ノート:日本の鉄道事故 (1950年から1999年)
この記事は2011年9月25日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
記事内容の整理が必要
編集もう少し整理した方が良いと思います。老人がホームから転落して助けようとした人が死亡した。というのは、鉄道事故ではあるけど、何か違いと思います。--以上の署名のないコメントは、61.121.78.203(会話/Whois)さんが 2011年8月1日 (月) 16:13 (UTC+9) に投稿したものです。
出典の明記を
編集いずれも有名な鉄道事故でしょうから探せば出典はあるはずですが、逆に言えば本文これらのように詳細な記述をしているのであれば、必ず何らかの出典にあたっているはずです。出典の明記はウィキペディアの基本原則ですので順守をお願いします。--Rail789(会話) 2016年1月21日 (木) 15:58 (UTC)
現在、記載されていない事故
編集2017年1月22日現在、本記事に記載されていない事故は以下のようなものがありますが、詳細を確認して本記事に載せる価値があれば記載したいと思います。 いつまで掛かるか分かりませんので、皆様でも調査していただければ幸いです。
- 1954年2月2日 阪急庄内駅近くの踏切で列車とトラックが衝突(庄内事件のちょうど2年前)。
- 1956年9月4日 阪神新在家駅構内で列車同士の衝突。
- 1959年6月17日 阪急西宮北口駅構内で列車同士の衝突。
- 1960年4月23日 阪急夙川駅付近の踏切で列車とトラックが衝突。
- 1960年5月3日 名鉄名古屋本線の矢作川堤防の踏切で列車とダンプカーが衝突。列車が全焼。
- 1962年4月30日 阪急上牧駅付近の踏切で列車とダンプカーが衝突。
- 1963年5月15日 近鉄大阪阿部野橋駅構内で列車同士の衝突。
- 1967年7月24日 南海箱作駅構内で電車と貨物列車が衝突。
- 1970年4月21日 東武日光線板荷駅付近で列車とダンプカーが衝突。
- 1970年6月22日 神戸電鉄で追突事故。
- 1970年11月24日 鹿児島市の日豊本線で急行列車とダンプカーが衝突。
- 1971年3月4日 神戸電鉄粟生線で無人電車が暴走(富士急行の暴走事故と同日)。
- 1971年10月6日 広島県福山市で寝台急行「雲仙3号」火災事故。
- 1972年1月26日 国鉄京都駅構内で貨物列車脱線事故。
- 1975年4月17日 近鉄新祝園駅付近で踏切衝突事故。隣接する片町線の線路に乗り上げ。
--Sara-minori(会話) 2017年1月22日 (日) 10:33 (UTC)
追記 --Rail789(会話) 2017年2月24日 (金) 06:12 (UTC)
- 1983年12月8日 山陰本線保津峡駅列車脱線事故(上り列車が駅進入中にポイントが切り替わり脱線)
追記 --61.86.242.182 2019年5月19日 (日) 08:35 (UTC)
追記 --HODA(会話) 2019年10月28日 (月) 07:17 (UTC)
- 1989年(日時不明) 南武線で踏切障害事故。大型ダンプに衝突した電車が脱線、10名が負傷。
- 1990年(日時不明) 磐越東線で踏切障害事故。大型トレーラに衝突した列車が脱線、12名が負傷。
参考は[5]より。これらは死者を出していない重大踏切障害事故ではありますが、今後により詳細を調べて掲載する価値のあるものもあるように思えるので、ここに記しておきます。
追記 --モハニ4253(会話) 2022年9月7日 (水) 10:21 (UTC) / --モハニ4253(会話) 2023年10月29日 (日) 01:00 (UTC)
- 1967年7月9日 中央西線 高蔵寺=定光寺間で、台風による大雨で法面が崩壊し、普通列車(10両編成)の5両が脱線、うち2両は横転。19名負傷。物的被害は電車5両以上の損傷、うち4両(クハ68が2両、モハ70が2両)は廃車。
追記 --モハニ4253(会話) 2023年12月23日 (土) 11:42 (UTC) / --モハニ4253(会話) 2024年1月10日 (水) 12:46 (UTC)
脚注
外部リンク修正
編集編集者の皆さんこんにちは、
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
- http://www.kobe-np.jp/chiiki/rensai/200604ginnomichi/03.html にアーカイブ(https://web.archive.org/web/20090319080756/http://www.kobe-np.jp/chiiki/rensai/200604ginnomichi/03.html )を追加
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月5日 (木) 23:57 (UTC)
一部、項目整理
編集2018年明けて項目の整理をコメントアウトにより行いました。本項目における掲載基準はノート:日本の鉄道事故 (2000年以降)で引き続き議論中ですが、適宜、踏切障害事故、鉄道人身障害事故、関連路線項目、関連駅項目などに転記をお願いします。
