ノート:はまなす (列車)

最新のコメント:17 年前 | トピック:防災基準との関連について | 投稿者:Alt winmaerik

防災基準との関連について

編集

6月19日の段階で存在した下記の本文

『道内の客車急行が気動車に置き換えられたり特急に格上げされるなか、本列車だけが客車として残った理由は、青函トンネルでの連続登り勾配で、気動車が長時間のフルノッチ運転を強いられた場合、トンネル内の換気と、エンジン、特にターボチャージャーを含む排気系や変速機の過熱が営業レベルをクリアできないためといわれている。。<!--但し、青函トンネルにはED79形電気機関車による牽引でキハ183系気動車ジョイフルトレインノースレインボーエクスプレス」が無動力ながら入線しているため、運行できないという訳ではないのでは?--> 』

について、下記コメントを追加したうえで記事をコメント化した者です。

『営業レベル以前に国の防災基準を満たしません。キハ58系アルカディアの火災事故以来、長大トンネルの気動車単独での(内燃機関を使用する)運行は防災上不可とされています。新潟から首都圏への気動車の回送も事故以前は自走によるものでしたが、清水トンネルがあるため現在はEF64形機関車牽引です。青函トンネルにED79形電気機関車による牽引でノースレインボーエクスプレスが無動力ながら入線しているのはこのため。よってコメント化 』

ところが22日の版にて、

『道内の客車急行が気動車に置き換えられたり特急に格上げされるなか、本列車だけが客車として残っている。これは、気動車の青函トンネルの走行が国の防災基準を満たさないため。キハ58系アルカディアの火災事故以来、長大トンネルの気動車単独での内燃機関を使用する運行は防災上不可とされている。函館駅青森駅間をED79形電気機関車による牽引でノースレインボーエクスプレスが無動力で運転しているのはこのため。なお、新潟から首都圏への気動車の回送も事故以前は自走によるものだったが、清水トンネルがあるため現在はEF64形機関車が牽引している。 』

と改変されました。ですが改変内容にかなり問題があるため、再度コメント化しました。

私のつけたコメント(斜体部分)は、あくまでも「青函トンネルで気動車を運行できない理由は、内燃機関の性能とは関係ない」ことを説明するために、防災基準の存在を述べたものに過ぎません。はまなすが客車として残っていることとは何の関係もありません(多分)。因果関係を創作するのはいかがなものかと(苦笑)Alt_winmaerik 2007年6月22日 (金) 22:14 (UTC)返信

拙速な編集を失礼しました。しかし、すべてコメントアウトする必要はないように感じ、本文記載しました。Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいにあるように、記載を尊重しつつ編集することが望まれるのではないでしょうか。はまなすが気動車化されない理由として青函トンネルの問題は少なからずあるかと思います。函館~青森は機関車を連結せざるを得ず、それならば気動車化する利点がないからだと考えます。そのあたりを生かした記述はできないでしょうか。--RCA 2007年6月24日 (日) 10:29 (UTC)返信
まず私が申し上げているのは、内容以前の問題として、コメントが記事化された際に起きている論理のすり替えが問題であるということなのですが? ご理解いただけていますでしょうか?
それから記載を尊重しつつの部分ですが、その部分追記したの私ですので(しかも記事ではなくコメントです)。
さらに「気動車化されない理由として青函トンネルの問題は少なからずある」という点がまさに貴方自身による検証不可能な独自の調査ではないでしょうか? そのような予測記事を百科事典に載せるべきでないと思っています。だからこそ先般の表現は記事ではなくコメントにしたのです。
利用率のさほど高くない夜行列車をわざわざ気動車に置き換えるために運転習熟等にコストをかける必要もないでしょう。気動車化できない理由が明確にあるというよりは、むしろ不採算列車をあえて気動車に置き換えるだけの積極的理由が無いからこそ、客車のまま放置して列車ごと安楽死させるつもりだろうと思っていますよ。もしJR北海道が本当に気動車化したいのなら、先にコメントにあったように青函トンネル内のみ機関車牽引とすれば可能ですから。無論、ここに記載している内容もやはり私の持論であり、百科事典に持ち込むべきではないと考えています。Alt_winmaerik 2007年6月25日 (月) 02:06 (UTC)返信
追記させていただきます。「函館~青森間は機関車牽引としなければならない」ならば「気動車化するメリットは無い」という部分についても、本当に青函トンネル問題だけが気動車化できない理由になるのかどうか、検証は難しい気がします。例えば気動車化する例として、札幌区で管理している寝台車併結タイプの道内夜行気動車列車と同一編成に置き換えた場合を考えると、運用や保守を共通化できるという利点はあります。現在は、多客期に増結される一般寝台車を除き、全車両がはまなす専用ですので。
結局のところ、メリットデメリットは複数考えられるのでどれが理由で気動車化されないということは断定できないのが現状ではないでしょうか? 複数考えられるということそのものが独自の調査ですし、事典に記載する必要はないと思いますよ。 Alt_winmaerik 2007年6月25日 (月) 02:36 (UTC)返信
「考えられる可能性として」などと注を入れた上での記述ならばどうでしょうか。もちろんこれも私の考えですが、北海道新幹線が完成すればはまなすは廃止されるように思います(明らかに根拠のない話です)。未だ急行として走らせている点も考えると、JR北海道もそれほど力を入れていない(むしろ安価提供が目的か?)ことが推測されます。てこ入れしたとしたら特急化するような気がします(快速海峡や急行宗谷の特急化が典型例)。もちろん、可能性論であるにしろ、記述しない利点はないように思えます。もっとも、鉄道会社の将来を予想したり、期待することが目的ではないので、「特急化が望まれている」「気動車化が見込まれている」などと記述するのは論外です。なお、蛇足ですが、先日はまなすを利用しましたが、乗車率は結構高かったですよ。--RCA 2007年6月26日 (火) 07:42 (UTC)返信
「考えられる可能性として」という前置きが出てきた時点で、百科事典たるウィキペディアの記述としてはアウトですね。残念ながら。--Kone 2007年6月26日 (火) 08:31 (UTC)返信
現状で可能な記述としては「北海道新幹線開業に伴う去就が注目される。」程度がが精一杯と考えます。--Kone 2007年6月26日 (火) 08:35 (UTC)返信
RCAさんも熱意を持って執筆されていると思いますので、ここはひとつ、鉄道趣味誌や新聞(交通新聞や日刊工業新聞など鉄道関係の話題が載りやすいメディア)のバックナンバーを調べてみてはいかがでしょうか? JR北海道の責任ある立場の方が、はまなすについて何か寄稿しているかもしれません。それをベースに執筆すれば問題はないかと。Alt_winmaerik 2007年6月27日 (水) 03:55 (UTC)返信
残念ながら私に関しては容易に調べられる環境にありません。ところでですが、因果関係を無視して、「なお、気動車化することになると、……のような問題点が考えられる」などとするといかがなものでしょうか。--RCA 2007年6月28日 (木) 08:52 (UTC)返信
であれば、無理に書こうとする必要はありません。文献に当たらず、自分の私見を記述するなど、論外です。--Kone 2007年6月28日 (木) 12:02 (UTC)返信
要は青函トンネルを気動車自走できない旨を何とか残せないでしょうか。気動車化しない理由と気動車自走できないことを互いの関係を求めるのではなく、並列する形であれば問題ないように思えますが、いかがでしょうか。「防災基準上自走できないこと」は事実ですよね。--RCA 2007年7月1日 (日) 05:10 (UTC)返信
それはもう青函トンネルの記事に書かれています。ご興味がおありでしたら鉄道に関する技術上の基準を定める省令(これは昔のA基準やA-A基準、のちの普通鉄道構造規則に代わるもの)を法令データベース[1]で調べてみてはいかがでしょう。第29条や68条あたりで規定されているかと。あとアルカディアの件はここ[2]の「鉄道を斬る」→「日本の列車火災対策は万全か」などが信頼できると思います(事故調査に参加した学者の見解ですので)。まあいずれにしても、事典に記載する内容としてはいまの青函トンネルの記事で十分かと思いますけど。Alt_winmaerik 2007年7月1日 (日) 11:44 (UTC)返信

