ノート:あまちゃんの登場人物/過去ログ1

この記事が分割された経緯

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外部リンク補完

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ドラマトピックスブログNHKブログ
NHK公式サイト

--Benzoyl会話2013年7月24日 (水) 03:38 (UTC)

「あまちゃん」へリンクしているページから

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あまちゃんあまちゃんの登場人物には直接記載されていない項目を中心に抽出。他の編集者も参加してもらいたいという気持ちを表明。

人物(演者)
浅野優貴石井テルユキ大津尋葵十貫寺梅軒富岡晃一郎浜田晃平川和宏松原正隆村上かず山田泰三若尾義昭
内田尋子菅谷弥生羽里早紀子
人物(その他)
セイントフォー新田恵利吉村裕基銀次樋沢良信大向美咲青木俊直水口哲也東島衣里牧野ステテコみかん (ものまねタレント)123☆45高瀬耕造谷東三雲孝江森山未來山里亮太若林正恭
全国あまちゃんMAP! 地元サポーター [1]
ナチュラルポイントフリルフルールあっぷる学園応援部せのしすたぁひめキュンフルーツ缶山口活性学園MMJ (ローカルアイドル)LinQOS☆USakuLoveS★UTHERN CROSS
番組
スター誕生!ザ・ベストテン少女に何が起ったかマンハッタンラブストーリー大改造!!劇的ビフォーアフター仮面ライダーアマゾン世界は言葉でできている天魔さんがゆく海の上の診療所たまむすびナインティナインのオールナイトニッポン
プロジェクトX〜挑戦者たち〜サラリーマンNEOメイドインジャパン (テレビドラマ)あさイチ
その他
東日本大震災における放送関連の動きNHK東日本大震災プロジェクト2008年の日本2009年の日本役名の歌手岩手弁まめぶ汁ミサンガ浜のミサンガ 環サマーソニック昭和ノスタルジーなめ猫ガーコ無限男子オセロ (ボードゲーム)浮き玉竹刀みすず潮騒 (小説)埼玉県立寄居城北高等学校平成25年台風第18号PASゴーストバスターズだんご3兄弟
東映ビデオタムコ東京美工大和プロ

--Benzoyl会話) 2013年8月22日 (木) 03:44 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年8月30日 (金) 03:33 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月2日 (月) 12:28 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 07:50 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年10月8日 (火) 01:01 (UTC) --Benzoyl会話2013年10月27日 (日) 01:57 (UTC)

  •   質問 率直な疑問ですが、この節は何を目的に加筆を行われておられるのでしょうか。「あまちゃんの登場人物」にこれらの項目を加えるつもりであれば、それ相応の出典を用意して頂きたいですし、個人的なメモであれば個人のノートページで行って頂きたく。--Bsx会話2013年9月2日 (月) 14:48 (UTC)
  回答 個人の…に関しては、丁重にお断りいたしましょう。
リンクしているページ(※これはナマモノですので除去系編集者さんに削られた場合は、次回の検索時にヒットせずそれ故の{{節スタブ}})
には、「{{NHK朝の連続テレビ小説}}」と「{{小泉今日子}}」が混じっているため、可視化が難しいための抽出です。、
これらの項目を加えるのは検討中ということで。しかし、前述の演者すべてを記事に載せるのは特筆性的に難しいかもしれずという考えです。本来なら「ノート:あまちゃん」にてまとめるべきかもしれませんが、あっちは混み合ってるのでここを活用させていただいております。--Benzoyl会話2013年9月3日 (火) 11:30 (UTC)
  コメント御自身のプロジェクトとしてやっておられることなのに、{{節スタブ}}を付けておられることからすると、他の編集者も参加してもらいたいというお気持ちの表れなのでしょうか。でしたら、そのように話合いをはっきりと提示するべきで、現在のままでは個人のメモにしか見えないということです。はっきりとコミュニティに提示ができない状態であるならば、混乱しますので、個人のプロジェクトとして御自身の利用者ページにて作業して頂くことを強く希望いたします。--Megevand (会話) 2013年9月3日 (火) 11:41 (UTC)

  提案 この節ですが、内容を除去してBenzoyl氏個人の利用者ページへの転記を望むか(節自体は残して「転記報告」をする)、こちらで作業を続けて頂いて構わないとするかどちらかを、コミュニティで投票をしましょう。

  追記 コミュニティとしてこの節をどう扱うかの意見ですので、Benzoyl氏ご本人の本人票は無効といたしたいと思います。--Megevand (会話) 2013年9月3日 (火) 11:54 (UTC)

  節を転載 提案者票です。この節をBenzoyl氏個人の利用者ページへの転記を希望いたします。--Megevand (会話) 2013年9月3日 (火) 11:51 (UTC)
???何採決始められちゃっていらっしゃるんでしょうか。「Help:ノートページ#記事ページ」においてどのように抵触するかを明確に述べていただきたいのですが。少なくとも、記事のテーマについての自説や個人的感想を述べるためという使用の仕方はしておりません。--Benzoyl会話2013年9月4日 (水) 04:56 (UTC)
  コメント 私からすると、Benzoylさんこそ、ここで「何をリンク集お作りになられちゃっている」、正しくはどうしてこのページノートでリンク集を作っておられるのだろうと、いちコミュニティ一員として思うわけです。Bsxさんもそれを表明しているわけです。

各記事ページに用意されているノートページは、主ページの記事についての対話の場であり、百科事典『ウィキペディア』の記事を改善・充実するために使用されます。

まず対話になっておりません。なぜならばBenzoylさんは突然説明もなくこの節を作られ、どんどんとリンクをはられ、コミュニティは多少なりとも混乱をしております。少なくとも、ご自分のページでこのようなリンク集を作られてから、それをつかって何をここの参加者に考えてもらいたいのか、して欲しいのかを説明すべきです。
冒頭に「他の編集者も参加してもらいたいという気持ちを表明」と書かれましたが、これでは議論参加への呼びかけを表明したことになっておらず、「気持ちを表明」を表明しているだけです。結局は何をどうしたらいいのか分かりません。

なお、ウィキペディアは百科事典であり、演説をする場所ではありません。一般に、記事のテーマについての自説や個人的感想を述べるため「だけ」にノートページを利用することは歓迎されていません。

リンク集を作られているだけですので、演説もなにも、Benzoylさんが何をされたいのかがそもそも分かりません。そして、今もなお他の編集者の方々は何をしたら、何を考えたら良いのか分からず、誰もあなたの作業に参加されていません。つまり、何のためにこの節があるのかが分からないのですから、ガイドラインに抵触している、というよりも、「節そのものの存在の意味がないのでは」ということですので、意味あるものになるまで御自身の利用者ページで練られてはどうでしょうかと提言しております。
ここまで「この節の意味が分からない、何をしたら良いか分からない、存在の意味が分からない」と説明しているのですから、意地を張らないで、利用者ページに作業を移されたらどうでしょう。「あまちゃん」記事を良くするための提案がある程度明確になった時点で、またこちらで節を作られたらいいのですから。--Megevand (会話) 2013年9月4日 (水) 05:47 (UTC)
  追記 先ほどこのような編集がありました。もちろん、Wikipediaの内部リンクを、それが検証可能性を満たしている資料をもとに作られていない限り、それを用いることはできない(WP:CIRCULAR)のですから、リバートしました([2])。
こちらでのBenzoylさんの作業は、その目的がはっきりしない上に、こうした適切でない記事の作成を助長する疑いがもたれますので、即刻おやめになって頂きたいです。--Megevand (会話) 2013年9月4日 (水) 05:58 (UTC)
横からですが失礼。上記編集については、役者名をちゃんとした内部リンクに変えて再度載せました[3]。本日放送のタイトルバックで確認できるものです。取り消しになってしまいましたが他意はありません。ご容赦を。--Garakmiu会話2013年9月4日 (水) 06:20 (UTC)
過去ログ化を前提に節スタブテンプレート除去。--Garakmiu2会話2013年12月6日 (金) 09:49 (UTC)

単発質問・報告

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  コメント 私は「ミサンガ」はドラマのちょっとしたキーアイテムにもなっている(不幸な、あるいは良い出来事の前兆として幾度か使用されている)ので、少しばかりは記載復帰しても良いと思うのですが、どのあたりで削除されたのでしょう?削除されたものを叩き台に、記載復帰(もちろん内容も吟味して)する方向で話し合えば良いのではないでしょうか?--Megevand (会話) 2013年8月21日 (水) 13:05 (UTC)
  報告 ミサンガがコメントアウトされていましたので、ドラマに関連するところに絞って復帰してみました(参照 : [4])。--Megevand (会話) 2013年8月21日 (水) 15:36 (UTC)
ご対応誠にありがとうございました。--Benzoyl会話2013年8月22日 (木) 02:49 (UTC)
    報告 喫茶「アイドル」についてですが、竹下通りを1本入った場所は、裏原宿とはちがうようなので、いちおう原宿に変更しておきました。--Benzoyl会話2013年9月7日 (土) 08:44 (UTC)
  情報 ちなみに「NHKオンデマンド 美術チームインタビュー 東京編」では、「場所は原宿竹下通りから一本入った“裏原”あたりの設定になっています。」と書かれています。--Benzoyl会話2013年10月8日 (火) 00:22 (UTC)
  未了...   質問 ヒロシが北三陸に戻ってきたのは、厳密にはいつ(第何話で登場・判明)なのでしょうか。北三陸に帰ってきていたに、以前修正してしまったのですが。
アキと同時orアキより後だとしたら、もし4月就職だった場合、2か月で退職してすぐには帰って来なかったということなのでしょうか。
なんだか『ステラ』9月13日号ではアキと同じ北鉄(第5回)と書いてあったような。--Benzoyl会話2013年9月7日 (土) 08:44 (UTC)
  報告 一応「帰ってきた」に戻しておきました。--Benzoyl会話2013年9月10日 (火) 03:11 (UTC)
  情報 前述↑の『ステラ』の記事は→ 連続テレビ小説「あまちゃん」 Wスペシャル WONDER!web NHK
画像に「(略)アキと同じ北鉄に乗って北三陸に戻ってきた(略)」(第5回)と書いてあります。これは回想シーン(アキは第1回で北三陸に来なので)なのでしょうか?--Benzoyl会話2013年9月11日 (水) 22:14 (UTC)
    質問 小籔千豊の役名(オープニングクレジット)は、『君でもスターだよ!』の司会者で合ってるのでしょうか(カッコの表記も含めて)。一応、要出典にしておきましたがご対応お任せいたします。--Benzoyl会話2013年9月7日 (土) 09:18 (UTC)
70、75話のクレジットを実際に見て「司会者」でしたので、一応出典付きで修正しました(参照 : [5])。
ご確認と修正、誠に有難うございました。単発ゲストかつ確認済みということで出典はずしました。--Benzoyl会話2013年9月10日 (火) 09:46 (UTC)
  報告 雑誌等の扱いは「かっけー」が多いですが、字幕では「かっけえ」が多いので、そっちに変えました。--Benzoyl会話2013年9月10日 (火) 03:11 (UTC)
「字幕」というのはどの字幕でしょうか?それは誰でも確認可能でしょうか?ということが疑問としてありましたので、誰でも検証できる出典つきで「かっけ〜」にしておきました(参照 : [6])。
有難うございました。字幕はNHKオンデマンドでも使える(誰でも検証できる)ようですが、「かっけ〜」がゴールということで了解いたしました。--Benzoyl会話2013年9月10日 (火) 09:46 (UTC)
    質問 春子と黒川の年齢差についての質問です。2歳差っぽいのでコメントアウトにしてしまいましたが→「春子より1歳年上 9話、回想シーンの年齢表示」。
9話では具体的に何歳・何歳になっていたのでしょうか。--Benzoyl会話2013年9月14日 (土) 13:13 (UTC)
  情報 生年月日は 144話 春子との婚姻届に記載。--Benzoyl会話2013年10月6日 (日) 23:52 (UTC)

過剰な記載内容を整理しましょう。

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分割提案して、こちらでの「過剰な記載内容」に関しては特にそれが問題視されていないような、そんな危惧を覚えるのは私だけでしょうか。分割したから、大きくしてもいいって話ではないと思うのですが、、、。

Wikipedia:あらすじの書き方」(登場人物の説明は「あらすじ」ではないという意見もあるが、実質はあらすじと変わらない)では、「ウィキペディアにおける作品記事の目的は、物語の内容を網羅することではなく」とありますが、実際書かれている内容は、物語の内容をかなり網羅しているのではないでしょうか。

網羅して喜ぶのは、この番組のファンであると思いますが、ここはファン専用のサイトではありません。

ですので、ここにおいてもあまりにも過剰な記載内容を整理(除去もふくめ)していきたいと思います。例えば、正宗の「クリスマスの夜にサンタクロースに扮して」うんぬん。娘思いなことは、そのエピソードを1つにする(中学まで一緒に寝ていた、というものもある)などして、整理できると思うのですが。

特にここで合意をとるまでもなく(wikipediaの推奨事項に沿うわけだから)、整理や除去するにあたって疑問や確認などがあれば、こちらでコメントをして頂くなりしていただけたらと思います。それ以外は、要約欄で書いて頂ければと思います。整理内容について反論があれば、リバートをむやみやたらにするのではなく、それもこちらで議論して頂きたいなと思います。

よろしくお願いいたします。--Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 00:04 (UTC)

