ノート:法量

最新のコメント:8 年前 | トピック:三十二相に関する質問 | 投稿者:㭍月例祭


改名提案

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十和田市の大字記事である「法量」を「法量 (十和田市)」へ改名する提案です。

  • 「法量」は原義的には「仏像のサイズ」を示す仏教や歴史学の用語です。(参考:[1][2][3][4][5][6]、「切法量もない[7]」などなど)
  • 「法量」という地名は、青森県十和田市法量(かつての法量村)のほか、「法量野」という平地が岩手県北上市にもある(っぽい)[8]。『青森県の地名』(平凡社日本歴史地名大系)をみただけでも、十和田市(上北郡)の法量地区以外にも、北津軽郡の「法量宮」が索引に掲載されています。網羅は容易ではないのですが、本来の意味からして、ほかにも地名についているものはありそうです。
  • 「法量」を冠するものとしては、岩手県には「法量院東慈寺[9]」などがあり、ほかにもありそうです。
  • 国会図書館等で「法量」を検索すると、100年ほど前の仏教系の文献の著者として「沼法量」や「猪飼法量」なる人物名が大量にヒットします。
  • これらがウィキペディア的な意味での特筆性をもつかどうかは私にはわかりませんが、「法量」という語に対して「十和田市法量」が中心的な話題とはいえないことは確かだと考えます。
提案内容
コメントします。
  • 「法量」が仏像の大きさを示す用語であることは㭍月例祭さんが示されたコトバンクのリンクによって裏付けられていますが、それだけでは用語について独立した記事を作成すること、代表的トピックとして扱うことの根拠としては不十分だと思います。
  • 㭍月例祭さんのコメントでは改名後、「法量」が用語に関する独立した記事になるのか曖昧さ回避ページになるのかがよくわかりません。Wikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避に言及しているので「法量」は用語に関する記事が占めるように読めますが、一方で「法量 (十和田市)法量神社法量のイチョウなどへの誘導も行う」というのは曖昧さ回避ページに転換することを示唆しているようにも読めます。
  • 仏像の大きさという話題については独立した記事を作成するのではなく、現在記述が不十分な仏像#大きさに加筆するのがよいと思います。
  • 法量という用語で読者が仏像の大きさについて解説した記事に到達できることは妥当と思いますので、曖昧さ回避が必要であることには同意します。しかし、平等な曖昧さ回避でもよいように思います。
  • 法量神社法量のイチョウ、「法量野」「法量宮」「沼法量」や「猪飼法量」などは名前の一部だけが項目名と共通しているだけの言葉であって曖昧さ回避ページに記載する項目としては適切ではないと思います。また、単に「法量」とよばれることが一般的であったとしても、ウィキペディア的な意味での特筆性を満たさないものについては、曖昧さ回避ページに記載するのは不適切でしょう。
--Kusunose会話2015年12月14日 (月) 12:35 (UTC)返信