(インデント戻します)確かに記述されていますね。しかし、私が言いたいことは誤解を恐れずにいえば、青函トンネル電車しか走れないし、運行区間内には非電化区間もあり、現状の形態が最も適しているものだと思います。結局函館で機関車を付けなければならないならば、気動車化する意味はないように考えます。私としては、はまなすが客車として運行されている理由を述べても構わないと思うのです。もちろん、上のように「最も適している」「意味はない」などと書くのは単なる独自研究にしかなりませんので、記述は工夫する必要があると思います。関係者の証言等が確認されたら「気動車化されない理由は~~」と述べても構わないかと思います。それがいつになるか分からない現状では暫定的に記載して、気づいた人に加筆してもらうことを考えてはだめでしょうか。--RCA 2007年7月2日 (月) 07:41 (UTC)返信

Koneさんも私も、貴方のこの質問に対する回答は全て上で述べています。もう一度お読み下さい。繰り返しますが、理由が検証不可能なのだから記述できない、という単純な事を申し上げているだけですよ。ウィキペディアは「言いたいこと」を書く場所ではありませんので。もしどうしても加筆したいのでしたら、努力を惜しまずきちんと裏を取ることです。それができないなら書かないことです。同じことの繰り返しなので、もうこれ以上議論しても不毛な気がしています。Alt_winmaerik 2007年7月2日 (月) 11:47 (UTC) 返信
青函トンネルを気動車が自走できないことは事実ですよね。要は「気動車化しても青函間は電気機関車で牽引しなければならない」という旨を将来性を見越したものではなく、事実として記述してはどうかということです。解決法としてJR北海道731系電車JR北海道キハ201系気動車のように併結運転が可能な列車を開発する可能性や、非電化区間の電化が挙げられるかと思いますが、現在のところそのような事実は確認できません。このような想像を記述をすることは望まれませんが、単に気動車化しようとすると運行区間の条件から難しいということを残すことはどうしてもできないのでしょうか。--RCA 2007年7月3日 (火) 07:31 (UTC)返信
ですから、「はまなす」の置換え計画が全く発表されていない段階で、推測により「はまなす」の気動車化を云々すること自体、無用と考えます。前出のように、気動車が青函トンネルを自走により走行できないことは、青函トンネルの項で記述されていることですし、あえて、「はまなす」の項で記述する必要を感じません。--Kone 2007年7月3日 (火) 08:16 (UTC)返信
青函トンネルの項で記述されていたところで、はまなすとの関連が分かりにくければ意味はないと思います。この記述の始まりは220.159.26.144さんによる2007年2月13日12:43(UTC)の版です。その後、何度か改良がなされました。この間にこの記述が削除されなかったのは、それ相応の説得力があり、必要とされた記述だったからだと思います。それをそっくりコメントアウトしてしまうのはいかがなものか、ということです。表現に問題があるならば、ない形で残すべきではないかと思います。もし、「気動車化すればいいのに」と考える人がいたときに、このような記述があればある程度納得できると思うのです。--RCA 2007年7月3日 (火) 08:42 (UTC)返信
何度でも申し上げますが、個人の憶測にのみ基づいた記述はウィキペディアでは排除されます。それは、何日間そのまま編集されなければその記述が確定するというものではありません。何年経っていようと、その記述が不適当なものであれば、その記述は編集され、あるいは削除されます。現時点において、「はまなすの気動車化」は、まったく個人の想像(推測、憶測、妄想)の域を出るものではありません。仮定の話にしたところで、あなたの脳内にそれがあるだけでは、全く検証可能性を持たない=ウィキペディアの記述としては不適格な記述であると考えますが、いかがでしょうか。まず、文献にあたり、自分の記述しようとすることについて、検証可能なものであることを確認してからにしてください。それができないのならば、あなたにはその件について記述する資格がないものと承知するべきです。--Kone 2007年7月3日 (火) 11:42 (UTC)返信
「あなたに、この記事を編集する資格はありません。」と要約欄にありますが、そのこと自体あなたが判断されることではありませんよ。
さて、ふと思いついたのですが、「札幌・函館間は非電化区間があるためディーゼル機関車で牽引、青函間は青函トンネルを気動車自走できないため電気機関車で牽引」というような感じで記述すれば、記述されていた趣旨を消すことなく、かつ事実を述べられると思うのですが、いかがでしょうか。--RCA 2007年7月4日 (水) 06:21 (UTC)返信
いつまでこんなその場しのぎの言い逃れを続ける気ですか?自分に対する批判には、正面からきちんと向き合っていただきたい。問題は、あなたの主張をどうやって記述するかではなく、あなたのそうした「検証は他人に丸投げ」しておいて「反論がでても、正面から向き合わない」という無責任かつ傲慢きわまりない投稿姿勢そのものにあります。
「記事を編集する資格がない」とは、あなたは「あなたのしなければならないことをしていない」ということです。それは、他ならぬあなた自身が肯定していることですよね。--Kone 2007年7月4日 (水) 09:24 (UTC)--Kone 2007年7月4日 (水) 11:32 (UTC)(加筆)返信
「札幌・函館間は非電化区間があるためディーゼル機関車で牽引、青函間は青函トンネルを気動車自走できないため電気機関車で牽引」の提案はどうなったのでしょうか。これは事実と認められると考え、これならば双方納得できそうに感じて提案したのですが、これでも不十分と仰るのでしょうか。--RCA 2007年7月5日 (木) 07:14 (UTC)返信
あなたが記述する事項について、あなたが文献にあたり、裏を取るという作業を行っていない(行うことができない)と表明した時点で、却下です。あなただけがそう思っているだけでは、ウィキペディアの記述として到底相応しいものではありません。--Kone 2007年7月5日 (木) 08:12 (UTC)返信
冷静になってください。「非電化だからディーゼル牽引、青函トンネルは気動車自走できないから電車牽引」は事実ではないですか? これが事実でなければ、札函間は非電化なのに電車牽引、青函間は気動車自走できないのに気動車牽引ということになりますが。--RCA 2007年7月6日 (金) 07:15 (UTC)返信
このノートに書かれていることを、最初からじっくりと読み返してください。あなたがウィキペディアで活動していく上で不可欠なことが書かれていますよ。あなたが仰っていることは、「独自研究」の範疇にはいります。「たら・れば」の話は、そうなった時点で記述しても遅くありません。--Kone 2007年7月6日 (金) 08:06 (UTC)返信
『「非電化だからディーゼル牽引、青函トンネルは気動車自走できないから電車牽引」は事実ではないですか』については、確かに事実ですが、これが現在の「はまなす」とどのように結び付くのでしょうか。現在、「はまなす」は客車で運転されており、札幌~函館間はディーゼル機関車、函館~青森間は電気機関車に牽引されています。また、これを気動車化するという公式リリースもありませんし、なぜ客車で運転されているかについても、信頼できる情報を寡聞にして聞いたことがありません。それを「こうである」と記述するからには、出典を求められたときに、あなたはきちんとそれを示す必要があります。それに対してあなたは「自分はできない」と回答されています。この時点で、「あなたの記述には検証可能性がない(その記述が正しいかどうかあなた以外の人が判断することができない)」と判断できます。つまり、「あなたの記述は、ウィキペディアに記述されるべきでない記述である」ということです。どうしても記述したいということなら、あなたはウィキペディアのルールに従って、あなたのすべきことをすべきです。それができないのであれば、それについて記述しないことです、というより「記述してはならないい」ということです。--Kone 2007年7月6日 (金) 10:48 (UTC)返信
私は「○○という理由で気動車化されていない」というような記述があり、それをコメントアウトされたことについて、何とか残す形で表記できないか、と考えたのです。したがって、これを掲載することによって、現在の状況を知ることができ、改良がなされる場合は、非電化区間を電化するか、気動車を青函間は電車牽引する、ということが想像されるかと思います。しかし、これは想像にすぎないもので、そこまで想像する人は「どうして客車なのだろう」と疑問を持つ人であり、それに対してこの記述により、解決の手助けになりうるわけです。もちろん、私がここで挙げた仮説通りでなくとも、責任問題は生じません。現在の運行状況の事実しか述べていないのですから。私は気動車化を前提に記述したいわけではありません。私はどうしてここまで記述を拒むのかが不思議でなりません。私の提案はもはや独自研究でなく、事実であるようにしか思えません。この記述もできないのであれば、何を記述できるのでしょうか。--RCA 2007年7月6日 (金) 11:01 (UTC)返信
何も記述しなくて結構です。現在までの記述がされていれば十分です。そこから先は、どうしても個人の推測や憶測や期待が入り込んでしまいます。それは、つまり「書いてはならない」ということです。--Kone 2007年7月6日 (金) 11:06 (UTC)返信
さらに。「私がここで挙げた仮説通りでなくとも、責任問題は生じません。」とのことですが、あなたには、ウィキペディアについての基本的な理解が全くできていないと思わざるえません。そんな「不正確な(不正確かどうかすら検証できないお粗末な)記述」を垂れ流されては、たまったものではありません。また、あなた以外の方の記述についてであっても、あなたが「それは記述されるべきと主張する」のであれば、その正確性や検証可能性をあなたが担保する必要があります。
さらにさらに。「私の提案はもはや独自研究でなく、事実であるようにしか思えません。」については、あなたがそう思っているだけでは、何の根拠にもなりません。「独自研究ではなく、事実」と仰るからには、それが事実であるという根拠は、あなたが示さなければなりません。今までの議論(というのもおこがましい代物ですが)において、あなたは全くそれを示していませんね。--Kone 2007年7月6日 (金) 12:31 (UTC)返信
「現在の運行状況の事実しか述べていないのですから。」について。あなたの推測や憶測や期待や妄想は、事実とはいえません。以上です。--Kone 2007年7月6日 (金) 12:43 (UTC)返信

