フェデリコ・モーヤ(Federico Moja、1802年10月20日 - 1885年3月29日)は、イタリアの画家。「ヴェドゥータ」と呼ばれる都市の景観を描いた作品などで知られている。

フェデリコ・モーヤ
Federico Moja
フェデリコ・モーヤ作「サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂内の礼拝所」
生誕 (1802-10-20) 1802年10月20日
ミラノ
死没 1885年3月29日(1885-03-29)(82歳没)
ドーロ
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略歴

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ミラノに生まれた。1818年からミラノのブレラ美術アカデミーで学び、同時に「ヴェドゥータ」や教会や聖堂の内部を描いた作品が得意な画家のジョヴァンニ・ミリアーラ(1785-1837)からも指導を受けた。ミリアーラと同じようにヴェドゥータや建物の内部を題材にした作品を描くようになった。1830年から1834年の間はパリなどフランスを旅し、フランスの風景を描いた。

同じスタイルの若い画家のルイージ・ビシ(Luigi Bisi: 1814-1886)が、ミラノで人気になったことなどの理由で、1840年にヴェネツィアに移って活動した。1845年に亡くなったトランクイロ・オルシ(Tranquillo Orsi: 1771-1845) の後任として、ヴェネツィア美術アカデミーの教授に任じられた。国外でも人気の高い、ヴェネツィアのヴェドゥータを、描くようになり、ミラノトリノの展覧会へ出展した。

1875年に、アカデミーの仕事を退職した後はヴェネツィア近郊のドーロで暮らし、ヴェネツィアの風景を描き続けた。

モーヤに学んだ学生にはルイージ・ケレナ(Luigi Querena:1824–1887) やドミニコ・ファディーガ(Domenico Fadiga)らがいる。

作品

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ドゥカーレ宮殿の中庭
サン・ビアージ港から見たサン・マルコ湾
怖がるロバ (1837)

参考文献

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  • F. Sebregondi, Necrologia. Commemorazioni dei soci onorari, dettate dal segretario F. Sebregondi: Moja Federico, in Atti della R. Accademia di Belle Arti in Milano, Anno MDCCCXXXVI, Milano, Stab. Tip. ditta F. Manini, 1887, pp. 79-81.
  • Elena Lissoni, Federico Moja, catalogo online Artgate Archiviato il 16 maggio 2016 in Internet Archive. della Fondazione Cariplo, 2010, CC-BY-SA (fonte per la prima revisione della voce).