コメントありがとうございます。改名後は曖昧さ回避とします。

あまりちょうどいい例をみつけられないのですが、私の意図としては弓削とか夕張みたいな形になると思います。
「平等な曖昧さ回避」というのは要するに法量 (十和田市)法量 (仏教)という2記事にするということですね。しかし、仏像に関することは「仏像#大きさに加筆するのがよい」のであれば、法量 (仏教)は必要ないということになります。であれば「平等な曖昧さ回避」ではないでしょう。
仏像#大きさに加筆するのがよい」というのは、私もそう思います。(仏教用語辞典ぐらいは調べたほうがいいかもしれませんね。)
また、「神社」と「イチョウ」は、「名前の一部だけが共通しているだけ」ではなく、どちらも法量 (十和田市)にある物件です。このルールはあまりにも多くなって見通しが悪くなることを防ぐためのものであり、夕張程度の記事数であれば問題ありません。(上で書いたように、当面はこの2記事について統合は検討しません。天然記念物クラスの名木も、神社も、単独で良質な記事になるポテンシャルをもっている主題ですから。
これ以外に、いまの記事には「法量発電所」「法量神楽」「法量集会所」という赤リンクがありますけども、さすがにこれらの「発電所」「神楽」「集会所」が単独記事として成り立つ見込みは厳しいと思うので、赤リンクを解除したりはします。
それ以外の、「法量野」「宮」や人名については、私も現時点では掲載するつもりはありません。「法量」は十和田市の地名だけに固有の言葉ではないことを示しただけです。人名については、文献数の多さからして仏教界ではもしかするとそれなりに知られた(特筆性のある)人物っぽいなという予想はしています。しかし今の時点ではそれ以上の情報がないので、載せる根拠(≠理由)はありません。なにか調べ物のをした結果として載せることはあるかもしれません。
  • 法量
仏教
  • 法量 - 仏教用語では仏像の大きさのこと。詳細は仏像#大きさ参照。
地名
まあ最初はこんな感じでしょうね。--柒月例祭会話2015年12月14日 (月) 13:12 (UTC)返信
(追記)「法量」という語の代表的トピックが仏教用語である、というのは、先のコトバンクで仏教用語の言及があっても「十和田市法量」への言及がないということが1つの証拠になります。また、国会図書館で「法量」を検索すると、2344件ヒットするのですが、上位500件の多くが仏教・仏像関係の文献です。その次に多いのは建築関係の論文で著者の苗字が「法量」であるもの。あとは「少年法量刑」とか。--柒月例祭会話2015年12月14日 (月) 13:41 (UTC)返信
(コメント)文化財用語としての「法量」が立項されるのでしたが、前から思っていることなのですが博物館図録の展示目録などを見ていると、仏像以外に絵画の寸法ですとか、考古遺物の高さとか各種数値などもまとめて「法量」と呼ばれているようなケースが見受けられるのですよね。一方で、法量は本来仏像に関する用語という説もあります。このあたり、慣習として用いられているのか、調べが付けばと思うのですが。--でここ会話2015年12月14日 (月) 13:43 (UTC)返信
「法量」は、一般に地名というよりは辞書にあるように大きさのことでしょう。なので、㭍月例祭さんのおっしゃられるような改名に賛成します。一点、法量が仏教用語で大きさを意味するという指摘ですが、中村元『広説佛教語大辞典』などによりますと、「法の思量」、すなわち真理による思量を意味すると書かれております。つまり仏教語としての法量にも二通りの意味があるということです。また、他の辞書で法量を引けば違う意味もあるのですが、ひとまず仏教語の「法量」について、ここにコメントさせていただきます。--J-20111207会話2015年12月14日 (月) 17:15 (UTC)返信