RCAさん、私の最初のコメントに対してWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいを引き合いに出していますが、中身をよく読みましたか? 記事を削除できる例として「関係のない内容」がありますね。青函トンネルを気動車が自走できないこと(★1)と、はまなすが客車運行されていること(★2)は関係がありません。よって、★1を青函トンネルの記事に記述することはできますが、はまなすの記事に記述することはできません(記述を削除することは妥当)、ということになります。こう説明すれば分っていただけますか? ★1をはまなすの記事に記述する唯一の方法は、★1と★2の間に因果関係がありそれについて記述する場合だけです。そしてその場合、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にに記載のあるとおり、★1★2に因果関係があることの出典を示す責任があるのは加筆する側(つまりRCAさん)です。削除する側に因果関係がないことの出典を示す義務はありません。私が申し上げたい部分を下線付き太字にしましたので、再度ご確認を。Alt_winmaerik 2007年7月7日 (土) 10:06 (UTC)返信

私はもはや客車運行されている理由云々の問題をしているのではないですよ。まず、事実として「客車運行されている」。そして、それには、「札函間はディーゼル牽引、青函間は電車牽引」である、ということですよ。客車は自走できないのですから、牽引されなければなりません。現行では使用している機関車についてのみ記述がありますが、これを補足してはどうか、ということです。どうして札函間はディーゼル牽引なのでしょうか。非電化区間があるからの他にもっともな理由があるのでしょうか。また、青函間はどうして電車牽引なのでしょうか。青函トンネル内を気動車が自走できないことの他にもっともな理由があるのでしょうか。--RCA 2007年7月11日 (水) 07:12 (UTC)返信
RCAさんが補足しようとしている事項について、検証可能な資料はありますか?それがないのならば、それは記述されるべきではありません。検証可能であるというのであれば、具体的な出典をお示しください。--Kone 2007年7月11日 (水) 08:24 (UTC)返信
RCAさん、ウィキペディアの記事は検証可能な出典に基づいて記述するものであり、一個人が既成の事実から妥当と推定していることを記述するものではありません。検証が出来ないものは削除されるのです。難しく考えすぎではないでしょうか。あなたが何を問題にしようと論点が変わろうと、ウィキペディアで記事を書く以上、これは普遍的なことですよ。Alt_winmaerik 2007年7月12日 (木) 04:01 (UTC)返信
検証するまでもないことを言っているつもりなのですが。非電化区間は電車は走れない。だからディーゼル牽引。青函トンネルは気動車は自走できない。だから電車牽引。これをどう検証せよ、というのでしょうか。私は非電化区間を走る電車というものを聞いたことがありませんし、気動車が走れない区間を気動車が走ることは法令違反ですよね。疑いの余地を入れることができない事実としか私には考えられません。非電化区間を電車が走れないことを検証しなければならないのですか?--RCA 2007年7月12日 (木) 08:11 (UTC)返信