モバイル版での視認性向上案
編集現在、本記事および「~1949年」「2000年以降」の記事では、章として「事故一覧」、節として年代の「1950年代」もしくは単年の「1990年」、といったツリー構造になっています。この場合、モバイル版では章レベル、つまり「事故一覧」しかツリービューにならず、デスクトップ版のように節以下へのリンクも無いため、下部を閲覧するのに大変苦労します。そこで、年代を節ではなく章に変更し、「事故一覧(1950年代)」「事故一覧(1960年代)」...のようなツリー構造とすることで、モバイル版でも視認性を向上させられると考えたのですが、いかがでしょうか? --Hassy-6thsense(会話) 2019年12月21日 (土) 05:39 (UTC)
修正すべき項目
編集- 大阪市電・タンクローリー衝突事故
大阪高等裁判所 昭和42年(ウ)302号 判決と比較すると、事故の発生した月、時間帯、住所、衝突した車両や運行者、事故の様態などの事故情報が一致しており、同一の事故に関するものと思われますが、事故の発生した年と日のみ異なっており誤記ではないかと考えられます。
また、この項目のみ事故の発生順とは異なる順で記載されているため何らかの手違いがあった可能性は高いかと思います。誤記でなくとも記載順の修正は必要ですが、発生日自体が誤記の可能性があるため迂闊に変更できません。--61.89.191.98 2020年4月30日 (木) 02:06 (UTC)
修正が必要な可能性がある内容について
編集2020年4月にIP利用者により、この記事がWikipedia:修正依頼に出されていました(ただし既に依頼から3ヶ月以上経過していましたので除去しています)。以下、修正依頼に掲載されていた依頼文を全文転記いたします。--郊外生活(会話) 2020年8月1日 (土) 05:46 (UTC)
- 日本の鉄道事故_(1950年から1999年)
- 誤記の疑いがある項目:大阪市電・タンクローリー衝突事故
- 大阪高等裁判所 昭和42年(ウ)302号 判決と比較すると、事故の発生した月、時間帯、住所、衝突した車両や運行者、事故の様態などの事故情報が一致しており、同一の事故に関するものと思われますが、事故の発生した年と日のみ異なっており誤記ではないかと考えています。
- また、この項目のみ事故の発生順とは異なる順で記載されているため何らかの手違いがあった可能性は高いかと思います。誤記でなくとも記載順の修正は必要ですが、発生日自体が誤記の可能性があるため迂闊に変更できない状態です。--以上の署名のないコメントは、61.89.191.98(会話/Whois)さんが 2020年4月15日 (水) 19:03 (UTC) に投稿したものです(Keruby(会話)による付記)。
記事側に{{修正}}が貼られていなかったこともあり、依頼をご存知でなかった方もいらっしゃるかもしれませんので、こちらでもあわせて告知いたします。--郊外生活(会話) 2020年8月1日 (土) 05:46 (UTC)
- まとめサイト「大判例」に残る大阪高裁の判決文(大阪高等裁判所 昭和42年(ウ)302号 判決 1968年5月23日)を見ると事故が起きたのは『昭和39年12月17日の午後6時40分ごろ』とあるので日付間違いの可能性もあると思いますが、裁判所の判例に収載されるほどのものではないことから、記載自体が過剰な気がします。--Licsak(会話) 2024年7月1日 (月) 18:15 (UTC)
些細なものまで書かれてないか?
編集どこそこで発生した踏切事故とか特筆性のないものまで追加されてますが、Wikipediaは情報を無差別に収集する場所でもなくデータベースでもありません。--39.3.103.203 2024年6月30日 (日) 02:18 (UTC)
京阪電気鉄道置石脱線事故の原因について
編集「中学生5人組のグループが悪戯で線路脇のケーブルトラフ(コンクリート製U字形溝)の蓋を線路上に置いた」とあり出典も記されていますが、裁判の判例においては「軌道敷から拳大の石を拾つて京都行軌道及び大阪行軌道のいずれも本件道路に 近い方のレール上に一個ずつ置いた。」とあり、その責任を問う中で「ケーブルトラフの蓋」に関する言及は一切ありません。
最高裁判所判決 大阪高等裁判所 昭和59(ネ)294号判決の破棄
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55208
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/208/055208_hanrei.pdf
当記事の出典とされる「全国鉄道事情大研究 京都・滋賀編」の該当記述は伝聞に推測を重ねたものでしかなく、他に信頼に足る出典は見当りません。ネット上の「U字溝の蓋」説はほぼすべて当記事から広まったものと思われます。
裁判の判例より信頼できる資料がない限り、当該記述は「拳大の石を置いた」に改める必要があります。--126.36.88.32 2024年7月6日 (土) 12:18 (UTC)