コメントアウトされた水口琢磨に関する記述を復帰しました。これについては、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)に基づいて、「現実世界の観点に立って記述する」、二次情報を元に記述するという考えで加えています。それがなければ、登場人物記事は、結局一次資料(物語の記述そのもの)だけで書くものになってしまわないでしょうか?
そもそも、登場人物一覧で、出典の挙げ方など、お手本になるような記事を見たことがないので試行錯誤しながらこういう現実世界の視点を加えているのですが、何が書くべきことでそうでないのか、根本的なあり方をクリアした記事があれば教えてもらいたいです。--Garakmiu会話2013年8月9日 (金) 03:28 (UTC)
  コメント Garakmiuさんが仰られることは、良く理解しました。私の意見としましては、「登場人物の一覧」は分割前の元記事があるので、そちらに社会的な影響などの「現実世界の観点」にたった記述があれば事足りる思うのですが(しかもページ冒頭で{{Pathnav}}でツリー構造が示されてるし)、この考えは間違っているでしょうか?もしくは、「登場人物の一覧」ページにも「エピソード」節を作るとかが考えられないでしょうか?しかし、そうすると分割元の記事と重複してくることも考えられ、結局は分割元の記事に組み込めばいいのではないかという考えに、私だったら帰結するんですが...。あるいは「ドラマの社会的な影響や反響については元記事を参照」と冒頭などに書くとか。
Garakmiuさんが仰られるような「根本的なあり方をクリアした記事」については、私もこれから注意して見て行きたいと思います。--Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 10:48 (UTC)
  コメント ファン専用のサイトではないもののの、作品を一度も見たことがない人にとっても「(ある程度)調べ物に役立つ」そして検証性を含め何処よりも精度の高い(誤りのない)記事であるべきかとは思います。一般のまとめサイトと比較しても。
いずれ、最もアクセスしやすく純粋な資料であろう公式ホームページも、閉鎖されてしまう(前作「純と愛」は5/31に閉鎖)可能性が高いわけで(「ちりとてちん」のみは例外?)。しかし、ウェブアーカイブに残っていれば問題ないとも考えられ。
と書きつつ、結局何をいわんとしてるか意味不明なコメントで申し訳ございません。
本記事において、正宗「サンタクロースに扮して」はアキ「サンタクロースの存在を本気で信じる」と相互関係になってるのでは。--Benzoyl会話2013年8月9日 (金) 21:14 (UTC)
一次・二次情報に関しては「ノート:あまちゃん#NHKオンデマンドは出典として認められますか?」もご参考。--Benzoyl会話2013年8月9日 (金) 21:22 (UTC)

1. 注釈の使い方

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早速、問題提起ですが、注釈は基本どのように使えば良いでしょうか?例えば、花巻珠子の洋楽ネタや、たとえツッコミネタはもともと本文に書かれたものでしたが、後に注釈にまわされました。「洋楽に詳しい」と書くなら、「どんな風に?」と思って書くのを良しとするのか、「いや、"洋楽に詳しい"だけで充分だ」とするのかで、意見が分かれると思いますが、Wikipediaとしてどうあるべきなのか、悩むところです。分割前の私は、どうして良いか分からなかったので、とりあえず除去せずに注釈にしていましたが、これを続けるのは無理があるのかなとも思い始めています。

現在の記事の中には、以前の私のような考え方で編集すれば、「注釈」になるような「候補」がワンサカあると思いますが、これを全て注釈にするようなことでは、内容の整理になっているのかどうか甚だ疑問ですし、とはいえむやみやたらに除去するというのもどうかという疑問もあります。--Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 00:21 (UTC)

  報告 鈴鹿ひろみの歌手活動(もちろん影武者をつけての)の部分、「潮騒のメモリー」以外は特に重要でもなく、「歌手活動が順調であった」という事実が分かれば充分なので、その他の楽曲は注釈に入れました(除去しようとも考えましたが...)(参照 : [7])。--Megevand (会話) 2013年8月17日 (土) 10:34 (UTC) (訂正 --Megevand (会話) 2013年8月17日 (土) 11:10 (UTC)

2. やたら細かい描写

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やたら細かい描写が目立ちますが必要でしょうか?例えば、栗原しおりの説明(ついでに言うと、足立ヒロシもそう)。

職場で一人で踊る姿を見られたことをきっかけにヒロシと心の距離を縮め交際を始めるが、アキに未練を残す彼の様子に嫉妬するとともに性格の不一致が顕著になり終局、吉田との結婚を決める。

この差分から

単純に、「ヒロシと職場恋愛をするが、性格不一致のため終局。吉田との結婚を決める。」でいいのではないでしょうか?細かいことを言えばキリがないですし、心理描写をいちいち事細かくかく必要性が果たしてどこまであるのか疑問に思うところです。--Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 12:39 (UTC) (訂正 --Megevand (会話) 2013年8月9日 (金) 15:44 (UTC)

  報告 正宗の「サンタクロースに扮して〜」の部分は省きました(参照 : [8])。アキ自身がサンタクロースを信じているということと関連するのでしょうが、アキの説明のところにそのことが書かれているだけで充分だと考えます。全ての登場人物に関連するよう網羅をしていたらキリがないと思います。--Megevand (会話) 2013年8月17日 (土) 10:32 (UTC)

  報告 水口の「寮到着直後のアキと同部屋に寝て手を出さなかった〜」の部分は省きました(参照 : [9])。さほど物語全体に大きく関わる部分ではないと判断します。それよりも「アキの相談にのっていた」の方が大事かと思います。--Megevand (会話) 2013年8月17日 (土) 10:52 (UTC)

小道具から解析された人物設定

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この記事を拝見するに、執筆者が小道具の描写から人物設定を「解読」しているケースが多々見られます。以下はその一例。

  • アキの生年月日→「81話中に出てくる芸能事務所が管理するプロフィールの書類」
  • 春子の生年月日→「76話中に出てくるオーディションの書類」
  • アキ、ユイの漢字表記→「事務所との契約書」
  • 小野寺の生年月日→「85話の小野寺薫子オフィシャルブログ画面」「21週のオーディション応募書類」
  • 「プロダクトA」の語り担当→「107話の画面にテロップで表示」

これはあくまでも、執筆者が「解読」しているだけであり、公式サイト等で言及がない以上は、これが公式な設定であることの検証とはならないと考えます。ついてはこれらの記述をすべて除去されるか、画面上でこのような表記があった(公式な設定であるとは限らない)と正しく記す必要があると考えます。このことについて、執筆された方のご見解をお伺いしたいと思います。--Bsx会話2013年8月25日 (日) 00:52 (UTC)

  コメント この他、水口の生年月日、ヒロシの漢字表記もそうですね。画面上でこのような表記があった(公式な設定であるとは限らない)を希望いたします。純と愛では生年月日の矛盾点(?)発生あったようですし。--Benzoyl会話2013年8月25日 (日) 01:00 (UTC)
  コメント 画面上でこのような表記があった(公式な設定であるとは限らない)旨の記述の添付を希望いたします。ちなみに純と愛だけでなく、梅ちゃん先生(主人公・梅子の生年月日が設定との矛盾点が生じ、途中から変更)や、おひさま(髙橋夏子の生年月日が『大正元年1月1日』と表示)も矛盾点発生がありました。--シロクマスイッチ会話2013年8月25日 (日) 01:51 (UTC)
  コメント 画面上でこのような表記があったがよいと思います。--Garakmiu会話2013年8月25日 (日) 04:25 (UTC)
  コメント私は当初そのような記述が他ユーザーからあったので解読に加わったのですが、その当時と現在とでは考え方が違ってきております。公式データではなく、矛盾点をはらむ誕生日設定なら、除去してよいのではないでしょうか。小道具だから、とりあえず空欄では具合が悪いので記入しておいた、とも考えられます。また、ファンサイトではないのですから、わざわざ一画面をストップさせてでしか判明しないものをわざわざ解読してまで記述することもないと考えます。--79.91.212.197 2013年8月25日 (日) 04:36 (UTC) 左記署名は--Megevand (会話) 2013年8月25日 (日) 04:38 (UTC)です(自動でログアウトしてしまった)

  報告 上記についてはとりあえず編集しましたが、他にも画面上の解読のみで語られている部分が多数あるので、相当に手直しが必要だと思います。--Bsx会話2013年9月2日 (月) 22:13 (UTC)

ご対応ありがとうございました。--Benzoyl会話2013年9月3日 (火) 11:10 (UTC)
  報告 この節で話し合われているのとは微妙に違う理由ですが、水口琢磨の年齢について、生年月日を記述する形にされる前の、作品内時間と話数の時点での年齢記述を復活させました。これはナレーションで言及されたもので、これが画面上の解読のように手直しが必要と皆さんが判断されるかどうかは分かりませんが、一応。理由はノート:あまちゃん#単発疑問点で以前に述べたとおり、ヒロインの相手役候補の一人であるためです(このことは『ステラ』2013年8月16・23日合併号でも言及されています)。--Garakmiu会話2013年9月3日 (火) 17:07 (UTC)

出典無き記述の一律除去(予告)

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1箇所を除いて要出典範囲を除去--Bsx会話2013年9月16日 (月) 00:38 (UTC)

先のセクションでも申し上げましたが、本記事に書かれている記述の大部分が放送されたストーリーだけで語られていることを根拠にしている状況にあります。「NHKオンデマンドが出典になり得るか」という質問もありましたが、そもそもそのエピソードが第何話のどこに登場するかすら書かれていない状態では、150話以上の全ストーリーからそのエピソードを検索することを求めているのと同じで、これは執筆者が閲覧者に「ググれカス」と言っているようなものであり、事実上出典が全く示されてない状態にあるといわざるを得ません。

ついては、このたび出典がないと思われる範囲すべてに{{要出典範囲}}タグを付与させて頂きました。10日ほど待ちますので、これらの記述を残すべきと思われる方はすべてに出典(公式サイトや外部媒体などでそのことに言及のあるソース、あるいはせめて第何話のどこに登場したか)を付けてください。10日待って有意な出典がなかったと思われる記述については、出典無き記述としてすべて一律に削除します。念のため申し添えますが、私はこの間、出典付けの作業は一切行いません(出典を示す責任は掲載を希望する側にありますので)。また、出典が明示されないのに{{要出典範囲}}タグを除去するような行動が見られた場合は問答無用で差し戻しますし、これが繰り返された場合は荒らし行為と判断して保護依頼も検討します。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 03:08 (UTC)

  追記 上記の除去措置ですが、本文のみならず、現在55点ある注釈のほとんど全て(要出典タグは今のところはられていませんが [10])が今回の対象にならざるを得ません。以上、注意喚起のための報告でした。--Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 11:13 (UTC)


  報告 先ほど、1箇所を除いて{{要出典範囲}}の除去を行いました。なお、栗原の「2011年3月11日の東日本大震災当日。」に関しては、タグを付与された利用者:Moonstar24会話 / 投稿記録さんの 2013年9月13日 (金) 16:11 (UTC) のコメントに鑑み、当面存置しておりますことを報告させて頂きます。
執筆者の皆様にはある種の無理難題を押しつけてしまったような格好になったかとは思いますが、皆様のご尽力のおかげをもちまして、記述のほとんどに出典が付けられた形になり、記事の質の向上が図れたのではないかと思います。これを踏まえて、次の段階として「記述内容の推敲」に移らさせて頂きたく思います。皆様ご協力ありがとうございました。--Bsx会話2013年9月16日 (月) 00:38 (UTC)