検証可能なのは、札幌~函館間がディーゼル機関車、函館~青森間が(電車ではなく)電気機関車の牽引であることまでで、それについては、既に本文中でDD51形、ED79形の牽引と記述されています。それで十分と考えますがいかがでしょうか。RCAさんは、それに補足を加えるということですから、その補足される部分について、明確に出典を示すようにしていただきたいということです。可能であれば、こんなことを記述したいんだということをノートで具体的に示していただけると幸いです(もちろん出典付で)。--Kone 2007年7月12日 (木) 08:34 (UTC)返信

確認として、この問題のはじまりは、客車運行している理由を求めるような内容でした。すなわち、青函トンネルを気動車が自走できないから、客車運行されているのではないか、という推測が述べられていたわけです。しかし、この推測は的を射ている面もあると考え、何らかの形で記述を残したいと考えました。そこで、事実のみを述べ、それ以降は閲覧者の推測に任せる手法をとれないかと考えました。ゆえに、「非電化区間があること」「青函トンネルを気動車自走できないこと」を補足して、牽引機関車に関する記述をここにもってくることで、推測の記述でもなく、「なぜ客車か」を求める人に対してもある程度の情報を与えられる内容になるかと思うのです。--RCA 2007年7月13日 (金) 08:18 (UTC)返信

推測は推測であって、事実ではありません。RCAさんが推測する方向に読者を誘導しようとするのであれば、それは中立性を欠いている、ということになります。--Kone 2007年7月13日 (金) 15:04 (UTC)返信

おそらく私の考えていることがうまく伝わっていないように感じます。札幌函館間が完全に電化されているにもかかわらず、ディーゼル牽引しているのならば、この記述は意味をなさなくなりますが、札幌函館間は電車が走れない区間がある、青森函館間は気動車が走れない区間がある、故にこの形態なのだ、ということなのです。推測でしかなかった部分を事実の記述に置き換えるのです。気動車化されない理由とするのではなく、現状を述べるだけなのですが、不可とされる理由がわかりません。--RCA 2007年7月15日 (日) 08:39 (UTC)返信

こちらが申し上げていることも、上手く伝わっていないように感じます。そもそも、「はまなす」が気動車や電車で運転されていない理由を求めること自体、ウィキペディアが果たすべき役割から逸脱します。事実を書くだけとおっしゃいますが、その裏に自分が推測する方向に誘導するという意図があからさまにある以上、中立性に問題があると言わざるえません。--Kone 2007年7月15日 (日) 09:14 (UTC)返信

理由を求めているわけではありません。このように記述することで、その理由の解決策ともなりうるということです。また、客車の理由のみならず、なぜディーゼル牽引・電車牽引なのか、という問いにも答えられます。そもそも、仰る「中立」とは何を意味しているのでしょうか。推測や要望ではないのですよ。事実の記述において、行間を読むかどうかは閲覧者次第です。誤った方向や複数解釈あるうちの1つに誘導しているわけではありません。--RCA 2007年7月16日 (月) 07:31 (UTC)返信

RCAさんは、以前「私は「○○という理由で気動車化されていない」というような記述があり、それをコメントアウトされたことについて、何とか残す形で表記できないか、と考えたのです。」と仰っています。あなたのその後の行動は、この目的の実現にあるという前提で、議論が進められているということを忘れないでいただきたい。そもそも「はまなす」が気動車や電車で運行されている理由については、(RCAさんが自ら宣言されたとおり)検証可能性が全く担保されていませんので、これを記述することは、ウィキペディアの基本ルールに則していないということです。「事実のみを述べ、それ以降は閲覧者の推測に任せる手法をとれないかと考えました。」という発言は、RCAさんが推測する方向に読者を誘導したいがために、その事実を敢えて記すのだ、という宣言と理解しました。Alt winmaerikさんが仰るように、青函トンネルを気動車が自走で通過できないというのは事実ですが、「はまなす」とは直接に関係のない事項ですから、それを敢えて記述しようというのは、読者の判断を意図的に歪めようという意図以外感じられません。そういうのが、中立でないということです。--Kone 2007年7月16日 (月) 08:18 (UTC)返信

「残す形」について、残すことが難しそうなので、別な方式での記述を見いだした、ということです。青函トンネルを気動車が自走できないことは、はまなすがその区間電気機関車によって牽引されていることにつながり、関係ないとは言い切れないと思います。意図的にゆがめる気は全くありません。最初に記述された方もそのような気があったわけではないと思いますよ。問題のある記述はすべて排除ではなく、問題のない形に置き換えるべきだと私は考えます。--RCA 2007年7月16日 (月) 08:59 (UTC)返信

まだお解かりいただけませんか。あなたの編集姿勢自体が問題なのです。あなたが、「残念ながら私に関しては容易に調べられる環境にありません。ところでですが、因果関係を無視して、「なお、気動車化することになると、……のような問題点が考えられる」などとするといかがなものでしょうか。」と仰った時点で、既にあなたの信用は地に落ちています。さらに、言い訳がましい書き込みを繰り返したことで、それを自ら確定的にしてしまったといえます。わたしも、あなたに関わるのは、これを最後にしたいと思いますが、今後、あなたの編集は、私に限らず多くの方によってより厳しく吟味されることになりますので、覚悟はしておいてください。--Kone 2007年7月16日 (月) 09:15 (UTC)返信

信用云々の問題ではなく、これからどうすべきか、という話をしているのですよ。私がいろいろと考えを巡らしたことについて、それを否定し、その後議論をしないことこそ中立的でないと考えますが、いかがでしょうか。私は自分のできる範囲においてかかわりたいと考えています。ウィキペディア中心の生活はできません。私が責任を持って記述できるものを模索したいのに、とかく否定するのはいかがなものでしょうか。私には、今後いかなるないようも認めないようにしかとらえられません。せっかく記述してくれた内容を問題ない形で残したい、というのはそんなにいけないことなのでしょうか。推測を述べている記事や書かれている事実により推測可能な記事は数多く存在するかと思います。何でも排除すべきとは思いません。せっかく書いたのに、適する形でないからといって、今後どのような形の記述も不可となれば、執筆しようとする人がいなくなってしまうのではないでしょうか。適する形でなかったが、それを適するように訂正して残してくれると、執筆者としてもありがたく感じ、以後気をつけようと考えるのではないでしょうか。--RCA 2007年7月16日 (月) 09:30 (UTC)返信