  •   条件付賛成 Wikipedia:曖昧さ回避によると、曖昧さ回避というのは、「内容が異なるトピック(主題)なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくすること」「読みたいページを判別すること」が目的です。したがって、柒月例祭さんが法量 (仏教) を作成してから当ページを法量 (十和田市) へ移動し、跡地を平等な曖昧さ回避ページとするのであれば、賛成いたします。法量 (仏教) を作成する前の移動には反対いたします。また、「法量」という語の代表的トピックが仏教用語であっても、これまで10年以上法量というページには十和田市の地名について書かれ、25のページからリンクされています。その中には利用者ページ、つまり個人的なページも含まれており、地名に関するページから仏教用語のページに変更してしまうと混乱を生む可能性があります。したがって法量を仏教用語のページにして法量 (曖昧さ回避) を作成することにも反対します。法量を曖昧さ回避ページにすれば、混乱も最小限で抑えられるはずです。--Tom 222会話2015年12月14日 (月) 22:33 (UTC)返信
  •   条件付反対(条件:百科事典的な記事にできるのであれば賛成)
  賛成(百科事典的な記事が作成されたため賛成票に変更します。)
仏教用語としての「法量」の意味や用法のみを記述するのであれば「ウィクショナリー」に収録すべき語だと思います。(Wikipedia:ウィキペディアは辞書ではありませんを参照してください。)
  • 『岩波仏教辞典』第二版、P.918「法量」に、「仏像を制作する際の基準的な大きさ」、「仏像を計測した際の数値」について記述があり、説明文があります。
  • 『広説佛教語大辞典』縮刷版、P.1522「法量」に「法の思量」とあり、出典として「『正法眼藏』坐禅蔵『大正蔵』八十二巻一一六下」(0116c04)を掲載してます。
上記の『岩波仏教辞典』第二版、『広説佛教語大辞典』縮刷版や、『デジタル大辞泉』、『大辞林』第三版の記述を見る限り、百科事典的な記事にするのは難しいのではないでしょうか?
もし「ウィクショナリー」に仏教用語としての「法量」を作成した場合は、地名としての「法量」に「Template:Wiktionary pipe」({{wtp|法量|仏教用語「法量」}})を貼り付けて、ウィクショナリーに収録した仏教用語の「法量」へ誘導するのが良いと思います。--Resto1578会話) 2015年12月15日 (火) 04:12 (UTC)・(賛成票に変更)--Resto1578会話2016年1月26日 (火) 06:17 (UTC)返信
  • 『密教辞典』というのを立ち読みしてきました。法量についていろいろ書いてありました。詳細はそのうち書きますが、これによれば「法量とは寸法のこと」という解釈は後世のもので、本来はもうちょっとややこしい概念ぽいです。「ぽいです」というのは、「密教」と「仏教」のどっちが先なんだ的な意味でよくわからなかったからです。(密教側は自分のほうが原理主義的だという立場なんだろうと思います)
私も仏教に詳しい訳じゃないので、立ち読み情報を大雑把に書くと、法量というのは個人個人の身体の部位の寸法の比率に関する概念のようで、たとえば、お釈迦様は手首から肘までの長さが通常の人間の2倍あるとか、指の長さを1とすると手首から肘までは7であるとか。したがって所定の比率(法量)にもとづいて仏像を造らないとお釈迦様的な意味で正しい寸法にならない(そこらへんの実在の人間をモデルに作るとバランスがおかしい)とか、なんかそういう概念みたいです。殷代と周代で比率が違うとか、こういう概念なので人間1人1人全部違うとか。そういう話から「法量≒寸法」という意味に転化して、いまでは「この絵画の法量は縦10センチ、横20センチです」みたいな表現をするとかなんとか。
もうちょっとちゃんと調べる必要はありますが。ひとまず。
要するに、なんか記事としてのポテンシャルは秘めてそうなんですが、私にはそのポテンシャルを活かせる自信はなさそうです。--柒月例祭会話2015年12月15日 (火) 10:36 (UTC)返信