除去予告に対する意見

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  反対 現時点のこの措置に断固反対します。ちゃんとステップを経て提案してください。
予告とはいえ、ちょっと行き過ぎた措置ではありませんか。現在のドラマ記事でそのような取り決めをして書かれている記事は僅少で、「エピソードリスト」を使っている部分のみがBsxさんにとっては適切なものであるということでしょう。もちろん検証可能性を満たすことは大切です。が、これまで「全ての登場人物の記述に話数を施すべき」という提案がなされていないところに、いきなり「10日間の猶予を与えるのでそれまでにできなかったら除去。私はその作業に関わらない」とは、あまりにも措置が過ぎています。せめて、事前にローカルルールとして採択するか、もっと大きくはプロジェクト:テレビドラマで採択すべきではありませんか?
これまでのドラマ記事編集方針が良かったとは申しません。ですが、いきなりこの措置(「する」と断言されているので提案ではありません)はないと思います。
他のドラマ記事全てにもこの措置を施されるおつもりでしょうか?そして、敢えて今から聴いておきますが、もし「いや、全てにこの措置は施さない。あまちゃんだけだ」と仰るのならその理由は何ですか?全てのドラマを見ていないから、ということでは説明になっていないことを事前に申しておきます。--Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 05:06 (UTC) (訂正 --Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 05:22 (UTC)
私はこれまで幾度となく「ノート:あまちゃん」において過度な編集を抑制するためのルールを作りましょう、と呼びかけてきましたが、残念ながら現状維持(すなわち、各執筆者の自由意思に任せたい)という強い意見が繰り返し見られましたので、ルール作りを断念して、私の自由意思による編集方針に切り替えた次第です。
他のドラマがどうなのか、とおっしゃられますが、例えば良質な記事に選ばれている『リッチマン、プアウーマン』を見ても、登場人物節の冒頭に「「NEXT INNOVATION」社員の肩書の出典は公式サイト、ノベライズ、月刊『ドラマ』収録シナリオ、およびコンテンツの「NEXT INNOVATION」サイトより。読み仮名などの出典は公式サイト相関図と放送やホームメディアで確認できるものである。」と明記があり、少なくとも(各回のあらすじと重ね合わせることで)記述内容に対する出典の担保がありますが、少なくとも本記事に関してはそういった状況から遠くかけ離れた状態と断じざるを得ません。
もう一つ、私が本記事にこの措置を導入するのは、本記事に於いてほとんどの執筆者が「第三者が整理してくれることを期待してみたままを書き散らかしている」と判断せざるを得ない状況にあるからです。「あまちゃん」本体の方は、たまたま(LTAによる荒らし行為という不可抗力とは言え)半保護となったことにより一定の抑制が働いていますが、その反動がこちらに来ているとも考えられ、そういう状況を打破するには残念ながら「大なた」をふるうしかないと考えた次第です。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 05:30 (UTC)
  コメント 良質な記事のドラマをとってきても、ご回答頂いたことに全くなっていません。良い例ではなく、Bsxさんにとって悪い例もごまんと存在しているでしょう。それも含めて、他の全てのドラマにそのようにされるおつもりでしょうか、とお尋ねしています。念のために繰り返しますが、検証可能性を満たそうとする今回の考えは間違っていません。ですが、いきなり暗闇から現れて大なたをふるわれるコミュニティメンバーの身にもなってください。正論ばかりでは人は誰もついてきません。--Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 05:51 (UTC)
また、こういうことは言わなくてもお分かりでしょうが、いくらBsxさんが「私の自由意志で編集する」ことにしたとしても、今回のような大幅な除去を含めた編集はコミュニティの合意が必要です。でなければ、いつから独裁主義がWikipediaを闊歩するようになったのかと、疑義の念を抱かざるをえません。皮肉でも何でもなく率直な気持ちです。--Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 05:59 (UTC)
  コメント まず、すべてのドラマに今回の措置を強行するつもりはありません(そもそも、日本国内で放映されるすべてのドラマを私が全部チェックできるわけではありませんし)。ただし、「他のドラマに適用するつもりがないのならば本ドラマにも適用するな」というのは、残念ながらWikipediaの基本的ルールを軽視した詭弁としかいいようがないと思います。
私は 2013年4月6日 (土) 10:07 (UTC) の時点で『「毎日の放送の見たままを即座にまとめる」編集を繰り返す行為はいかがなものか』と申し上げておりますが、その意図が一向にご理解頂けない以上は、書き散らして出典付は他人任せの方々に自ら責任を取って頂くしかないと判断した次第です。コミュニティでの合意を再三主張されておられるようですが、残念ながらここまでコミュニティの意思として「編集ルールを設けない」という方向性になっている以上、コミュニティの(あるのかないのか判らない)意思に阻害されるのは(自分の加筆を除去されないが為の)単なる「時間稼ぎ」にしかならないと判断せざるを得ません。
今回の措置に至った経緯やその意図については本ノートやノート:あまちゃんでの議論にご参加頂いているMegevandさんならおわかり頂けると思ったのですが、非常に残念です。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 12:26 (UTC)
  コメント それならば、こちらのドラマのローカルルールとして合意を得てから行うべきだと思います。もちろん、仰られている話合いに私は参加していましたし、Bsxさんのお気持ちも仰ることも分かります。ですが、だからといって強行突破が許されるとは思いません。
別の考えとして、他のドラマに適応しないつもりで、あまちゃんに適応はOKということですが、今回されようとしている措置はドラマすべに関わる大事なことです。全てのドラマに関わっていなくとも、同種の編集方針をもつものとして考慮することを「詭弁」と表されるのですか?甚だしい暴言です。冷静に議論を進められるBsxさんだと思っていたのですが、こちらこそ残念です。--Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 12:39 (UTC)
  コメント このドラマのローカルルールとして合意を得るのも到底無理でしょう。
「あまちゃん」での過度編集を契機にプロジェクト‐ノート:テレビドラマ/NHK朝の連続小説テレビドラマの編集方針についてご提案として議論を始めたのが 2013年4月13日 (土) 08:01 (UTC) 、議論がまとまる気配がないため、とりあえずローカルルールからということでノート:あまちゃん#ローカルルール導入の提案としてローカルルールの議論を始めたのが 2013年7月19日 (金) 11:07 (UTC) 、私が議論打ち切りを宣言したのが 2013年8月9日 (金) 23:36 (UTC) です(その際「他の方が同じ提案を行うことについては妨げません」と明記しましたが、以後議論が再開される気配は全くありません)。2クール(6ヶ月)放送のドラマ記事のための簡単な執筆ルールを定めるのに丸4ヶ月かけて結局合意が得られないくらいですから、今から議論を始めて早期に議論がまとまるとは思えません。それこそ、(執筆ルールを作らせたくない)反対派のアリバイづくりにされて終わりでしょう。
今まで、何とか議論をもって皆の合意を得てルール作りをしようと尽力してきましたが、少なくとも「あまちゃん」関連に関しては 2013年8月9日 (金) 23:36 (UTC) の時点で心がポッキリと折れてしまったというのが正直なところです。--Bsx会話) 2013年9月5日 (木) 13:05 (UTC)微修正--Bsx会話2013年9月5日 (木) 13:07 (UTC)
  補足 2013年9月5日 (木) 12:26 (UTC) の私のコメントで、「Wikipediaの基本的ルールを軽視した詭弁」と申し上げたのは、今回の措置の根拠としたWikipedia:検証可能性がウィキペディアの内容に関する三大方針の一つであって、プロジェクトルールなどとは次元の違う話だからです。ドラマすべてに関わること以前に、すべての記事に共通して担保されるべき検証可能性の欠損状態を放置することはいかがなものかと考えるのですが。--Bsx会話) 2013年9月5日 (木) 14:39 (UTC)位置移動--Bsx会話2013年9月5日 (木) 14:41 (UTC)
  コメント もちろんそうなんですが、WP:5では「ウィキペディアには行動規範があります」として、「あるひとつの点を例証するためだけにウィキペディアを混乱させることのないようにしてください」と謳っています。これは方針です。何も、Bsxさんの仰ってることが間違ってるとはいってません。しかしやり方が強引で、そういう意味で間違っていると思います。いずれにせよ、いくらかの反対意見がある中で10日後の除去を強行することは、要出典を無断ではがすのと同様、差し戻しをせざるを得ませんし、それが繰り返されるのならば保護依頼をせざるをえないでしょう。--Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 15:06 (UTC)
  コメント そもそもなんですけど、「検証可能性」と「みたまま逐次編集」は、同じ俎板の上で議論されるべきではありません。「検証可能性」を満たしたからといって、「見たまま編集」が改善されるとは思いませんが(どんな細かい描写もとりあえず話数が出典として出されていたらOKというロジックのように思えるから)、Bsxさんはそのあたりはお分かりのことだと思うのですが......。それとも、「見たまま逐次編集」の認識が違うのでしょうか。私は、本筋とはあまり関係のない、そしてやたらと細かい記述編集だと思ってたのですが。まぁ、その議論はここでは良いとしますが、なにかすごいボタンの掛け違いをこのコミュニティメンバー間でしているような、ないような、そんな不安に駆られましたのでコメントいたしました。--Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 15:38 (UTC)
  コメント 今回の「予告」に関しては、Wikipedia:五本の柱を踏まえた上でこのような形を取らせて頂いております。もし本当に(非難されるべき)強引な手法を取るのであれば、昨日の時点で出典の無い記述を即座に除去していたでしょう(現に、そういった手法をとられ、他の編集者の方々と軋轢を生じさせている編集者さんを何人も知っています)。そのようにしたくなかったので、一定期間の猶予をもって行おうとしているのですから、これを「強引」と言われるようであれば、本記事あるいはドラマのコミュニティに於いては「何もするな」と言われているのと同じではないかとすら感じるのですが。
「検証可能性」と「見たまま逐次編集」の相関性に関しては、テレビで放送された流れをそのまま拾う編集を繰り返しているがために、後からその内容を誰も咀嚼しない(その事柄が番組全体の中で重要な事柄だったのかどうかを検証しない)編集行動となっているから、このような状況が生じているのではないかと考えます(このことは、これまでの議論で何度か触れた記憶がありますが)。そういった意味では、両者の間には少なからず相関性があり、どちらか一方をきちんと改善しようとすれば、自ずともう一方も改善の方向方向性が見いだせると考えていますが。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 22:43 (UTC)
  コメント Bsx氏の発言「『他の方が同じ提案を行うことについては妨げません』と明記しましたが、以後議論が再開される気配は全くありません」についてですが、当方は一度呼びかけいたしましたが、Megeband氏以外に特に賛同意見がつくことはなく、Bsx氏のローカルルール提案取り下げがあり、その後プロジェクトにて再提案しても、特に賛同者が出ず、今に至っている状況です(参照:ノート:あまちゃん#ローカルルール導入の提案における当方の2013年8月5日 (月) 11:55 (UTC) の発言・プロジェクト‐ノート:テレビドラマ#注意 : 個人ルールが強行されようとしていますにおける、当方の2013年9月5日 (木) 12:28 (UTC) の発言)。お盆前に当方はウィキブレイクし、今に至っていますが、あれこれ議論するパワーを当方も失ってしまっています。パワーのいる議論等は不本意ながら先送りするかどなたかに立ち上げていただかざるを得なくなっています。そのため、再開したくても当方によって再開させることが正直難しくなっているのです。--Don-hide会話2013年9月8日 (日) 06:07 (UTC)
  コメントBsxさんはすべての記述に出典を求めてこのような大なたを振るうつもりでいるようですが、Wikipedeiaは誰でも自由に編集できる百科辞典なのですから、Bsxさんも出典の明記に協力すべきでしょう。--Seriola会話2013年9月5日 (木) 10:25 (UTC)
今まで、ある程度は(手持ちの資料で判る範囲では)出典の明記を行ってきたつもりですが、ここまで(出典の明記に関して)他人任せの執筆者が闊歩している状況では、そういった方々の尻ぬぐいをするのにも限界があります。それだったら、そういった典拠不明の記述を一旦クリアにしてから自分でこつこつ出典を探して書き直した方が何倍もましだ、と判断した次第です。
ここまで加筆してこられた方々も、ほとんどが「放送直後の見たまま」で書いていらっしゃると判別できますので、第何週の放送であった出来事か、ぐらいは自分の投稿記録を振り返ればそんなに難しい話ではないでしょう。それを自分で責任を持って書いてくださいね、とお願いしているだけなんですけどね。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 12:26 (UTC)

  報告 現行、このドラマ記事の管轄である「プロジェクト‐ノート:テレビドラマ」にて、この節で述べられている措置の要約を述べ、反対意見はこちらにしていただくよう表明しましたので、ご報告いたします。 --Megevand (会話) 2013年9月5日 (木) 10:32 (UTC)

  反対 多分ですが、「あまちゃんメモリアルブック」でキャストの多くの記載されるのではないでしょうか、『純と愛』の時のように。花巻鈴・琴などにまで要出典とかどうなんでしょうか。「第何話のどこに登場したか」で済むならそれでもいいですが、現時点で最早やりすぎでしょう。--Benzoyl会話2013年9月5日 (木) 13:09 (UTC)

  コメント 私の 2013年9月5日 (木) 03:08 (UTC) のコメントをよく読んでください。「せめて第何話のどこに登場したかを付けてください」と明記しております。現状でそれすらサボっている執筆者ばかりなので、大なたを振るう判断をしたまでです。『「あまちゃんメモリアルブック」でキャストの多くの記載される』のを期待するのであれば、それが出版されてからきちんと出典として明記してくださいませ。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 13:22 (UTC)

確認ですが、春子について、極力注記をつけましたが、この情報があれば、出展として認められるのでしょうか。 --Moonstar24会話2013年9月5日 (木) 17:38 (UTC)

  コメント 少なくとも、話数などが示されていればNHKオンデマンドやホームメディア等で検証は可能になるだろうと思いますので、「出典のない状態」にはなっていないと判断します(逆に言えば、今までそれすら無かった記述ばかりだったということにもなるのですが)。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 22:43 (UTC)
  反対 これだけ反対がある状況では差し戻しを荒らしとすることも保護依頼も通らないでしょうね。まず出典の提出に10日間しか時間がないのは短すぎると思います。最低でも2週間くらいは必要では?杓子定規に出典のない部分を除去すれば文章はかなり崩れますが、結果として記事破壊になるわけで、それを考えても出典を追加する側に与える時間は十分とるべきでしょう。
誤解して頂きたくないですが、出典をつけることについては大切だと思いますし協力するにやぶさかではありません。しかし、今までプロジェクトなりノートなりで、人物説明の具体的な書き方のモデル、出典を付けるスタイルなどが具体的に検討されたものの、結論は出ず、いわば具体的な「お手本」を誰も示さないままここに至っているわけです。その中でたった一人の編集者が一方的に今回のような一律除去をするなら、する側には人物説明の具体的な理想像があるのだろうと考えられますので、それが適用されたスタイルのマニュアルを自らの手で示してほしいと思います。このノートでもいいですから、本記事の人物を一名挙げて書いてみていただけませんか。今の状態では、目標のないまま暗闇の中を歩くように試行錯誤したあげく、ただ「お前らは間違っている」と一刀両断されるようで、参加する人のやる気を削ぐばかりです。--Garakmiu会話2013年9月5日 (木) 18:24 (UTC)
  コメント まず、Garakmiu さんをはじめとする皆様に申し上げておきますが、私は本件に関して皆様の賛否を求めていません。あくまでも「私はこのようにします」と予告を申し上げているだけです。本当にやめろとおっしゃるのであれば、(Wikipediaの基本的なルールである)「Wikipedia:検証可能性」を軽視してよい、あるいは「Wikipedia:出典を明記する」をドラマの記事に関しては無視して良いという具体的な事例なり資料なり根拠を提示してください。
その上で Garakmiu さんにコメントしますが、私が今回設定した「10日間」という期間にはそれなりの根拠があって、一つには「週末」を2回挟んでいること、今ひとつには放送終了前にこの措置を行うべきだと判断したためです。前者に関しては、多くの人が週末に執筆活動を行っておられること(本記事に関しては必ずしもそうではないようですが)がありますし、後者に関しては放送期間中の方が出典が探しやすいだろうと判断した(もう少し突っ込んで言えば、放送終了後は皆の興味がそがれて付けられるべき出典もつかなくなる懸念がある)ということがあります。その意味では2週間でも同じと言えば同じですが、結果的に平日が中4日増えるだけですから実態としてそんなに変わらないだろうと思っています。
もう一つ、これは Megevand さんにもコメントしたことですが、ドラマの分野に関して、プロジェクトなりノートなりで何らかの合意を得てルール作りをすると言うこと自体が極めて困難な状況に陥っている、ということがあります。それは、複数の執筆者さんが「Wikipediaの基本的な執筆ルールに則っていればプロジェクトなりノートなりで別の執筆ルールを定めるべきではない」というスタンスを崩されていないからであり、結果的に(少なくとも多くのドラマの分野では)合意形成が機能不全に陥っていると判断せざるを得ないためです。もし出典のつけ方について何らかの合意形成(ルールとしての明文化、あるいはスタイルのマニュアル化)を諮ろうとするのであれば、例えば今回の事例を一つのケーススタディにすることも可能ではないかと思いますし、皆様の編集スタイルのもって是非を話し合って頂ければと思います。私は「(プロジェクト内ルール化を含めた)議論からは完全撤退する」と宣言しておりますので、議論には加わりませんし、スタイルに関して事前に何らかの例示を示すつもりもありません。--Bsx会話2013年9月5日 (木) 22:43 (UTC)