これ以上関わるまいと思いつつ、また出て来てしまいましたが・・・これは信用云々の問題です。そもそも、信用できないような行動(言動)をしておいて、何があなたを信用しろと言えるのでしょうか。これは、あなたがウィキペディアに投稿する上で、最低限なすべきことをなしていないことを公言し、開き直りとも取れる不誠実な行動(言動)を繰り返していることに起因しています。「私が責任を持って記述できるものを模索したいのに」と仰っていますが、今までの言動からして、私はまったくあなたを信用することができません。まず、あなたは他の執筆者から信用される努力をすべきです。少なくとも、指摘された事柄には逃げることなく真摯に受け止めていただきたいと思います。

ウィキペディアにはウィキペディアのルールがあります。そのルールに反すればそれなりの結果が待っています(これを因果応報といいます)。あなたが記述した内容は、多くの読者によって吟味されますし、その結果ばっさりと切り落とされることもあります。これは、百科事典の記述として妥当かどうかが問題であって、情を優先するあまり何でもかんでも取り込んでいいというものではありません。今後は、実際の編集において道筋を示していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。--Kone 2007年7月16日 (月) 12:21 (UTC)返信

私の努力をなぜ否定されるのでしょう。私も考えあって発言しているわけです。「こうではないか」に対して「こういう考えはどうだ」と模索しているわけです。自分と考えが完全に一致するわけはないので、妥協点を見いだす必要があると思うのです。試行錯誤して、どうすべきかを考えているのに、その試行錯誤の途中経過によって、そのすべてを否定しようという姿勢はいかがなものでしょうか。信用どうこうではなく、記事に正確性があるかを求めるべきではないでしょうか。いくら信用できない人物が執筆した内容であっても、それが偽りのない真実であればその記述は残されるべきです。それを信用できない人物が記述したからという理由だけで切り捨てるのは、私はウィキペディアの精神に反していると思います。誰でも参加でき、誤りを修正していく作業をすべきであって、特定の人物を排除するのは違うのではないでしょうか。--RCA 2007年7月17日 (火) 08:02 (UTC)返信

ですから、あなたのする記述は、最初から「信用できない」という姿勢で(バイアスをかけて)見られているということです。あなたの記述が、ウィキペディアのルールに則って妥当なものであるならば、その記述は今後も残っていくでしょうし、妥当でないと判断されればその記述は排除されます。これは、あなたに限った話ではありません。ウィキペディアに参加する方すべてに当てはまることです。自分の記述を残してほしいのであれば、あなたは文献にあたる手間暇を惜しまず、検証可能性と正確性を担保する努力をしていくことです。こうして少しずつでも、他の執筆者の信用を得ていくよりほかないと思うのですが、いかがでしょうか。--Kone 2007年7月17日 (火) 08:36 (UTC)返信

そのような偏見をどうして持つ必要があるのですか? 検証性が保証できないという話で、それを改善するように考えてきたわけです。Wikipedia:中立的な観点においては、意見を述べることは否定されていますが、「○○という意見がある」という事実を述べることは否定されていません。また、私の提案した内容については、疑う余地のないものであると考えます。それを私の人間性から記述を否定するのはいかがなものでしょうか。私はただ単に私のことが嫌いだから、いかなるものも認めたくないというようにしかとらえられません。--RCA 2007年7月17日 (火) 09:49 (UTC)返信

自分の旗色が悪くなると、情に訴えようとするのはやめた方がいいと思います。ここは掲示板でもブログでもなく、百科事典を作ろうというプロジェクトです。プロジェクトの達成という目的がある以上、参加者の行動がウィキペディアの方針により規制を受けるのは、当然のことです。あなたは、最初に「残念ながら私に関しては容易に調べられる環境にありません(=自分がその方針を守っていない上に、これからも守る気がない)」と宣言されてしまいました。そんな人のことを誰が信用しますか?まず、方針に関する文書を熟読してください。その上で、実際の編集において実践して見せてください。何もせずに信用を得ようなどと、甘いことを考えている場合じゃないですよ。--Kone 2007年7月17日 (火) 11:02 (UTC)返信

私は別に情に訴えてはいません。私は納得ができないために述べているのです。私は、容易には検証ができないから、検証が必要のない記述をするのはいかがか、といっているのですよ。JR関係者が証言しているかどうかなどは容易には調べられない。では、こういう事実を書くならば大丈夫じゃないか、といっているのです。そもそもただ単に方針を読め、ルールがどうとか仰っていますが、それは何の根拠があっての話なのですか? 検証性に関しては、それが必要のない形をとったらどうか、といっているのです。それとも、すこしでもルールに則っていない利用者に対しては、その後いかなる対話も拒否することができる、というような方針があるのですか?--RCA 2007年7月17日 (火) 11:19 (UTC)返信

それは、あなたが特定の事実を記すことにより、読者に対して偏見を持たせようとしている(自分の思う方向に誘導したい)だけなのではないのですか?そのあたりの疑念が払拭されない限り、わたしは、これ以上あなたと議論を続けても平行線をたどるばかりであると判断し、RCAさんが編集される中で、方向性を修正していこうと考えただけのことです(RCAさんが、正直すぎるだけなのかもしれませんが)。当然、他の方の編集と同様に検証可能性や正確性、記述の妥当性等について厳しく吟味していくつもりですし、その結果、あなたの記述がバッサリと切り落とされる可能性も否定しません。しかし、それがウィキペディアというものであることも、理解していただきたいと思います。--Kone 2007年7月17日 (火) 12:08 (UTC)返信

そもそも何を偏見だと仰っているのですか? 今後気動車化される見込みがないとかそういうことを書き込むつもりはありません。また、中盤で仰っていることは、すなわちこの議論を打ち切って、記述を行っていいということなのでしょうか。なお、それに伴って削除された場合は、再びここでの議論になると思いますが。--RCA 2007年7月18日 (水) 06:12 (UTC)返信
編集を行いました。なお、本記事にコメントアウトされていた一部内容を青函トンネルに記述しました。--RCA 2007年7月26日 (木) 09:52 (UTC)返信
問題があるので編集・削除しました。理由はこの節の冒頭に記載してあります(つまり最初に指摘した問題がまったく改善されていないのです)。Alt_winmaerik 2007年7月28日 (土) 06:48 (UTC)返信

青函トンネルに関して、記載した内容が「省令」に集約されると考えてよろしいのでしょうか。それであれば私は削除に納得できます。また、コメントアウトの内容も必要ないと思うので、削除してはいかがでしょうか。次に、はまなすにおいて、「青函トンネルを気動車が自走できないことと、『はまなす』が電気機関車牽引であることは無関係。」とありますが、気動車自走ができなければ、どうやって牽引するのでしょうか。--RCA 2007年7月30日 (月) 08:07 (UTC)返信