  返信 予想に反してといいますか、たくさんご意見をいただき、正直うれしいです。誰にも何にもコメントされない、というのを予想していましたので。いろいろなご意見があり、いずれも記事の発展に役に立つ物だと思います。ありがとうございます。特に仏教関係・仏像関係についてはもう少し調べ物をしたほうが良さそうだと思いました。

  • 予想以上にいろいろなご意見があるので、最終的にまとめるための節分けをさせていただきますが、まだ提案から2日ほどしか経っていませんので、今すぐまとめようと言うつもりはありません。(10年前からある記事ですから、1ヶ月ぐらいこのままでもどうということはないと思っています。)
  • 特に記事の伸びしろに関わるような点については「メモ」節に箇条書きにさせていただきます。参考までに。
  賛成 曖昧さ回避というのは、方針によれば、読者が迷わない記事名であるために、つくるものでしょう。仏教用語としての法量が辞書的説明しかしえないとしても(そうは思いませんが)、法量が仏教用語として一般の辞書に載っている以上、法量で検索したときに読者が想定しているのは、仏教用語と考えるべきです。従って、「法量」を曖昧さ回避にするか、曖昧さ回避ページにリダイレクトするのが望ましいと考えます。また、リンクの問題についてはリンクを変更すればいい話です。--J-20111207会話2015年12月17日 (木) 04:18 (UTC)返信
  賛成 改名することにより、読者の閲覧に役立つと考え、賛成いたします。 --Himetv_ 2016年1月5日 (火) 05:01 (UTC)返信
  • まもなく当初の提案から1ヶ月になりますが、大筋では、地名記事については「法量_(十和田市)」とすること、「法量」を仏教用語を説明する記事とすることについて合意を得られたように思います。
  • ひとまずは「地名」と「仏教用語」についての記事の準備にとりかかることにします。(実際の改名処理等は準備が整ったところで行います)
  • どのような曖昧さ回避の方式とするかについては細かい部分でいくつかのご意見を頂いております。当初私は夕張のような方式と申し上げましたが、仏教用語のほうが「字引」を超える程度には書けそうです。下のメモ2に書きましたとおり、「法量」の意味/用法としては仏教用語、人名、地名の3系統を想定できそうですが、このうち地名に関しては概ね「法量_(十和田市)」の記事と関連性があり、記事中でリンクを設けて説明するなり、関連項目にあげるなりことが可能でしょう。「人名」については当面は単独記事となる見込みは薄そうと考えます。こうしたことから、わざわざ新たに曖昧さ回避ページを作成するほどでもなく、冒頭でTemplate:Otherusesを1つ設置すれば事足りそうだと考えております。--柒月例祭会話2016年1月12日 (火) 02:26 (UTC)返信

メモ

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  • 仏教用語としての法量
  • 「寸法」の意味での「法量」が使用されている記事
  • 人名の「法量」が使用されている記事
  • 十和田市の法量に言及のある記事
  • 十和田市以外の地名の法量に言及のある記事
  • むつ市 - むつ市法量への言及
  • おがみ神社 - 東北地方(特に青森)に「法霊」「法量」「法領」という地名が多い理由に関する言及(ただし出典なし)

メモ2

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1.仏教用語としての「法量」
  • 1-1.仏像の寸法に関する話題(法量) - これに関してはいくつかの出典を確保しました。大記事とはいいませんが、単なる字引を超えて、百科事典的な記事にはできる見込があると考えます。インド、中国(殷、周、唐)、日本史(平安以前、平安以後)、仏像、寺院にまたがる話題になります。コトバンクをはじめ、いわゆる平易な辞典・辞書類がこの意味での「法量」にしか言及していないことから、「法量」を代表する意味と考えます。
  • 1-2.「論理的に考えること」を表す用語(?) - これについてはわかりません。Resto1578さんが示してくださった出典を私も見ましたが、対になる概念として「仏量」という言葉があることぐらいしかわかりませんでした。『正法眼蔵』に登場する用語らしく、正法眼蔵の研究書・注釈書のようなものをみればあるいは解説があるのかもしれませんが、私には手におえません。コトバンクなどでは触れられていません。
2.人物としての「法量」
  • 2-1.伝説レベルですが、東北地方にその昔「法量」という人物がいて、その人に対する「法量信仰」というのがあるそうです。『青森県百科事典』には法量信仰に関する単独項目があります。「法霊」「法領」「豊量」など多様な表記があり、おがみ神社にも関係があります。
  • 2-2.沼夜濤という人物(俳人、僧職)の名前。「沼夜濤」「月明居」が俳号で、本名が「沼法量」。旧姓が「猪飼法量」。100年ほどの前の著作が多数(アマゾンの検索例[10])。『20世紀日本人名事典』にありました。
3.地名としての「法量」
  • 3-1.法量神社 - これは私も見誤っていましたが、法量にあるから法量神社なのではなく、法量神社があるから法量という地名、という順序のようです。2-1の「法量」を祀った神社として、八戸のおがみ神社と「二大神社」をなしています。法量のイチョウ(樹齢1000年)も関連するようです。
  • 3-2.法量 (十和田市) - 上記のとおり、法量を祀る土地なので法量村とよぶようになった、という順番のようです。
  • 3-3.その他の法量(地名) - 既に示したように、「法量野」や「法霊」など、青森を中心に分布する地名で、おおむね2-1に由来。