回答、ありがとうございます。できれば、検証可能と判断された箇所については、徐々に、「要出典」を解除頂けると幸いです。意見としては、私は春子のシーンは良く覚えており、かつ、全ての回を録画しているので、話数のレベルであれば、録画を見直すことで、情報を追記することは可能ですが、そうでない状況(特に録画していないような状況)においては、皆さんがかなり連携でもしない限り、設定された期間において、注釈をつけるのでもかなり困難だと思います。春子については自分で記事を書いたこともあるので、それに関しては優先的に追記を行います。その後、時間があれば、他の出演者の方も極力、注釈を付けたいとは思いますが、休日を全てその作業に費やすわけにもいかず、期間は少し短いと思います。せめて、削除ではなく、まずは暫定的にコメントアウトにして、期間をもう少し延ばした方が良いとは思います。 ただし、出展がないものを機会的に削除やコメントアウトをしてしまうと、文脈がおかしくなってしまうことを懸念します。--Moonstar24会話2013年9月6日 (金) 00:16 (UTC)

  コメント {{要出典範囲}}に関しては私も適宜チェックはしますが、出典を付けられた部分についてテンプレートを除去するのはかまわないと思っています。他の方もそうされておられますし(要は無条件にテンプレートだけ外す行為は差し戻す、という意味です)。
出典を除去した後の文章の最低限の整理は責任を持って行う予定です。--Bsx会話2013年9月6日 (金) 12:16 (UTC)
承知しました。ただし、1点お願いがございます。{{要出典範囲}}を外したところ、一部、注釈のところで文法エラーになっていることに気付きました。色々、調べましたが、修正方法が分かりません。申し訳ありませんが、注釈の文法エラーの部分については見直して頂けないでしょうか。--Moonstar24会話2013年9月8日 (日) 06:57 (UTC)
Wjp28yさんのお陰で、エラー回避できていました。ありがとうございました。--Moonstar24会話2013年9月8日 (日) 08:42 (UTC)
  報告一回目は一見エラー回避できているように見えましたが、{{要出典範囲}}が変わってしまい差し戻しました。一つは152行(「北三陸市観光協会の人々」節の菅原保)に貼り付け日がなかったため補完しエラー回避しました。もう一つ、126行(「海女・漁協関係者とその家族」節の花巻珠子)ですが、{{要出典範囲|<ref group="注"></ref>【{{refnest|group="注"|】{{要出典範囲|【<ref group="注">】|date=2013年9月}}【</ref>】【}}】|date=2013年9月}}|date=2013年9月}}・・・と、【注釈】に【注釈】が入っていたためエラーが出ていたのだと思われます。ですので該当部分を{{要出典範囲}}が変わらぬよう修正しました。その後、納得いかず再検証しているところ、Moonstar24氏の除去によって126行の全ての作業が終了しました(お気づきいただきありがとうございました)。また、当該部分以外の文中に|date=2013年9月}}が見えてしまっているので修正等しておきます。--Wjp28y会話2013年9月8日 (日) 09:27 (UTC)

  質問 公式サイトの登場人物に書かれてる事柄まで、全部細かく出典付けろって考えですかね。ベロニカの山梨・ブラジルとかも。refらせて記事に負荷かけまくって、執筆しづらいよう苛めたおすお考えなのでしょうか。--Benzoyl会話2013年9月6日 (金) 01:28 (UTC)

  回答 公式サイトに書いてあれば「公式サイトにある」と明示すればいいだけです(必ずしも<ref>タグを活用しなければならないわけではなく、節の冒頭で明示することだって可能なはずです)。逆に言えば、今までそれすら行われてこなかったということです。
「refらせて記事に負荷かけまくって、執筆しづらいよう苛めたおす」と本気でお感じなのであれば、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:出典を明記するを全文きっちり読んで下さい。それでも納得がいかないのであれば、Wikipediaでの執筆活動を続けるかどうか再考されることをお勧めします。--Bsx会話2013年9月6日 (金) 12:16 (UTC)
出典つけるのもつけないのも、きりがないということですよ。よその記事でできないのになぜ此処だけに執着なさってるのかということですよ。出典を無駄に増やさないのも知恵でしょう。今後出典数夥しく増えるでしょうし、できれば「公式サイト典拠」部分は割愛したく。
「公式サイトにある」のBsxさんの見解説明をもっとはっきりして頂けませんかね。節の冒頭ってどこですか?例えばGMTメンバーの「公式サイトの登場人物記述」に関する出典免除は、どこに(何箇所)置くべきですか。当該部分が文頭になく文中にある場合もあり(極力「公式サイト典拠」記述部分は文頭に持ってくるべきなのか)、どこが公式サイト典拠か分かりづらいのも厄介ですが。--Benzoyl会話2013年9月6日 (金) 12:42 (UTC)
Wikipedia:出典を明記するの記述や『リッチマン、プアウーマン』の記事での記述方法を参照にされましたか? 例えば「○○については公式サイトの記述に基づく」といった記述を明示しておけば、出典が全くない状態とは言えなくなるでしょう。念のため申し上げますが、そのとおりにしろと申し上げるつもりは毛頭ありませんし、他にもハーバード方式など出典の明記に関して整理の方法はいくらでもあるはずです。--Bsx会話2013年9月6日 (金) 13:33 (UTC)
その記事とは状況が違うので、あんまり参考になりませんでしたが(この記事の場合「○○については」で絞れるものではない)、なんとなく参考になりました。誠に有難うございました。--Benzoyl会話2013年9月7日 (土) 08:49 (UTC)
  コメントえーと、Bsxさんにとって期待される記事が「今の記述に出典を加えたもの」であるなら、なすべきことは、「出典をつけること」でしょう。もし、ここの記述の中に除去すべきものがあるのなら、除去すればよいと思います。詳細に書かれすぎているという考えなら、適切な量に留めてもいいと思いますけれども。
大鉈の結果が、情報量の減少や執筆者のやる気の喪失では意味がありません。そして、Bsxさんの予告に対して、否定的な意見が生じ、記事の改善ではなく議論に労力が費やされてしまっている現状があります。
検証可能性も大事ですが、Wikipedia:編集方針も大事です。そこには、「時には、本当に低水準の作品には、それを単に直すだけでなく、批判することもよいでしょう。ですが、最も大事なことは、それが直せる限りは直すと言うことです。」と書かれていますし、「要出典タグで出典を求める。」のは、「他の編集者に協力を求める」のであって、他の編集者に強制するものではありませんよね。
方針を使って強制するのではなく、協力を求めるのですから、自分で作業しない、できないのなら、せめて少しずつでも出典を加える作業を進めるためにはどうするかを考えて、必要性を説き、どうやってつけるのがいいか解説し、あるいは、どこに情報源があるか案内することも必要だと思いますよ。--Ks aka 98会話2013年9月7日 (土) 10:25 (UTC)
  コメント ドラマの人物記事で書かれることについて、どうやって出典を示しながら書くのが良いか、というのは、プロジェクトで話し合うのが好ましいと思います。そのケーススタディとして、この記事を使うというのも悪くないと思います
そこで、どんな立場からでも、情報源を示さなくてもいい、というのは、ウィキペディアの方針上、ありえないはずです。直接対応する公式サイトのページをどう扱うかとか(個人的には「登場人物ページ」(あらすじなどのページを使うならrefで対応させる)に関しては(外部リンクに加えて)参考資料の一番上に書いておけばいいと思いますが)、放映中でDVDやまとまった刊行物があまりない状況で放送そのものを情報源としてどう扱うか、とか、そういうちょっと微妙なところの落としどころを探る必要がある。
それから、新しく参加した執筆者も多いでしょう。歴史や法律や化学の記事と違って、情報源を示しながら書くような論文作法に通じていることも、期待ににくいです。そういう人たちをサポートして理解してもらうっていうのは、労力がかかりますけれども、どういう出典の示し方ならわかりやすくできるかみたいなことも含めて、プロジェクトとしてどう取り組んでいけるか。
ウィキペディア日本語版では、あんまり成功しているプロジェクトはないんですけど、そういうふうに考えていただけると良いなと思いました。--Ks aka 98会話2013年9月7日 (土) 11:25 (UTC)
  コメント Ks aka 98 さんへ。おそらく事実誤認があると思われるのでこの時点で敢えて明言しておくと、「出典を付ける」ことは、この記事の改善の『最低限の措置』であり『第一段階』でしかない、と申し上げておきます。出典を示した上で、全体を見直した上で(出典があっても)特筆性のない瑣末な記述は整理されるべきだと考えています。大事なことなので繰り返しますが、今回の対応は最低限の措置であり、次のステップがあると明言しておきます。
(元々議論は求めていませんが)答えの出ない、出すつもりのない議論に労力を費やすのなら、どんどん出典を付けた上で、記事の内容をブラッシュアップしてくれというのが私の本音でもあります。--Bsx会話2013年9月7日 (土) 16:40 (UTC)

  反対 ちょっと調べ物をしていて、偶然議論を拝見したのでちょってコメントを。私自身は一応、フィクション作品ではなるべく話数やページ数を注釈で明記するようにしている方でして、「一文ごとに出典なんて明記したら読みづらいよ! 除去しよう!」という意見の方と何度かやり合ったこともあります(その辺の経緯は「ノート:GA 芸術科アートデザインクラス/過去ログ1」「ノート:かなめも」、最近だと「ノート:俺の妹がこんなに可愛いわけがないの登場人物」辺りを見て頂ければと思います)。その上で苦言を申しますが、こういった「一文ごとに出典」というのは検証の容易さのために行うものであって、義務ではなく、それが徹底されていないことを記述除去の言い分にするのはダメでしょう。「プロジェクト:フィクション#一次情報の扱い」には、以下のようにあります。

経験則から言って、作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるかといった記述は、脚注等を用いて出典を示さずとも作品そのものを参考に書かれていることが明白があるため、検証は可能です。しかし、登場人物の性格などの細かい設定に関しては、編集者の憶測が含まれていることも多いため一次、二次資料を問わず出典を明記することが推奨され、出典が示されていない場合は除去されるおそれもあります。特に「―である模様」・「―の可能性も存在する」・「―といった側面もある」のように言葉を濁した表現が使われている場合は編集者の解釈と見なされますので注意してください。 — プロジェクト:フィクション#一次情報の扱い

この記事名が「あまちゃんの登場人物」であるという時点で、既に出典は具体的に第何話と示さずとも明記されているのですから、出典の示されている記述を「出典無き記述は除去」という理由で除去することはできない。Bsxさんの主張は破綻しています。プロジェクト文章の後半は一見、Bsxさんと同じことを言っているようにも見えるかも知れませんが、実のところこのルールで除去できるのは、解釈が分かれる余地のある描写など、編集者の憶測が含まれている場合に限るわけです。記事が完璧な記事ではないことを、記事削除や記述大量除去の根拠にすることはできません。もちろん『朝の連続テレビ小説』シリーズのように話数が多い長編作品においては、記述の根拠となる描写が第何週第何話にあったエピソードに基づいているのか、明記されているのが理想でしょうから、仮にBsxさんが自主的に、現在の内容に出典を書き足していく形でそれを行うと言うのであれば、いくら「読みづらい」という反対意見がいくらあったとしても私は応援します。経験上、その作業がどれほど労力がかかるかというのはよく知っているつもりですので。ですがよく知ってるが故に、自分は何もせずに他人に労力を強要する主張を見過ごすことはできません。「10日間で何とかしろ」というのは、私の経験では無理難題です。検証作業のために部屋にこもりきって私生活の全てをなげうつ程の時間的余裕がないと不可能でしょう。最低限の検証可能性が保持されており義務ではない上に、実現不可能な目標を、一介のボランティアでしかない赤の他人に押しつけるのは、理不尽であって、反感しか買いません。まずいやり方です。どうか無茶なことを言って自滅して、「一文ごとに出典なんて明記したら読みづらいよ!」という意見の方々を勢いづかせたりしないでください。私もやりづらくなります。--Kanohara会話2013年9月8日 (日) 17:29 (UTC)