ですから、「はまなす」の青函間は電気機関車の牽引ですよね。本体は客車ですし……おっしゃっている意味がよく解りません。--Kone 2007年7月30日 (月) 08:21 (UTC)返信

堂々巡りですね。因果関係を示す公的資料が示されていないのに、因果関係を記してしまうことが問題。ただそれだけでしょう。--PeachLover- ももがすき。 2007年7月30日 (月) 08:31 (UTC)返信

「おっしゃっている意味がよく解りません」とありますが、どういう意味でしょうか。また、因果関係に関しては、青函トンネルは気動車が走れないのは事実なのですよね?(そういう事実がないのであれば話は別ですが) 気動車で走れなければどうするか、電車で走るしかないと思うのですが。--RCA 2007年7月31日 (火) 08:54 (UTC)返信
「おっしゃっている意味がよく解りません」とありますが、どういう意味でしょうか。 とのことですが、文字どおり、そのまんまの意味です。それ以上でもそれ以下でもありません。
たしかに、「青函トンネルを気動車は自走で通過できない」のは事実ですが、「はまなすの青函間が電気機関車牽引である」のとは、どのような因果関係があるのでしょうか。両者に因果関係があるのであれば、誰にでもわかる形で因果関係を説明してください。それが、できない限りこの項目に「青函トンネルを気動車は自走で通過できない」と書くべきではありません。
また、「因果関係」の意味がよくお解かりになっていないようなので、念のため申し添えておきますと、因果の「因」とは「原因」のこと、「果」とは「結果」のこと、「因果関係」とは「因(原因)」と「果(結果)」のつながりのことです。後は、自分で勉強してください。
あと、もうひとつ。あなたは、別の概念である「電車」と「電気機関車」、「気動車」と「ディーゼル機関車」の使い分けが、まともにできていないようですね。私は、こんな基礎的なことですら理解できていない方と、対等で有益な議論ができるとは思っていません。「顔を洗って出直して来い!」と申し上げておきます。--Kone 2007年7月31日 (火) 09:26 (UTC)返信
気動車/電車については、便宜上使用したものです。誤解を招く表現でしたら申し訳なく思います。「はまなすは客車運転」→「機関車牽引が必要」→「青函トンネルの気動車自走は不可能」→「電気機関車牽引」となるのではないでしょうか。--RCA 2007年7月31日 (火) 09:43 (UTC)返信
「機関車牽引が必要」→「青函トンネルの気動車自走は不可能」のところの因果関係がはっきりしませんね、というより、新たに条件を増やしているだけで「原因」と「結果」の関係になっていませんね。--Kone 2007年7月31日 (火) 10:24 (UTC)返信
言葉のあやでしょうか。ディーゼル牽引ができないのだから、電気機関車になると思うのですが、それとも、電車/電気機関車の使い分けを求めていることから考えると、気動車ではなく、ディーゼル機関車であれば青函トンネル内を走行できるのでしょうか。--RCA 2007年8月1日 (水) 09:22 (UTC)返信

長文失礼します

編集

RCAさん、全体の議論をさらっと読んだだけの第三者の意見として聞いてください。まず私はコメント依頼から辿ってきただけで、鉄道には興味がないので突っ込んだ議論は出来ないことを前置きさせて下さい。

  • Alt_winmaerikさんが7月7日に分かりやすく番号をふって下さっているので、それをお借りして説明したいと思います。で、RCAさんの7月15日の言葉にこれを当て嵌めると「札幌函館間は電車が走れない区間がある、青森函館間は気動車が走れない区間がある★1故にこの形態(ハマナスは客車)なのだ★2」となります。この『ゆえに』で★1と★2を結び付けている事が独自研究なのです。確かに★1・2ともに事実ですが、繋げるとすると「★1ゆえに★2かもしれない」としか書けません。もしかすると以前Alt_winmaerikさんが示唆されているようにわざわざコストをかけずに安楽死させるつもり(★3とします)、ゆえに★2かもしれない。または★1+★3ゆえに★2かもしれない。それは出典が示されてない現状ではこのノートにいる誰もが断言できない。可能性の話をすればJR北海道の機械化計画の人の頭からは★1はすっぽり抜け落ちているかもしれない(バカげた可能性ですが、可能性がないとは誰も言えませんよね?現状では)からです。

まず、ここまではいいですよね?もし上記が理解できないと独自研究の概念を誤解されている可能性がありますのでしっかり確認ください。誤解され易い部分なので、勘違いされていたとしてもそれはRCAさんの恥ではないです。むしろ、誤解されているのなら今RCAさんに確認いただくことはWikipediaにとって利益になります。しかし誤解されたままだと逆に迷惑になってしまう可能性もあります。

  • で、今RCAさんは「じゃあ★1と★2をそれぞれ独立させて記載すればいいじゃないか。読み手が★1ゆえに★2と推測するかもしれない。それは読み手が勝手に推測することで書き手の責任じゃない。それぞれが事実なんだしむしろ読み手にとっては親切では?」というような趣旨のことを考えておられるようです。しかし、読み手が推測する答えもまた独自研究であり、かえって先入観を植え付けてしまうおそれがあります。これは読み手にとっては親切なようで、実は逆に不親切なのではないでしょうか。
  • それに★1はそれだけ切り出すと所詮トンネルの仕様であり線路の仕様です。それをハマナスの記事に記載が必要なのか、という問題もあります。すでに青函トンネルに★1は記載されています。「別にあったっていいじゃないか。大した分量じゃないし。」と思われるかもしれませんが、意味のない文章は冗長ですし、上記のような理由(読み手に余計な先入観を持たせる)で、百科事典としては無い方が良いです。
  • RCAさんは「記述の形を工夫する」とおっしゃっていますが、この問題の本質は★1をハマナスの記事に記載するか、という問題であり、★1の記述方法をどう工夫しようが結論はかわりません。★1になんらかの付加情報がついて(文献資料等)★2と結びついて初めて「記述をどうしようか」という議論になり得ます。どうも傍から見てるとRCAさんは問題の本質を見誤り、間違った方向に力を入れているような気がするのです。問題の本質が★1を当記事に記載するか(出来るか)ということですので、★1に裏付け情報がない限り、いくら議論を重ねても結論は変わらないような気がします。
  • それから、中立的な観点ですが、RCAさんはWikipedia:中立的な観点を誤解してらっしゃいます。「~という意見がある。」と言う形にしても独自研究にあたる執筆者の意見は排除されます。物事には独自研究でない(検証できる)見解でも、全く異なる立場によって正反対の意見が存在する事があり得ます。その場合は2つの意見を書いてくれ、ということで、独自研究にあたる見解を意見として記載することとは全く別です。中立的でないとKoneさんがおっしゃっているのは★1を記載しようとすることに対し、「じゃあ、なんで★3は書かないの?他に考えられる★4・5・・は何で書かないの?それは★1POVじゃないの?」と言う事だと思います。