まとめ

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準備が整いましたので、既存の記事を法量 (十和田市)へ移動し、法量を仏教用語に関する記事に改めます。ひとまずは「移動」を行い、リンク元の修正を行った後、法量の加筆を行います。法量 (十和田市)の加筆改稿は日を改めて行います。--柒月例祭会話2016年1月25日 (月) 15:36 (UTC)返信

浄土寺の阿弥陀如来の画像

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利用者:Resto1578さんからご指摘をいただいた、浄土寺の阿弥陀如来像の画像を除去しました。

実はこの画像は、下書きとして完成したものに最後の最後に付け加えたものでして、ちょっと蛇足かなーという感じはもってました。

写真の位置も悪かったかもしれませんが、上の2点と比べると主題・本文との関係性はやや小さく、「法量」の説明としては無くてもよいですね。本当は「一搩手半」に対するような画像(念持仏とか胎内仏)の写真があればいいなあと思っていたのですが、ちょうど良さそうなものをみつけられず。

一応説明をしておきますと、この写真は「日本で再び写実主義が取り入れられるようになった」ことの説明のために追加したものでして、出典とした『仏像の見方・彫り方』のなかで、その代表例として鞍馬寺の観音像とともに2点が紹介されていたものです。鞍馬寺のほうはウィキペディア内に写真が見当たらなかったので、この写真を選んだのですが・・・。写真の派手さやサイズが他と比べると存在感あり過ぎな割には、「法量」との直接的な関連性はやや乏しいですね。なにがどう「写実的」なのかは説明を加えないと通じにくいでしょうし、それはまた別の記事でやるべきことだろうと思います。なので除去しちゃいました。--柒月例祭会話2016年1月26日 (火) 09:07 (UTC)返信

  お礼
大変ご丁寧なご回答ありがとうございます。全体の文章に対して阿弥陀如来像の画像と説明文だけが異質に感じたもので……。私も除去してしまった方が纏まりがいいと思います。
それにしても「法量」で百科事典的な記事を作ってしまわれる㭍月例祭さんの情報収集・分析能力には感服いたしました。--Resto1578会話2016年1月26日 (火) 13:20 (UTC)返信

三十二相に関する質問

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「既に成立していた仏教の教義では、(略)これを「三十二相」と説く」と本文中にありますが、『仏像学入門』(宮治昭、春秋社、2013)25頁に、三十二相を説く仏伝・讃仏経典として、マハーヴァストゥラリタヴィスタラブッダチャリタディヴィヤ・アヴァダーナなどが挙がっていますが、これらの経典の成立年代は紀元前1世紀を遡るのでしょうか。 ラリタヴィスタラは2~3世紀とするサイトも見つけたのですが。仏像学入門は啓蒙書の類なので厳密な記述はないのですが、文脈としては造仏の一般化と讃仏文学の興隆はともにクシャーン朝時代というような感じに書かれています。質問というか、法量の話とは本質的に関わるものではないので、時期の前後関係はぼかしてさらっと書いてもいいように思います。--Focaccia会話2016年2月15日 (月) 13:15 (UTC)返信

  • ご指摘の件ですが、執筆時に借りた本を返してしまったので少しお時間をください。おおよその方向性としては、「法量の話とは-前後関係はぼかして」というご指摘の通りだと思います。--柒月例祭会話2016年2月17日 (水) 02:16 (UTC)返信
勝手ながら、ちょっとぼんやりぼやかしてみました。あと、頭のコブは肉髻で、肉髻珠はあのコブのところにある宝石のことです。肉髻に関して、別に間違っているわけではないのですが、私がコメントアウトした部分がない方が平安時代の日本の話として、つながりがいいように思います。正直、法量は日本(や中国)の問題だろうと思うので、ガンダーラやマトゥラーにはあまり踏み込まない方がいいんじゃないかなと思います。あの辺真剣に取り組むととんでもないことになりますし。--Focaccia会話2016年2月19日 (金) 15:33 (UTC)返信
  ありがとうございます。私もFocacciaさんの版のほうがよいと思います。「肉髻珠」の件については知識不足でした。ご指摘感謝します。--柒月例祭会話2016年2月19日 (金) 17:07 (UTC)返信
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