  コメント そんなガイドラインがあったんですね......。はぁ......。たしかに「細かい人物の性格の設定」など編集者間で意見が分かれるものはその検証のために出典が明記されていた方が良いですね。そして、その他の「国民投票でレギュラーに昇格した」などの情報は、繰り上げ当選などの情報が「細かいとしたら」、そっちの情報はドラマを見ている編集者さんどうし事実確認をしあえますね(間違っていたら書き直せば良い)。「記述の根拠となる描写が第何週第何話にあったエピソードに基づいているのか、明記されているのが理想でしょうから」と言われるので、まぁ、ここまで必死こいてやった膨大な出典は「決して無駄」ではないでしょうね......。ですが、本当にそこまでしないで良いものならば、はっきり言ってこういう作業も、やたらと出典をつける作業も、その条件や内容を精査してつけない方が良いですよね。今後の良い勉強材料です。--Megevand (会話) 2013年9月8日 (日) 21:20 (UTC)
Kanohara さんへ申し上げますが、『この記事名が「あまちゃんの登場人物」であるという時点で、既に出典は具体的に第何話と示さずとも明記されている』という認識が根本的に間違っていると言わざるを得ません。それは、仮に執筆者による事実誤認もしくは虚偽の記述(の可能性)があった場合に、その真偽を誰も検証しない(あるいは事実上検証できない)という前提に立っているのではないかと考えられるからです。プロジェクト:フィクション#一次情報の扱いの例示を示されておられますが、一義的にはそうなのかもしれませんが、検証可能性の面(特に、実際に検証を行おうとしたシチュエーション)に於いて「30分×週1回×1クール」のアニメと「15分×週6回×2クール」の連続テレビ小説を同列に扱えるものなのか甚だ疑問です(現に、今回加筆された出典の多くが「第○話の△△と××の会話から」といった、話の大筋で把握出来るものよりレベルを数段降りなければならないほどの細かい記述だったりするわけですから)。特に『あまちゃん』の場合は小ネタであふれかえっているという実情もありますし、何もしなければそれらを全部網羅しかねない勢いで加筆され続けてきたという現状を認識できていないが故のご意見なんだろうと解釈します。--Bsx会話2013年9月8日 (日) 22:29 (UTC)
  コメント Bsxさんへ。こことは直接関係ありませんが、一言だけ申し上げます。現在行われているように「各話の出典」をつけることを、これからNHKの朝の連続テレビ小説の編集者に課したとしても、「過剰な細かい記述」を避けることはできません。今でこそ「あまちゃんの登場人物」の記述があまりにも細かいために出典付記作業が大変だと言えますけど(実際に作業に参加したので)、これを次回以降のドラマに、初回からするとしたら、おそらく出典付記をしつつ細かい描写は回を重ねるにつれて増えていくでしょう。
おそらくBsxさんは、この「あまちゃん」の出典付記作業が終わった後のことまでを見越されているのかもしれません。でしたら、教えて頂きたいのですが、この作業がどう今後のドラマ編集の上に活きてくるのでしょうか?私が今のところ考えるのは、出典が多すぎて読みにくいと上記で挙げられているように、そうした視覚的な証拠をわざと作り出すことによって、「見やすくするのであれば、出典をやたら必要としないように、詳細な編集を避けるべきではないか」ということをご提案されるのかな、ということです。そうであるのなら、まだ納得はいくのですが、如何でしょうか。Bsxさんが秘められているお考えを、よければ教えて頂けないでしょうか。--Megevand (会話) 2013年9月8日 (日) 22:47 (UTC)
  コメント 皆様の作業の混乱を招きかねないので現時点では詳細は申し上げませんが、「出典のつき方(何を出典としているか)」と「当該記述の“重み”(ストーリー並びに当該人物を語るのにどのくらい重要な事象か)」の間には一定の相関関係があると考えており、“出典の付き方”である程度の類型を分けた上で、当該記述がどのくらい重要か(あるいは瑣末か)を判断する材料にしたいと考えております。重要な記述であれば全体の中でも当然重視されるべきですし、瑣末な記述であれば場合によっては除去ないしは別項への集約が必要になるのではないかと思います。そういった意味では「見やすくするのであれば、出典をやたら必要としないように、詳細な編集を避けるべきではないか」というご指摘は当たらずとも遠からず…といったところでしょうか。
ちなみに、私は 2013年9月5日 (木) 11:13 (UTC) の予告で『10日ほど待ちますので、これらの記述を残すべきと思われる方はすべてに出典(中略)を付けてください』と書いていたのですが、出典を付ける方に一生懸命になる方ばかりで、当該記述を「残すべき」かどうかの検証を誰も行っていないのだなぁ…という点は気になっています(対象が膨大すぎてそれどころではない、ということなのかもしれませんが)。--Bsx会話) 2013年9月9日 (月) 13:10 (UTC) typo--Bsx会話2013年9月9日 (月) 13:13 (UTC)
  コメント 「アニメとドラマでは話数が異なり、同列に扱えるものなのか甚だ疑問」とのことですが、巻数の多い長編小説や連載期間の長い漫画なども、特定の場面を探し出して具体的なページ数を明記するのは労力がかかりますし、記事にまともに出典をつけようとすれば大変だと思いますよ。「15分×週6回×2クール」というのも、出典となる映像を全て見るのに必用な時間だけなら大河ドラマなどと変わらず、朝の連続テレビ小説だけが特別というわけではありません。もちろん私自身は前の発言で述べたとおり、各記述が「第何週第何話」のエピソードに基づいた記述であるのかを明記していくこと自体は賛成であり、その点で私とBsxさんとの間に争いはないと考えています。実際、私は今まで他人から反対されてももそうしてきました。が、誰もが覚えているような作中のエピソードまでを、それが第何週第何話のエピソードであるかを即答できないことを根拠に「出典なき記述は除去」とするのは、ルールの悪用であるし、そもそもルールに基づいていないんじゃないかということです。膨大な話数の中から記述の根拠となる描写を探し出すことが困難であることは出典が示されていないのと同じであり除去に値するのではないか、という意見に対する回答は、「Wikipedia:検証可能性#アクセシビリティ」を一例として示すことで「そうではないだろう」という回答に代えさせて頂きます。出典は明示されているに越したことはないし、自分はそう思って出典を付けているけれど、第何週第何話という形で示されていないことはゼロと同値ではないというのが私の考えです。
「出典を付ける方に一生懸命になる方ばかりで、当該記述を「残すべき」かどうかの検証を誰も行っていないのだなぁ」というBsxさんの感慨についてですが、それは自分の理想を実現する手段として自力ではなく他力を使い、それも「お願い」ではなく、記事を人質に取った脅迫のような手段を用いて、気の進まない人たちを無理矢理動かそうとしたのですから、思惑通りに行かないのは思惑を仕掛けた側の計算が浅はかであったのだ、としか言いようがないでしょう。私はそれは「まずいやり方」だと申し上げています。たとえ遠回りなやり方だと思えたとしても、Bsxさんは脅迫によって他人をリモートコントロールするのではなく、筋道立てて自分の主張を説いて辛抱強く合意形成を図るか、自分が汗して記事を理想的な方向へ改革するべきだったのではないでしょうか。少なくともBsxさんが最初に示すべきは、「出典なき記述は除去」ではなく「Wikipedia:過剰な内容の整理」だったはずです。
出典が過剰に示されると読みづらいという意見に対しては、そう感じる人が外装の詳細設定や自分のブラウザのユーザースタイルシートにsup.reference { display: none; }を入れれば良い、という解決策を示しておきます。視界から出典が消えてスッキリするはずです。--Kanohara会話2013年9月9日 (月) 14:36 (UTC)
Kanohara さんに改めてご説明しますと、今回の措置を提起するに至るまでの前段として、「プロジェクト‐ノート:テレビドラマ/NHK朝の連続小説テレビドラマの編集方針についてご提案」ならびに「ノート:あまちゃん#ローカルルール導入の提案」を提起し、何とか執筆者間の話し合いの中で過剰な内容の整理のためのルール作りの方向性を探ろうとしていたのですが、「執筆者の自由意思に任せるべきだ」「(過剰な内容につながる)高頻度編集禁止をしなくてもいいんじゃないか」という意見が繰り返され、議論が帰着する気配が見られなかったことからルール作りを断念した、という経緯があります。その一方で、逐次加筆する方々の多くが明らかに「番組の見たまま」に拠っていると言う状況があり、これに対して{{出典の明記}}タグを付けてもほとんどの人にとっては馬耳東風状態で一向に改善される気配が見られなかったということもあり、結果として「お願い」に限界があることを感じてしまったというのが正直なところです。
Kanohara さんのおっしゃることは、理想論としては十分に理解できるものですし、ルールの悪用と言われればそうなのかもしれません。が、ドラマが始まって5ヶ月が経過し、ドラマが終盤にさしかかっても野放図な加筆が話し合いによって食い止めることが事実上不可能な状況となってしまったが故の判断だったということは申し添えておきます。--Bsx会話2013年9月9日 (月) 20:19 (UTC)
  コメント 反対意見があるのに、記事を自分の思い通りにするために改革を断行するのは、「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない」に反します。しかも腕ずくで解決しようとした結果、結局はBsxさんの意図した通りには人は動かなかったというではありませんか。Bsxさんは自分の行いを「必要悪」と考えたのかも知れませんが、本人含めて誰にも必用とされていなかった結果になるのなら、それは無用なただの悪です。それに{{出典の明記}}や{{要出典}}は、出典がまったく示されていない記事に用いるものであって、今回のような「『あまちゃん』本編が出典なのは分かるけれど、具体的な話数が示されていない」という状況で使うテンプレートではないのですから、そもそも実効性がありません。--Kanohara会話2013年9月11日 (水) 22:21 (UTC)
  コメントWikipedia:腕ずくで解決しようとしない」に対する懸念は十分理解しておりますが、私は今回の判断で一定の効用はあったと考えています。
「Bsxの意図した通りには人は動かなかった」とおっしゃっておられますが、確かに当該記述を「残すべき」かどうかの検証を誰も行っていないという意味ではそうですが、一方で本来の目的である、記述に出典を付けるというという点では皆様のご努力もあって出典のない状態はほぼ改善されている、といえます。他でも申し上げておりますが「出典を付ける」ことは最低限の目的でもありますので、次のステップに進むだけの十分な材料はほぼ調ったのではないかとも考えています。
念のため申し添えますが、次のステップでは何らかのルールを用いて強行すると言うことは難しいと思いますので、皆様と話し合いながら進めて行く必要があろうかと考えており、それなりに時間がかかると思います(むしろ全く前に進まないという状況も想定されるのは承知の上です)。--Bsx会話2013年9月11日 (水) 22:42 (UTC)
  コメント 過去の「#ローカルルール導入の提案」では、逐次的な編集の禁止が提案されていますが、「Wikipedia:創作物を基にした逐次的な編集」(旧「性急な編集をしない」)は、ルール運用がうまくいかなかったことなどからガイドラインから私論へと格下げになったという経緯もあります。私も以前別の記事で、この手のローカルルールが施行される前と施行された後で編集回数の増減を調べてみたところ、結局ローカルルールはまじめな編集者を萎縮させただけで、編集回数の軽減には貢献していなかった……という結果が見られたこともありました。各編集が「第何週第何話」のエピソードに基づいているのかという出典の明記を徹底するのであれば、そのエピソードが第何週第何話で放送された内容なのかを覚えている、放送直後の編集の方が便利でもありますしね。--Kanohara会話2013年9月11日 (水) 22:57 (UTC)
  コメント 当該ルールの私論格下げ議論を拝見しましたが、ルール運用がうまくいかなかったと言うよりは、他のルールで網羅されているから、だと解釈していました。ローカルルール導入提案に関しては当該議論でも述べましたが「連続テレビ小説の場合はストーリー展開的に“15分×週6日”のドラマと言うよりは“90分×週1回”のドラマと解釈した方が整理がしやすいのでは」というのが根底にありますし、放送直後にエピソードを追加すると、結果的に「誰も追加されたエピソードの重要度を検証しない」という問題点がどうしてもぬぐい去れない(後から加筆できるエピソードほど「記憶に残っている=一定以上の重要度がある」とも言える)という点があると考えています。このあたりについては、次のステップに触れる際に改めて述べたいと思います。--Bsx会話2013年9月12日 (木) 22:15 (UTC)

除去されるのを待つという意見

編集

  コメント おそらくBsxさんには誰が何をどう説いても納得して頂けない。そして議論における合意も不可能、かつ無駄であるというご意見のようです。これ以上このページでおつきあいすることは疲労困憊の元となりますので、私は議論をここで降ります。そして、このページの議論と、あまちゃんの記事ページがどうなっていくのかを静観しようと思います。

更に本音をいえば、こちらのコミュニティの方々の中で、少しでもBsxさんの手法に疑問をお持ちになった方々は編集の手をやめ、Bsxさんによる記事の除去を静観し、その後Bsxさんがどのような編集を施されるのかを観察することを個人的におすすめいたします。現在の記事を、下手すればほぼ全除去するということは、その後の責任もとられるということを意味しますから、私はその責任の取り方を是非とも拝観したいと思います。--Megevand (会話) 2013年9月6日 (金) 02:18 (UTC)