以上長文になりましたが、RCAさんとしては何も皆さんがRCAさんに対し意地悪しているわけではないということご理解頂ければ、と思います。--Redpepper 2007年8月1日 (水) 12:45 (UTC)返信

ご指摘ありがとうございます。的はずれであればご指摘いただきたいのですが、まず、現段階において、「はまなすが客車である理由」などに関しては特に求めていません。以前に編集された方の記述をばっさりと削除してしまうことには違和感がありました。ゆえに、その要素を生かすことはできないか、記述した人は何を求めているのか、を考えました。そこで、「牽引機関車の違い」を記事に述べるのであれば、その要素も生きるし(客車の理由ではなく)、独自研究も排除されると考えました。2だとか3だとかではなく、視点を変えたと私は思っています。--RCA 2007年8月2日 (木) 09:07 (UTC)返信


問題は極めて単純なんですがねえ。この際、「私は~こう考えた」はWikipedia編集上なんら関係がないので、それらはRCAさんの頭の中にそっとしまって置いてください。

  1. 『青函トンネル内は気動車自走不可』という情報と『ハマナス』との関係を示す証拠は今のところない。(客車の理由であろうが、牽引車の種類であろうが、です)
  2. 独自研究は、どう言葉をこねくり回そうが視点を変えようが新たな文献情報が付加されない限り解消されない。
  3. 『ハマナス』との関係を断ち切られた『青函トンネル内は気動車自走不可』という情報は青函トンネルの仕様だから青函トンネルの記事に書けば十分である。

ということです。ちなみにRCAさんが記載した

>函館駅~青森駅間は、青函トンネルを気動車が自走できないため、電気機関車が牽引している。

と言う文章は、「~ため、」と言う語句でハマナスを電気機関車が牽引している理由として、『青函トンネル内は気動車自走不可』という情報を『ハマナス』と関係付けています。 既に青函トンネルに詳細に記載されているし、そこにリンクも張られているのだからもういいのではないでしょうか?--Redpepper 2007年8月3日 (金) 14:24 (UTC)返信

「青函トンネル内は気動車自走不可」だから「客車運行されている」は、個人の想像の範囲内でしょうが、「電気機関車によって牽引されている」は、十分事実として成り立つと思うのです。青函トンネル内を気動車が自走できなければ、客車運行されている列車について、電気機関車で牽引する以外にどんな方法が考えられるのでしょうか。電車化する、というような理由も考えられるでしょうが、少なくとも現在は客車運行されています。客車であることは事実で、この条件において、電気機関車で牽引する以外に方法はあるのでしょうか。また、車両の項目において、現在青函トンネルへのリンクは張られておらず、張られていたとしても、それを参照する人はいるのでしょうか。--RCA 2007年8月4日 (土) 08:01 (UTC)返信
入れても入れなくても意味が大きく変わる訳でもなく、別に間違いというわけでも無いでしょう。要するに青函トンネルの中を気動車が走れないという事が加わると言うだけなのでは?--124.97.200.58 2007年8月4日 (土) 08:15 (UTC)返信
RCAさん、あなたはこの議論の中で、ご自身の加筆の裏づけとなる出典を示すことなく、再三にわたり相手に悪魔の証明を求めています。このような姿勢では、今後他の記事を執筆する際にも支障が出るのではないでしょうか? 老婆心ながら申し上げますが、このノートにこれだけ文章を書くエネルギーがあるのなら、それをもっと出典を探す方向に向けるべきです。その方が、それこそあなたの仰る「気動車化すればいいのにと考える人」にとっても有益ですよ。Alt_winmaerik 2007年8月4日 (土) 11:54 (UTC)(途中に掲載されていたため、下部に移動させました。--RCA 2007年8月5日 (日) 03:10 (UTC)返信
私が言いたいのは、気動車が自走できない区間を電気機関車が牽引することは、疑いの余地を入れられるものなのか、ということです。「青函トンネルをディーゼル機関車が牽引できないわけではない」や「電気機関車以外の第三の方法がある」というのであれば、納得する余地がありますが、私にはそれこそ悪魔の証明でしかないように感じます。それとも、私に「青函トンネルを気動車が走れない」「気動車・電車以外の可能性がない」ことを証明する必要があるのでしょうか。それとも、現在においても客車運行されている理由を必要とするのでしょうか。それを言い始めると、なぜ「電化しないのか」とかも議論しなくてはならないと思うのですが。--RCA 2007年8月5日 (日) 03:10 (UTC)返信
事実を事実として記述することは問題ありませんが、あくまでこの項目に関係のある事柄に限られます。気動車でない「はまなす」の青函間の牽引機が電気機関車であるからといって、その理由が「気動車は青函トンネルを自走で通過できないこと」と関係があるとは思えません。つまり、「青函トンネルを気動車が自走で通過できないから、はまなすは青函間を電気機関車に牽引される」という積極的事実を証明する責任は、それを主張するRCAさんにあります。--Kone 2007年8月5日 (日) 03:56 (UTC)返信

まだやってたんですね、これ。疑いの余地を入れられるかどうかなんてどうでもいいことです。疑いの余地がない「と考え」て、理由を記載すれば、それは記載した人の意見の発表にすぎませんから、消去の対象です。記載できません。すごく単純なことです。RCAさんはご自分のウェブサイトで意見発表するならともかく、ここはウィキペディアですから、客観的事実のみを記載してください。これは長々と議論するようなことからではありませんよ。あまりにも自明のことです。コメント依頼でも使ってみたらどうでしょう。--PeachLover- ももがすき。 2007年8月5日 (日) 04:02 (UTC)返信

理由が公式発表されて検証できない以上は、検証可能な事実のみを記載する以外にないでしょう。疑いの余地を挟むとかはさまないとか、そんなことは無関係ですし、可能性があるかどうかの証明も不要です。いずれも百科事典の記事として必要な、事実であることや検証可能性とは違った、独自研究です。 もし、青函トンネルをディーゼルカーが自走してはいけないという基準があるのならば、「その基準が存在する」という事実を書く。そして、「はまなすは客車列車で電気機関車が牽引しているという事実」を書く。それだけで必要十分です。その二つの事実の間に、「因果関係」があるだろうとは「推測」することは可能ですが、その因果関係が公式発表されていない以上、因果関係について直接に触れる必要はありません。「ディーゼルカー自走不可という基準のある事実」「電気機関車が牽引する客車列車である事実」の2つを書けば、あとは「読み手」が解釈しますからそれで十分です。百科事典は大学の講義ではないので、書き手の印象、書き手の意見、を読み手に与える必要は全くありません。

