毛 |
Oglethorpe Arabian | Darcys Yellow Turk | |
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母の母 Brimmer Mare
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Brimmer | Darcys Yellow Turk | ||
Darcy Royal Mare | ||||
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不明 F-No.37 |
参考文献
編集外部リンク
編集- 競走馬成績と情報 JBISサーチ