たぶん、Bsxさんがごっそり除去して、終わりだと思いますよ。それ自体は情報源が示されていないものを除去しているのですから、不当な作業ではないですし、責任を取らなければならないようなものでもないです。--Ks aka 98会話2013年9月7日 (土) 10:31 (UTC)
一連のコメントを読ませて頂きました。ありがとうございます。Bsxさんはこれまでの編集方針からすれば、かなり大掛かりなことを短期間で求めらたので、どうも頭に血がのぼり、冷静に考えていなかったのだと反省しております。
Ks aka 98さんが仰るように、今後、ここでの編集作業がプロジェクトでの話合いのケーススタディとして活用されることを期待し、もうすこし冷静になるために時間をおいて、私も出典づけに協力できるようなところがあれば協力していきたいなと思っております。
最後にBsxさんへ。色々と強い意見を申しましたが、基本的に貴方様の仰ることに同意しております。また、他の皆様方(プロジェクト:テレビドラマのノートでもコメントがいろいろありました)からご意見を頂き、今後貴方様の措置に協力するべきである、ということも少しずつ納得してきております。ですが、私からもお願いがございます。Ks aka 98さんが仰られたように、Bsxさんも他の編集者と協力して、よりよい出典のあり方を、このドラマの記事でも、プロジェクト:テレビドラマでも模索していってください。あなたのご見識と知識は、そのために不可欠です。今後一切プロジェクトに参加しない、などと仰らずに、どうか今後もご協力をお願いします。--Megevand (会話) 2013年9月7日 (土) 11:40 (UTC)

出典付記に関する申し合わせ

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出典付記に関して、編集者さんによってバラバラなので、気付いたことをここに記し、時期がくれば申し合わせの議論材料と活用されることを期待します(つまりは、申し合わせは今やらなくても良いという考えですが、しかしあまりにもぐちゃぐちゃなのでせめてメモ程度に記した方が良いかと思います)。私以外で、気付いたことがあれば下記に足していって下さい。--Megevand (会話) 2013年9月8日 (日) 05:19 (UTC)

  1. 参照の記号が「注」と「十」(みたいなやつ)と2つあるが、これらの使い分けはどうしたら良いのか? → 話数とNHK公式ガイドは数字(ref groupe="記号"ではない)、webや書籍は「十」、ストーリー中のこまかい補足が「注」のようです。(--Megevand (会話) 2013年9月8日 (日) 07:35 (UTC)
  2. 話数の出典付記、とくに「第○○話」とするものが、本文中にあるものと、注釈にあるものと、参照にあるものとでバラバラである。
  3. 話数の出典付記は、「(第○○話)」とするのか、「(第○○話から、あるいはより)」とするのかで統一されていない(これはあまり重要でないかもしれないが、統一感はやはり欲しい)。
  4. 出典付記の範囲は、話数表記(「第○○話から第□□話」あるいは「第○○話、および第□□話」)としないといけないのか、大まかに週数表記(「第○○週」)でも良しとするのか?
  5. 出典付記は、話数(もしくは週数)だけでなく、記事に関連するシーンに至るまで記述されなければいけないのか、そういう必要はないとするのか。
「話」と「回」が混在している。「第」が付いているものとついていないものがあるなども統一性がないと感じております。(そういう私が、あまり、これまで意識せずに作業をして、しまっているところもあり、反省しております)。上記のようなガイドを設けることは有効だと考えます。--Moonstar24会話2013年9月8日 (日) 07:01 (UTC)
  コメント 細かいことですが、漢数字の「十」のようなものはダガー(短剣符)と呼ばれる記号です。--Don-hide会話2013年9月8日 (日) 08:49 (UTC)
  コメント 皆様お疲れ様です。本当に頭が下がります。
1. 「話数の出典付記」を中心にしていく方向になっている(ふさわしいと思います)ので、そっちは単に<ref></ref>にしておいた方が楽ではないか(見た目のサイズも増えず)と、勝手にやってしまいました。
で、それ以外の出典部分はジャンル別にまとめた方が見易いかと、ダガー<ref group="†"></ref>にしておきました。で、「NHK公式ガイドの出典」は数が多い(というか#を用いず勝手にページごとの一括大区分にしてしまったのですが)ため、ダガー扱いにしませんでした。
そうでない方がよければ、全部<ref></ref>でいいのかもしれません。大変失礼いたしました。
2. 「注釈にあるもの」は、BSX氏が認めないであろう「小道具からの出典」部分のみとして考えておりました。 --Benzoyl会話2013年9月8日 (日) 11:31 (UTC)
「~やりとり」「~でのシーン」「~の会話」「~の台詞(※~の発言に一括統一変更検討)」などの定型以外の、長文出典は抜粋し、見やすさから(一時的に)一応注釈にまわしてみました。--Benzoyl会話2013年9月10日 (火) 11:32 (UTC)
  コメント 皆様お疲れ様です。この数日で、ここまで出展が付けられたのは皆さんのこのページに関しての熱意の賜物であると感じております。正直、ここまで出展作業が進むとは思っていませんでした。出展をつけていくことで、各内容が客観的なものなのか、主観的なものであるかの区別が明確になり、私としては意義があると考えております。
一方、一応、確認しながら出展付記をしたつもりですが、意図せず、誤った注記をつけている場合もあります。この検証は改めて実施した方が良いかと思いますが、Bsxさんが目処とされている9/15までに確認するのは困難と考えます。また、現在、「あまちゃん」が最終月というファンとしては重要な時期に、その作業を慌てて行う必要性までは感じません。(ただし、妥当な期限は設けるべきだと思います)。
更に、誰が、どのように確認を済ませたかについての確認作業の進捗や信憑性についても、何らかの運用方針を示さないと、確認作業は効率的には進められないと思います。
出展付けはに関しては、私は平日、仕事の関係上ほとんどできませんが、次の週末も残りについては、極力、実施するつもりです。出展付記の妥当性の確認方法については、別途、皆さんと議論させて頂きたく。もし、Wikiのガイドラインや、成功事例があれば、ご提示頂けると幸いです。今後とも、よろしくお願い致します。--Moonstar24会話2013年9月9日 (月) 15:17 (UTC)
すみません、今あまり余裕がないのですぐに作業できませんが、「話」と「回」の混在については、公式な表記は「回」になるようです。NHKオンデマンド--Garakmiu会話2013年9月13日 (金) 03:33 (UTC)
情報ありがとうございます。9/13放送の「秋の夜長の"あまちゃん"ライブ」の後のNHKオンデマンドの紹介(CM?)では「第1話から見られます」とありました。現在、「話」で統一されており、このままで良いかと思いますが、いかがでしょうか。--Moonstar24会話2013年9月14日 (土) 14:53 (UTC)
  コメント Garakmiuさん的には、厳密に「第○回」で統一を希望されるということなのでしょうか。その場合、「○回」と省くことは困難でして(once,twice,thriceのような「○度」と混同の危険)。
個人的には、週の方は「第○週」に統一することで、話or週の見た目の区別がしやすくなるのではという考えです。どうぞ今後とも忌憚無きご意見をよろしくお願いいたします。--Benzoyl会話2013年9月15日 (日) 01:45 (UTC)
  質問 最終話に関しては「156話、最終話、最終回」など、どの表記統一がいいのですかね。冒頭の説明文どこかに全156話(全156回)と書いておけば、「156話」でいいのかもしれませんとも考えられます。--Benzoyl会話2013年9月28日 (土) 23:12 (UTC)

出典が付かなくて除去された箇所

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9月13日 (金) 02:57‎版 (18) → 9月15日 (日) 23:43版 (7)差分:次

--Benzoyl会話2013年9月13日 (金) 03:08 (UTC)

  • アキ(2 1) - 「その上、当初は集団行動を苦手としている節があり、他人の忠告やチームワークを無視してスタンドプレーに走る事も少なくなかった。、「ユイから「アキちゃんと出会えてよかった」と…」
  • アキちゃんと出会えてよかったは発見できず(◆発見され9月16日 (月) 01:24‎にて出典付で復活)、代わりに笑顔にする才能はユイの118話の台詞にあったため編集対応。村人も言っていたのでしょうか。
  • ユイ(2 1) - 「アイドルになるためのキャリアの一環として積極的に観光PR活動に取り組む。、「1度だけ」
  • (118話のよしえを含めて「1度だけ」に拘らず編集対応)
  • ヒロシ(2 1) - 「リアスの常連たちや」、「「足立…、誰だっけ?」と言われて「ヒロシです」と返すのがお約束となっている。
  •   よしえ(2 1) - 「2010年の初秋、」(夏の上京より前なので8月?に修正)「…家族の信頼を取り戻すために…」
  •   花巻(1) - 「毒舌家であるが…」 ... 出典つけました。
  • 大吉(2 1) - 「時に度が過ぎた行動に走り裏目に出ることもある。、「…3馬鹿として括られることも…」
  • 吉田(2) - 「(後に春子がアキを応援するために上京したことから、現在は代理マスター)。」、「基本的におとぼけたキャラクターであるが、
  • 磯野(1) - 「ずば抜けた潜水技術を持ち、
  •   真奈(1) - 「その後挽回」 ... 除去しました。要約欄[11]を参照してください。
  •   有馬(1) - 「出席番号1番」
  •   ヒビキ(1) - 「…冷静な評価をするようになる…」
  •   梅頭(1) - 「腕はいいのだが人の話を聞いていないことが多く」
  •   情報 NHKのデータ放送の登場人物(MAXで17字×9行分)には長年、さまざまな人間模様をカウンターの中から見てきた。だが客の話はほとんど聞いていない。という記述がありました(今日現在)。--Benzoyl会話2013年9月15日 (日) 01:37 (UTC) そもそも公式サイト[12]に記載されており、出典付けていただきました。大変失礼いたしました。

18 17 16 15 11 8 最終結果7 --Benzoyl会話) 2013年9月13日 (金) 03:17 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月13日 (金) 03:26 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月13日 (金) 05:06 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月15日 (日) 01:37 (UTC) --Benzoyl会話2013年9月15日 (日) 01:48 (UTC)

新たな要出典

出典のレベルを基にした記述内容の推敲について

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先日から皆様のご尽力のおかげで、ほとんど出典の付与されていなかった本記事の大半の記述に出典が付与されたところではありますが、相変わらず雑多な記述(あるいは細かすぎる記述)が散見される状態であることは否めないと思われます。

そこで、出典の付与のされ方(何を出典としているか)に応じて、以下のように記述内容の重要度(特筆性の高さ)に関するレベル分け(案)を作成してみました。

  1. 書籍等、第三者による外部媒体で言及されている内容
  2. NHKの公式媒体(公式サイト、公式本など)で言及されている内容
  3. 当事者(出演者など)が自身の発信する媒体(ブログ、Twitterなど)で言及されている内容
  4. 番組内の「一連のストーリー」(複数の回または複数の場面)で言及された内容
  5. 番組内の「ワンシーン」(一つの回における一連の芝居)で言及された内容
  6. 番組内の「出演者の(単発の)台詞」のみで言及された内容
  7. 番組内の「(シーンに映り込んだ)小道具」のみで言及された内容

今回付与された出典について、以上の7段階に類型化した上で、6.と7.については、本項目の主題たる「あまちゃんの登場人物」を説明するのに不要と言えるほど瑣末な情報として除去する方向で考えたいと思います。今のところ期限は定めませんが、皆様からのご意見が煮詰まり次第一定期間を定めた上で整理を行いたいと考えています。

ご意見がありましたら、よろしくお願いします。--Bsx会話2013年9月16日 (月) 00:54 (UTC)