お二人が共同で「論文」を書こうというのならば有益な議論かもしれませんが、論文ではなく百科事典の項目ですので、本文からは、推測、意見、独自の見解は排除しましょう。そういう見方で見直してみてください。 --PeachLover- ももがすき。 2007年8月5日 (日) 04:15 (UTC)返信

例えば、「電気機関車で運転されている1つの理由として、青函トンネルが気動車自走できないことが挙げられる」でも無理なのでしょうか。少なくとも関係があるわけで、ディーゼル機関車で運転できない事実があるのだから、電気機関車による牽引しか選択肢はないはずです。双方が選択できる条件であれば理由を検証することは難しいでしょうが、片方が無理ならば、もう片方を選択せざるを得ないと言うことになると思うのですが、いかがでしょうか。「はまなすは札幌と青森を結ぶ客車急行」というのは事実です。この事実及び「札幌~函館間は非電化区間がある。」「函館~青森間は気動車が走れない区間がある。」という事実を踏まえると、検証するまでもない結果として表れると思うのですが。それとも、函館で付け替えなくても、木古内で付け替えればいいじゃないか、ということでしょうか。--RCA 2007年8月5日 (日) 05:27 (UTC)返信

「ウィキペディア中心の生活はできません」「自分で検証することはできません」この2点があれば十分。そんなにめんどくさいなら編集なんかしなくていいから、やめたら?--HOPE 2007年8月5日 (日) 07:08 (UTC)返信

事実を書いていただければそれでよいわけであり、表現方法の工夫によって問題は解決すると思います。「それとも、函館で付け替えなくても、木古内で付け替えればいいじゃないか、ということでしょうか」そんな話は誰もしていないのです。木古内の付替えはどこから出てきたのでしょうか? 無関係なことを持ち出すのは議論を複雑怪奇にするだけだと思いますよ。
電気機関車で運転されている理由が、本当に青函トンネルの防災上の問題なのかどうか、わからないのですよね。強く推測されるけれども、本当にそれが理由であるかわからない。だったら、「理由として」とはかけないはずです。他にも理由として考えられる事柄はありますが、わからないのだからかけません。
「はまなすは札幌~青森を結ぶ急行列車である」「電気機関車に牽引される客車列車である」で十分でしょう。もし青函トンネルに、気動車を運行できない基準があるのなら、「ルート上の青函トンネル区間は、○○という基準の第○条によって、気動車の運行が不可能である」と書いておけばよいのです。これら3つの事実を、無理にひとつの文章で結びつける必要はありません。3つの事実から、読み手は「青函トンネルの防災基準によって、はまなすは電気機関車牽引なのかもしれない」と思うかもしれません。その理由について読み手が関心を持ったら、読み手が自ら調べて、もしくは読み手がそこで納得すればよいのです。ウィキペディアの項目が、理由を明示する必要はなく、結論を出す必要もないのです。--PeachLover- ももがすき。 2007年8月5日 (日) 07:57 (UTC)返信

他の方が何度も繰り返されていますが、「理由として」とか「青函トンネルは気動車が自走できないため」とか、「青函トンネルは気動車が自走できない。ゆえにハマナスは電気機関車が~」のように、因果関係を作り上げていることが問題だということに気づいて下さい。それぞれの事実は、事実として記載されることに異論を挟む人はいないでしょう。本当に単純なことなんですが。--PeachLover- ももがすき。 2007年8月5日 (日) 08:01 (UTC)返信

こんにちわ。先にIPで発言していますが(ログインを忘れていました。)、ちょっと通りすがりに一言。私が見る限り、どちらの仰られていることにも一理ある気がします。青函トンネル内部を気動車が走行してはならないかどうか私は存じませんが、青函トンネルの背景や構造などを考えたら恐らく気動車が自力走行で走ることは不可能だろうなぁ・・と言うことくらいはなんとなく想像がつきます。(キハ183系でしたっけ?「電気機関車牽引で青函トンネル内部を走行できる改造を受けている」ってな記述あたりを見る限りの「推察」ですが。無論しつこいですが、確証など全くありません。)で、結局のところ先にも述べましたが別にどう書いても事実に極めて反する暴論やデタラメというわけでもなく、別にこの記事がWikiの信頼性を落とすほど重大な案件とも思えません。たった一行の記述の為にこれだけのエネルギーを使うのは無駄遣いと感じます。ですが、お二方ともどうやら譲る気は無い様に感じますので、何か違う方法で決定されてはいかがでしょうか?段々議論の内容からあまりよろしくない気配を感じ始めましたので、余計なお世話かと思いましたが発言させていただきました。--Ariake 2007年8月7日 (火) 11:44 (UTC)返信

確認しておきたいことが2つあります。青函トンネル内を気動車・ディーゼル機関車は走れるのでしょうか。気動車・ディーゼル機関車が走れない区間を客車列車が走行する方法が電気機関車以外にあるのでしょうか。もし、ディーゼル走行できたり、電気機関車以外の方法があれば、不毛な議論をしてきたことになります。しかし、これらが事実であれば、はまなすが札幌と青森を結ぶ客車列車であることを否定しない限り、自ずと電気機関車による牽引という結果になるかと思います。--RCA 2007年8月14日 (火) 06:15 (UTC)返信

堂々巡りですね。仮に「走れない」「他に方法はない」という立場に立って考えましょう。しかしあなたの論理では「他に電気機関車牽引の客車列車として運行されている理由」が他にないことを示すことにはなりません。つまりあなたの言っていることはいつも状況証拠だけを積み重ねようとしているんですよ。同じことを何度言えばわかるのでしょうか。事実だけを書けばよいのであり、無理に「因果関係」を特定する必要はまったくありません。これ以上そういう因果関係をあたかもひとつそれのみであるかのように書こうとするのはおやめ下さいね。--PeachLover- ももがすき。 2007年8月14日 (火) 09:08 (UTC)返信
他の理由を考慮する必要があったのですね。しかし、青函トンネルを気動車が走れないことが自動的に電気機関車牽引になっていることは否定することは難しいと思います。また、因果関係がないと、今度ははまなすに関係ないとして削除されます。相応の関係があるにもかかわらず記述しないのはいかがなものでしょうか。--RCA 2007年8月14日 (火) 09:50 (UTC)返信

(左に戻します) このノートの最初で、RCA氏の編集内容について疑義を呈し議論を開始した者です。RCA氏が、当記事を含む複数の記事のノートで似たような問題を起こした結果、一ヶ月間の投稿ブロックとなりました。よってこの議論はいったん終了とさせていただきます。今後別の展開がある際は、別途節を設けていただきますようお願いいたします。Alt_Winmaerik 2007年9月13日 (木) 08:53 (UTC)返信

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