パシフィック・アシスト作戦
オーストラリア軍が実施した東日本大震災に対する救援支援活動
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パシフィック・アシスト作戦(パシフィック・アシストさくせん、英語: Operation Pacific Assist オペレーション・パシフィック・アシスト)とは、オーストラリア軍(ADF)が実施した2011年3月11日に日本で発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に対する救援支援活動。オーストラリア空軍(RAAF)のC-17A輸送機を用いて輸送支援活動を行った。
パシフィック・アシスト作戦 Operation Pacific Assist | |
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横田基地でC-17より降ろされる15旅団の車両 | |
作戦種類 | 緊急救援活動 |
場所 | 日本 |
目的/目標 |
地震での被災者の救援 (輸送支援) |
実行組織 | オーストラリア軍 |
開始時間 | 2011年3月14日 |
終了時間 | 2011年3月25日 |
概要
編集オーストラリア政府は地震・津波により日本が大規模な被害を受けたことを把握すると、救援活動を開始、オーストラリア国内の警察・消防・救助犬等からなる救援隊が編成された。オーストラリア空軍はC-17輸送機1機を用意し、救援隊を搭載、3月14日に横田基地へと到着した[1]。
C-17は、その後も日本国内に留まり、日米両政府に協力し、輸送支援を継続している。例えば、沖縄からは陸上自衛隊第15旅団の人員・車両等を嘉手納基地から横田基地へ輸送し[2]、千歳基地から花巻空港まで飲料水の輸送を行なったりしている[3]。これらの行動は在日アメリカ軍とも協力関係にあった[4]。
3月22日には福島第一原子力発電所事故の支援を行なうため、C-17A 2機を追加派遣し、高圧放水システムの輸送を行なった[5]。一時的にRAAFは4機保有しているC-17のうち、3機を日本に派遣した状態になった。
パシフィック・アシスト作戦は3月25日に終了し、C-17は本国へと帰還した。派遣期間中に23ソーティを実施し、450tの物資、41両の車両、135名の人員を輸送した[6]。
脚注
編集- ^ Australian Government Department of Defence. “Operation Pacific Assist”. 2011年5月30日閲覧。
- ^ “RAAF C-17 flying around the clock in Japan”. RAAF Public Affairs. USAF Yokota AB (3/18/2011). 2011年5月30日閲覧。
- ^ 航空自衛隊 千歳基地 (2011年3月15日). “災害派遣情報”. 2011年5月30日閲覧。
- ^ Minister for Defence,Australia (19 Mar 2011). “Operation PACIFIC ASSIST- Extension of ADF relief efforts in Japan”. 2011年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月30日閲覧。
- ^ Minister for Defence,Australia (22 Mar 2011). “Operation PACIFIC ASSIST – Two additional RAAF C-17s deployed”. 2011年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月30日閲覧。
- ^ “Operation PACIFIC ASSIST- Final C-17 returns from Japan” (25 Mar 2011). 2011年6月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月30日閲覧。