推敲提案に対する意見・質疑

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  反対
  コメント 小道具ないがしろはよくない。「書籍等、第三者による外部媒体で言及されている内容」至上主義もおかしい。以上。
あなたはもっと先にやることがあるでしょう。付けられた出典のチェックとか。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 01:45 (UTC)
  コメント せっかく「#過剰な記載内容を整理しましょう。節」があるんですから、瑣末と思う箇所を一件一件丁寧に提案したらいかがですか?? --Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 01:48 (UTC)
  情報 本当にコアな記述というのは、こういう域のものかと思いつつ。
中には「15 アキの誕生月はいつだべ?」も入っちゃってますが。--Benzoyl会話) 2013年9月30日 (月) 12:39 (UTC) --Benzoyl会話2013年9月30日 (月) 12:44 (UTC)
  コメント 予想通りのコメントありがとうございます(笑)。
「小道具ないがしろはよくない」については既に「小道具から解析された人物設定」節でも申し上げておりますが、所詮は「執筆者が「解読」しているだけであり、公式サイト等で言及がない以上は、これが公式な設定であることの検証とはならない」わけで、これはある種の独自研究といわざるを得ないわけです。独自研究を排除すべきというのはWikipediaの基本中の基本です。
「「書籍等、第三者による外部媒体で言及されている内容」至上主義もおかしい。」については、Wikipedia:検証可能性あるいはWikipedia:信頼できる情報源を十二分にお読みください、と申し上げておきます。資料の重要度に於いて「一次資料<二次資料」であることについては、いろんなところでさんざん議論されてきたことです。これをおかしいとおっしゃるのであれば、これらのガイドライン文書をよく熟読してからコメントしてください。
ちなみに、「#過剰な記載内容を整理しましょう。」への参加を促されておられますが、あちらはもとより議論がぐだぐだになっている上に、対象が膨大すぎてまともな議論にならないのは明白でしょう(ひょっとしたらそれをお望みなのかもしれませんが)。ですので、ある程度システマティックに整理しようとしているだけですけれども。--Bsx会話2013年9月16日 (月) 02:15 (UTC)
  コメント 基本中の基本とか、かなり無理がありますね。
  • 「ある種の独自研究」とは「どの種の独自研究」なのでしょうか。小道具に関しては、公式な設定として書けとは申してませんよ。「(ちなみに)~では○○になっている」形式なら独自研究にはならないかと。最悪分秒指定すれば、NODでも検証可能。
  • プロジェクト:テレビドラマ#キャスト」をご覧下さい。ガイドライン云々でなく、一次資料をかなり有効としております。
  • では節を、「#過剰な記載内容を整理しましょう。その2」にして新たに設置したらいかがでしょうか。システマティックでなく、一括・大雑把でしかないでしょう。
--Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 02:26 (UTC) --Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 02:27 (UTC)インデント修正しました--Bsx会話2013年9月16日 (月) 03:30 (UTC)
  コメント Wikipedia:独自研究は載せないが基本中の基本ではないとか、もう少しWikipediaの基本ルールをよく読んで頂きたいのですけどね。
  • 私が「ある種の独自研究」と申し上げたのは、もう少し細かく申し上げるならば、画面上の小道具で解読して「(ちなみに)~では○○になっている」と付記しなければならないほどの微細な事象が当該人物を語るのに必要不可欠(で正確)な情報なのか?ということです。もしそうであるならば、それを「必要不可欠な情報」と判断したのは誰なのか?執筆者ではないのか?それは執筆者の独自研究ではないのか?、ということです。
  • 「過剰な記載内容を整理しましょう。その2」を新たに設置することはお断りさせていただきます。これまでのノート:あまちゃんならびにプロジェクト‐ノート:テレビドラマで様々な議論を持ちかけましたが、賛成したような反対したような意見が繰り返された挙げ句、何一つ決まらないという状況を目にしていますので、今回もそうなる可能性が高いといわざるを得ません。Benzoyl さんが主導して積極的に議論されるのであれば多少は協力させて頂きますが。
Benzoyl さんが「せっかく加筆された事柄を一つたりとも消したくない」というスタンスの持ち主であることは重々承知しておりますが、ではこれだけ無差別に収集された情報を誰がどうやって整理するのですか?「Bsxが一人でやれ」とおっしゃるのであれば、一人で整理させて頂きますよ、2013年9月16日 (月) 00:54 (UTC) にコメントとした方法で。--Bsx会話2013年9月16日 (月) 03:30 (UTC)
プロジェクト化される前の「Wikipedia‐ノート:キャラクターの記述に対するガイドライン#要旨の改定」2011年3月7日 (月) 10:44(差分:次)にて、利用者:ウィキペディアッー!会話 / 投稿記録 / 記録氏が改正案(私案)の文面を提示せずに軽く提案。事後承諾系改正 2011年3月7日 (月) 10:41(差分:次)によって、有耶無耶な中、今の今まで残ってる昔は緩かったんですね。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 04:55 (UTC)
  質問   情報 果たして、プロジェクト文にある無差別に収集された情報がかかる、「物語に関与しない事物」とは何をさしているのでしょうかね。決して(物語に関与する)「トリビア厳禁」的な文章ではないようです。「物語」の範疇も難しいが。--Benzoyl会話) 2013年9月16日 (月) 05:31 (UTC) --Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 06:08 (UTC)
  コメント プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述#一覧記事内で求められる記述の文章中、ここでネックになるのは、ストーリーは作品記事内のあらすじ節や、エピソード一覧に任せるべきです。だと思います。何をもってストーリーとするか。ただし、Bsx氏が主人公を中心としたあらすじしか本記事側で認めない以上、議論は並行線かと。夏の、春子の、ユイの、水口のと、それぞれの人生が存在して描かれているわけで、(モブを除いて)それぞれの主要キャラクターのプロフィール(続柄など)のみしか書けないなんてのは異常すぎますね。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 05:48 (UTC)
  情報 プロジェクト‐ノート:フィクション#フィクションを詳細に説明している記事についてにて知ったのですが、独自研究についてWP:PSTS現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません の文章もあるようです。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 06:29 (UTC)
  コメント えーっと、ずいぶんと頭に血が上っておられるようで、どこからどう突っ込みを入れようか迷うほどですが、とりあえずお返事を。
要は Benzoyl さん的には「何もするな」とおっしゃりたいのでしょうが、そうはまいりません。無差別に収集された情報が「どうにでもとれる」との仰せですが、それであれば「ここまでトリヴィアを盛り込んで、『あまちゃん』のドラマを知らない人に対しては、何が言いたいのかさっぱり判らない」というのが私の正直な感想です(まあ、Benzoyl さん曰く、私は「センスがない」らしいので参考にならないのかもしれませんがね)。
挙げ句の果てには「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」の記述あるいは改訂履歴にまでかみついておられるようですけど、ここでも「ただし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではないため、物語に関与しない事物にまでは言及しません」という点では改訂前後でも一貫していると見ましたが。
「夏の、春子の、ユイの、水口のと、それぞれの人生が存在して描かれているわけで、(モブを除いて)それぞれの主要キャラクターのプロフィール(続柄など)のみしか書けない」なんて言うつもりはないのですがね。それぞれについて二次資料(ムック本でもガイド本でも、雑誌の特集でも結構です)での言及があれば十分それ以外のことも書けるでしょう。そんなに二次資料を軽んじてどうするのか、と申し上げたいのですが。--Bsx会話2013年9月16日 (月) 08:57 (UTC)
  コメント 「物語に関与しない事物」のBsxさんなりの解釈を述べていただけないものでしょうかね。議論はそこからでしょう。「(前略)なんて言うつもりはないのですがね。」に関しても、どの程度どんなことを書くのかというご意見を。言いだしっぺがはっきり所信表明しないと伝わりませんし合意も難しいですよ。安易な7段階区分では。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 09:38 (UTC)
  コメント センスの有無は分かりませんが、Bsxさんにおかれましては『あまちゃん』にてのばっさりの前歴(差分:次)がございますので(除去でなくコメントアウト対応とはいえ「スリーJプロダクション」「ミサンガ」)、どうにも信頼しづらい部分があるかと。--Benzoyl会話2013年9月16日 (月) 09:46 (UTC)
  コメント 「安易な7段階区分」とおっしゃいますけど、少なくとも、提案の4.-7.の区分けはともかく、それ以外のランク分けは公式のガイドラインを見ればある程度納得できる部分だと思ったんですがね。
まあ、この際ですので、何が「物語に関与しない事物」か、という観点について申し上げるならば、「あなた(執筆者)が物語の“あらすじ”を書く際に、その事象は“あらすじ”に寄与する事柄ですか?」ということです。具体的に事例を申し上げるならば、例えば天野アキの誕生日についてですが、事象として必要な事柄というのは「2008年夏が高校2年の夏休みである」ということにとどまるはずで、「1991年11月23日生まれ」であることは公式設定でなければ、(第24週の時点では)ストーリーに必要な事柄でもない(誕生日を祝う、誕生日に言及するというシーンがない)、ということです。少々極論すれば、誕生日が1991年5月28日でも、1992年1月14日でも、ストーリーには全く影響はないわけです。故に、誕生日が何日であるかと言うことは「物語に関与しない事物」であると考えられるわけです。
この観点は私が前々から申し上げている、「その事象はストーリーが進行しなければ真に重要な事柄かどうか判別できない」ということにつながるわけで、番組の見たままを即日加筆される皆様におかれては、よくそのあたりが判別できるものだなぁと半ば感心する次第でもあるのですが(もちろん嫌味と苦言が若干混じっています)。--Bsx会話) 2013年9月16日 (月) 11:50 (UTC)インデント修正--Bsx会話2013年9月16日 (月) 11:52 (UTC)
  コメント 今回に関してはは詳細なご見解の表明、有難うございます。氏は別の議論場所で「世田谷区」も必要ない的な発言されてましたね。
誕生日がなぜ大事かというと、他の登場人物と学年がタメかどうかが挙げられます。ぼかす必要もなく、むしろ必要な事柄でしょうかと
Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#一次情報にも、一次資料における利用可能な情報として「登場人物の生没年月日」が挙げられてます。--Benzoyl会話) 2013年9月17日 (火) 01:18 (UTC) --Benzoyl会話2013年9月17日 (火) 01:20 (UTC)
誕生日が「公式設定である」と判別できる材料が判ればそれでもかまいません。が、所詮は「画面上で判別できる事柄」にとどまるわけで、これを公式設定と解釈している時点で、独自研究である疑いを免れないわけです(ですので、外部の資料が大事というのはそういう観点からも言えるわけです)。その点を十分ご理解して頂きたく。--Bsx会話2013年9月17日 (火) 14:24 (UTC)
ちなみに、アキの誕生日を祝うシーンは36話(5/11)で扱われています。それを理由に正宗は北三陸に来ていますし、種市からもらったミサンガを誕生日プレゼントだと勘違いするなどという観点で、この時期には意味があるかと思います。また、アキの誕生日では正宗がカラオケで「潮騒のメモリー」を入れ、忠兵衛が春子の過去を語るなど、その後の展開に影響する重要な要素が盛り込まれていると考えます。--Moonstar24会話2013年9月18日 (水) 16:28 (UTC)
であれば、そちらに出典を差し替えて頂ければ、小道具から読み取った内容よりも重要度が増す、と考えます(改めて申し添えますが、ストーリーの中で言及されるような「公式設定である」と判別できる材料が判ればそちらの方が良いわけでして)。--Bsx会話2013年9月18日 (水) 22:33 (UTC)
  質問 色々、ご提案頂きありがとございます。重要度(特筆性の高さ)と、出典の付け方の相関については疑問があります。というのは、今回の出典を付ける作業においては、検証可能性という観点から個人的には極力「第何話、どこ(物理的な場所)で、何が(台詞、一連のやりとり)」という方法を極力取りました。一方、可読性の観点から、これらを簡素化した方が良いというご意見もあり、上記を(第何話)という形式で集約して頂いたところもあります。私は現状、(第何話)と記載だけでも、検証可能性という観点からは、どちらの記載方法でも出典方法としては問題ないと思っております。しかし、(第何話)とだけ記載されたものは、Bsxさんが作成されたレベル分け(案)には含まれてないと感じました。そこで、質問ですが、仮に、出典の付け方や内容から、重要度(特筆性の高さ)を判断しようとした場合、(第何話)というのは、重要度として、どのような重要だと判断されるおつもりなのでしょうか?--Moonstar24会話2013年9月16日 (月) 03:23 (UTC)
  コメント ご質問ありがとうございます。
(第何話)という出典記述に関しては正直頭の痛いところでして、そのことが「第何話のストーリー全般」で示されていることなのか、「第何話のどこかのシーン」で示されていることなのかという点については、それぞれ検証をしていかなければならないだろうなぁと考えています。かなり時間のかかる話だと思いますが、何らかの指標で出典(というかその事象)の「重み付け」の判断を行うとすれば、そうせざるを得ないかなとも思っています。
とはいえ、Wikipedia:特筆性とかプロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述に照らせば、「見たまま」自体が特筆性を有するかどうか微妙なところではないかと思っており、それを排除するためにもこのような手法を提案した次第です。--Bsx会話2013年9月16日 (月) 03:41 (UTC)
  コメント ご回答ありがとうございます。
まずは、確認ですが、出典の記載方法については、検証容易性の効率性の問題であり、重要度(特筆性の高さ)との相関は直接関係はないという理解でよろしいでしょうか?(出典の事象が参考になるということは理解しましたが、先の「質問」の中で記載したとおり、可読性の観点から出典の記載が集約されている以上、最新の出典の内容を重要度(特筆性の高さ)の参考にするのは難しいと思います。)。
Wikipedia:特筆性プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述を改めて読み直しました。現在、議論すべきは、現在記載されている内容が、このガイド中の「作品内容に関しては主題の理解を助けるために必要な情報を簡潔にまとめたもの」であるかの判断を誰が、どのように行うのかではないかと思います。その場合、まずは「あまちゃん」の「主題」を皆さんで合意していくことから始めないと、上記の判断が難しいかと思いますがいかがでしょうか。(「主題」といっても、簡潔に整理できるものではないかということも承知しているつもりです)。もちろん、この方法が必須と申し上げるつもりはございません。ただし、ガイドラインにそって、何らか順序立てて、段階的に議論を進めないと、出典(の事象)から、重要度(特筆性の高さ)の判断を皆さんの合意を得つつすすめることは困難であると考えます。--Moonstar24会話2013年9月16日 (月) 05:40 (UTC)
今回の提案に際して、かなり一足飛びの提案を行っているという自覚はありますし、それをごり押ししようと言うつもりはありません。段階的な議論が必要という「あまちゃん」(あるいは「あまちゃんの登場人物」)の「主題」を皆さんで合意していくことが重要というのも認識があります。ただ、そういう方向に話が進むかどうか、少なくとも私が主導してそういう方向に持って行けるかどうかのかなり悲観的に考えています。
その意味でまず Moonstar24 さんにお願いなのですが、「この記事の主題は何なのか」「どこまでが“主題に沿った記述”なのか」の試案をご呈示頂けると幸いに思います。--Bsx会話2013年9月16日 (月) 08:57 (UTC)
  質問 早速、ご回答ありがとうございます。Bsxさんが、問いかけになた「どこまでが“主題に沿った記述”なのか」は、私の主観でよいのでしょうか?それとも、それに対しても何らかの客観的な根拠が必要と感じられているのでしょうか?前者であれば、少なくとも、あまちゃんを最後まで観て、周りのあまちゃんファンの人達と話などをした上でないと、現状、なんとも申し上げられません。後者であれば、公式サイト等で、宮藤さんを始めスタッフの方々が述べられている物を参考にすることになるかと思います。ただし、ここからは私の推測ですが、特に宮藤さんのような舞台出身の方は、主題を作り手の方から提示するのでは無く、それは、視聴者側がそれぞれどのように受け取るかに委ねるような気がします。また、公式ガイドを観てもキャストの方々もドラマに対する思いはそれぞれ違うような印象を持ちます。--Moonstar24会話2013年9月16日 (月) 13:14 (UTC)
  質問 出典の記載方法については、検証容易性の効率性の問題であり、重要度(特筆性の高さ)との相関は直接関係無いという理解はよろしいでしょうか?これについては、今後の出典の記載方法と関係してくるので、今の段階で明確にしておいた方が良いと考えます。これを先に明確にしないと、あとから、出典を編集しなおすのは非常に効率が悪いです。今回、多くの方にご協力頂き、ほとんどの記載に出典がつきましたが、出典の記載方法については可読性と、検証容易性という両立が難しい課題があるためか、統一がとれていないと思います。私としては、これまで述べてきた理由により、出典の記載方法と重要度(特筆性の高さ)の相関は強く持たせないほうが良いと、現時点では考えております。--Moonstar24会話2013年9月16日 (月) 13:14 (UTC)
  コメント 「どこまでが“主題に沿った記述”なのか」は、もちろん Moonstar24 さんの主観でかまいません(私の主観にあわせて頂くのもなかなか難しいと思いますが)。その上で、「公式サイト等で、宮藤さんを始めスタッフの方々が述べられている物を参考にすることになるかと思います」というのは非常に重要な観点で、だからこそ番組の「見たまま」だけではなく、外部媒体に基づく検証が重要になってくると考えるのです。最初に述べた7段階で「書籍等、第三者による外部媒体で言及されている内容」を最重要視したのは、そういう意味があるのです。
出典の記載方法と重要度(特筆性の高さ)との相関は、一義的には関係ないかもしれません。が、それは例えば出典の記述方法を「第○話」に簡略化して統一してしまった場合のことであり、基本的にはそれが「ストーリーで語られているのか」「会話で語られているのか」「小道具で示されているのか」はやはり意味合いが異なってくると思います。--Bsx会話2013年9月17日 (火) 14:24 (UTC)

