フランツ・デフレガー
フランツ・デフレガー(Franz Defregger、1883年に貴族となって Franz von Defregger、1835年4月30日 - 1921年1月2日)はオーストリアの画家である。出身地のチロルの人々やチロルの歴史を描いた。
フランツ・デフレガー Franz Defregger | |
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自画像 | |
生誕 |
1835年4月30日 オーストリア帝国 イゼルスベルク=シュトローナッハ |
死没 |
1921年1月2日 ドイツ国 ミュンヘン |
略歴
編集チロルのイゼルスベルク=シュトローナッハの農家に生まれた。1841年に母親と2人の姉妹を疫病の流行で失った。若い頃は音楽を愛し、フリューゲルホルンを学び、地方のバンドのメンバーとして結婚式や祭りなどで演奏した。絵や木彫りの才能も見せた。
1858年に父親が没した後、農園を売って、アメリカに移住を望む姉たちと売った金を分けた。デフレガーはインスブルックに出て彫刻を学ぶが、彫刻家はデフレガーの絵の才能を認め、1860年にミュンヘン美術院の教授、カール・フォン・ピロティと会う機会を作ってくれた[1]。ピロティの勧めで予備クラスに参加し、1861年7月にミュンヘン美術院の入学試験に合格した。ヘルマン・アンシュッツの絵画クラスで学んだ。
1863年の夏からパリにでて、国立高等美術学校に学び[2][3]、1864年の落選展に出展した。2年間パリで学んだ後、ミュンヘンに戻り、ピロティに学んだ。
1867年から1870年の間はハンス・マカルトとガブリエル・フォン・マックスとともにピロティのスタジオで働いた。その間の、数年間、故郷のチロルを訪れ、親類や友人の肖像画を描いた。画家として成功し1878年からミュンヘン美術院の教授となり、1910年までその仕事を続けた。彼の教えた学生には、モロ-ダー=ルーゼンベルク(Josef Moroder-Lusenberg)、ペラトナー(Hans Perathoner)、ロヴィス・コリント、ヴァルター・トール、エングル(Hugo Engl)、フリッツ・プレルスらがいる。
作品
編集-
『アンドレアス・ホーファー(チロルの反乱の指導者)』, 1879
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『食事前の祈り』, 1875
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『1809年の戦争から帰国したチロル軍』, 1876
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『ツィター弾き』, 1876
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『チロルの美女』, 1880
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『年老いた山の猟師』, 1892
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『ツィターを弾く娘』, 1894
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『チロルの婦人』, c. 1895
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『農家の婦人』, 1896
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『病気の犬と子供』, 1903
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『フランツ・フォン・レンバッハ(画家)』, 1907
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『若い農民』, 1910
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『パイプを咥えた農民』
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『帽子をかぶった農民』
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『猟師を見送る女性』
脚注
編集- ^ “Franz von Defregger”. Art Directory. 6 January 2015閲覧。
- ^ Paris, AN AJ 235, Registres matricules des élèves des sections de peinture et de sculpture, 1841–1871, Nr. 3421.
- ^ Sanchez, Pierre, and Xavier Seydoux. Les catalogues des Salons des beaux-arts, 1864–1867. Dijon, 2005, Salon 1864, Nr. 3378.
- ^ Der Orden Pour le Merite für Wissenschaft und Künste, Die Mitglieder, Band II, 1882–1952. Page 200. Berlin: Gebr. Mann-Verlag, 1978.
参考文献
編集- Colby, Frank Moore, ed. (1914). "Franz von Defregger". The New International Encyclopaedia. Vol. VI (Second ed.). New York: Dodd, Mead and Company.
- Defregger, Franz von (2010). Defregger. Rosenheim, Germany: Rosenheimer Verlagshaus. ISBN 978-3475540301