  コメント 提案の内容、および以降の議論を拝見したのですが、ウィキペディアの正式なガイドラインである「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」が蔑ろにされているように感じています。ガイドライン中には「一次資料と二次資料をバランスよく使用してください」という文面があり、本編そのものである一次資料も十分に重要な情報であると言えます。あと、ウィキペディアにおける「特筆性」とは、その事柄そのものを主題にして記事を立てることができるか否かという基準のことであって、記事内における記述の重要性の意味ではないことを指摘しておきます。

もちろん、いま指摘したガイドラインにもあるように、記事に書くべき内容は社会的な反響があった事柄と、それに関連した描写が中心ということになるでしょう。ですがウィキペディアは、ドラマを毎日欠かさず見ている人のためのファンサイトではないので、そうでない人にも分かるよう、話題になった事柄が作中においてどのようなバックグラウンドを持った描写であるのかを詳しく説明する必用はあるはずです。--Kanohara会話2013年9月16日 (月) 22:24 (UTC)

  コメントWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)」に関しては、相当慎重に評価したつもりです。具体的に申し上げるならば、Kanohara さんご指摘の「一次資料と二次資料をバランスよく使用してください」という点について言えば、現状の記述は明らかに一次資料に偏った記述と言わざるを得ないわけです。その意味では、一次資料による(細部について触れた)記述を割愛するか、一次資料を二次資料に差し替えるか、いずれかになるのだろうと考えています。
「ウィキペディアは、ドラマを毎日欠かさず見ている人のためのファンサイトではないので、そうでない人にも分かるよう、話題になった事柄が作中においてどのようなバックグラウンドを持った描写であるのかを詳しく説明する必用はあるはず」というご意見は全く賛同できるものですが、残念ながらそういう観点に書けていると言わざるを得ないのが現状であり、その意味で微細な(他社からの言及のない)トリヴィアは相応に割愛されるべきとも思うのですが。--Bsx会話2013年9月17日 (火) 14:24 (UTC)
  コメント平日は、仕事の関係上、なかなか時間がとれず、回答が遅れて申し訳ありません。「一次資料と二次資料をバランスよく使用してください」という趣旨は理解できます。ただし、現時点で二次資料がないから、整理をするというのは早急だと思います。何分、まだ放送中のドラマであり、ドラマに関する二次的な資料(主に出版物)は、ドラマが終わるまで差し控えている可能性があると考えます。また、これだけ、話題になっているドラマなので、おそらく、今後、そのような出版物が出るのではないかと考えております。一方、一次資料に関しては、ドラマを見ながら、出典も合わせて記載していることが効率的だと考えます。なので、もう暫く(個人的には最低でも年内)、様子をみてから整理については検討すれば良いのではないかと思いますがいかがでしょうか?Bsxさんが、かなり早期から問題提起をされてきたことは、これまでの議論で理解できます。しかしながら、ドラマが終わっておらず、今後、二次資料となりえる出版物が出ることが期待される現状において、二次資料がないから、バランスをとるための作業を開始するのには、時期が早すぎるかと考えますがいかがでしょうか。--Moonstar24会話2013年9月18日 (水) 16:09 (UTC)
  コメント お忙しい中、コメントありがとうございます。「現時点で二次資料がないから、整理をする」という観点に関しては、その事柄に対する二次資料による言及があるなら、そちらに出典を差し替えるべき、という観点でもあります。これは、私が常々申し上げている「その事柄がストーリーに照らして重要かどうかは放送直後では検証できないのではないか」ということにつながるものであり、そういった検証がないのに次から次へと記述を膨らませるユーザーが圧倒的に多すぎるので、ある程度大胆に整理しないと埒が開かないと判断したものです。二次資料の存在に関して言えば、特に「あまちゃん」では既に多数のムック本が刊行されていたり雑誌等による特集が組まれており、現状で時期が早すぎるとは全く思っていません(もう少し踏み込んで言えば、そういったものを用いて検証するのをめんどくさがっている方々ばかりであるということに怒りすら覚えるというのが私の正直な感想です)。--Bsx会話2013年9月18日 (水) 22:33 (UTC)
  コメント Bsxさん、何度同じことを言わせるんでしょうか。水口の履歴書・春子のオーディション応募用紙は『あまちゃんメモリアルブック』に掲載されてます。すなわち公式設定認定。ですので「二次資料による言及があるなら、そちらに出典を差し替えるべき」でも良いでしょう。
そして、小野寺の生年月日などの他の小道具から判明したものに関しては、「公式設定かは不明」と書けば済むだけのことでしょう。
二次資料も千差万別。二次資料に書いてあるから、なんでもかんでも記述してもよいということではないはずです。一次からでも二次からでも適度な節度ではないでしょうか。
あくまでも「一次資料と二次資料をバランスよく使用してください」ということで済むのではないでしょうか。個人的には二次資料でも「第○話より」と書いてないものは不親切かもと感じます。
一次資料のNODで検証可能なので、単純に(○話)とした方が閲覧者に親切と思います。めんどくさがっている云々でなく。不毛さ回避です。--Benzoyl会話2013年9月18日 (水) 23:47 (UTC)
さらに、二次出典つけても、今度は{{単一の出典}}を唱えるいちゃもんエスカレートも懸念されます。でも{{要出典範囲}}と異なり{{単一の出典範囲}}というシステムは無いので問題ないのか。よくわからず。
  • もしBsxさん的に「まだ他に記事内にもっと書くべき(書きたい)ことがある」というのなら(忠兵衛のせいで「春子がアイドルかつて目指してたこと」がアキに知れるなど)、議論の余地はございますが、現状から単に削り落とすだけというのは納得に至らず。
そして、もし記事サイズ面で心配されているなら、見た目サイズ(12万バイト)でなくソースベースで判断し、出典・使用テンプレートの簡略化を検討された方がよいと感じます。文字数がの増減は大して影響なく。--Benzoyl会話) 2013年9月19日 (木) 01:39 (UTC)--Benzoyl会話2013年9月19日 (木) 01:46 (UTC)
  コメント まさか Benzoyl さんから「何度同じことを言わせるんでしょうか」という言葉を聞くとは思いませんでした(失笑)。
「二次資料に書いてあるから、なんでもかんでも記述してもよい」なんて誰が申しましたか? {{単一の出典}} の懸念にも触れられておられますが、要は複数の二次資料を見比べて執筆者が取捨選択すればいいだけの話ですよね(「あまちゃん」に関しては複数の二次資料が既に提供されているというのは既に述べたとおりです)。その手間を惜しんで「一次資料で検証可能だからそれで十分」なんて言うのは執筆者の怠慢でしかないです。
ついでに言えば、(同一文献の出典をとりまとめるのはともかくとして)出典表記の方法を簡略化してバイト数を減らすなどと言う「小手先」の手法にこだわるのは極めてナンセンスです。もっと言えば「現状から単に削り落とすだけというのは納得に至らず」などと、現状の執筆内容を一つ足りと削らせないというお考えは「記述の取捨選択」を放棄すると宣言しているのも同じで、もっとナンセンスです。論評に値しません。--Bsx会話2013年9月19日 (木) 11:59 (UTC)

二次資料の取扱いに関する考察

編集
  コメント Bsxさんへ。春子について、私として重要と思える、二次資料を追記しました。Bsxさんの二次資料のあり方の方向性と同じ方を向いているでしょうか?私は、今後は信憑性が高いと思うメディアに記載されている内容に関しては、二次資料を追記していきたいと思っております。--Moonstar24会話2013年9月23日 (月) 07:21 (UTC)
  コメント 基本的には現在の出典を二次資料に差し替えるべきという方向性は同じだと思っています。ただ、その際に「二次資料でここまで言及されているのだから、あれもこれも書くべき」ということになると、それは逆かなぁとは思っています。特に「あまちゃん」に関しては小ネタと伏線が無数にちりばめられており、それらにすべて言及するのは不可能に近いのではないかと思っています。であれば、もう少し整理の方向性を根本的に見直さなければいけないのかな、と思ったのが、参考資料を取り寄せての正直な感想です。--Bsx会話2013年9月23日 (月) 11:04 (UTC)
  コメント 正直、困惑しております。一次資料と二次資料のバランスが悪いというガイドラインを尊重して私は二次資料を見返し、重要と判断したところを追加しました。9/23にBsxさんが冗長だと判断して削除したところに、今回私が追加した二次資料が含まれていると思います。Bsxさんのこれまでの一次資料と二次資料のバランスの観点からすれば、二次資料を残すように尊重すべきなのではないでしょうか? Bsxさんが削除された「キミにはプライドってものがないの?」関係のところは確かに伏線ですが、公式メモリアルブックで演出家の方が選んでるレベルであり、春子の歌手の道を諦めさせ、かつ、春子とユイの名コンビ(メモリアルブックのP66参照下さい)を描く上での重要な伏線だと判断します。しかも、このドラマは同ガイドのP17に「伏線をはり巡らせる緻密な台本」とあるように、伏線もドラマの主題の一部だと個人的には考えております。今回、Bsxさんがどのような基準で冗長と判断し、かつ、二次資料を削除したのかの説明をお願いできないでしょうか?その基準がわからないと、今後、どのような二次資料の追記が有効なのかの判断が困難です。--Moonstar24会話2013年9月23日 (月) 14:15 (UTC)
  コメント 先の 2013年9月23日 (月) 11:04 (UTC) のコメントの繰り返しになって恐縮ですが、少なくとも「あまちゃん」に関しては、すべての伏線について言及を加えることは事実上不可能(なほど緻密に作られたドラマ)であるといわざるを得ません。
具体的に、2013年9月23日 (月) 07:04 (UTC) に Moonstar24 さんが加筆し、2013年9月23日 (月) 10:48‎ (UTC) に私が除去した記述に関して言えば(私から見れば)2つの大きな問題があって、一つは荒巻の「キミにはプライドってものがないの?」という言葉が、本当に春子が影武者をやめる引き金になっていたのか否か判断が出来ない(私がドラマ本編や資料を見るに、春子はその前から影武者をやめようとして荒巻の台詞の前にその旨を伝えていたはずです)、もう一つはこのシーンを「春子とユイの名コンビを描く上での重要な伏線」だと「執筆者が判断」していることです。演出家が言及していた事項であれば、演出家の言及以上のことまで執筆者が踏み込むことは執筆者の独自研究と言わざるを得ません。
もし、どなたかがすべての伏線について(二次資料を用いて)言及しようとするのであれば、それは「登場人物」の項目ではなく「あらすじ」の項目なり「演出上の特色」の項目に書かれるべきことではないのか、と思うのですが。--Bsx会話2013年9月23日 (月) 22:18 (UTC)
  コメントこんばんは。ご回答ありがとうございます。伏線をどこまで述べるかについては、皆さんのご意見を伺って判断していくのが良いのではないかと思います。私とBsxさんの間で、判断すべき内容ではないかと考えます。いかがでしょうか?
また、2つ問題があり、削除されと仰っている件についてですが、1つ目のご指摘に関しては、103話の無頼鮨のシーンにおいて、開始(オープニング曲を含む)から約9分位のところから、春子が歌手に道を諦めた理由を述べており、これが「キミにはプライドってものがないの?」という言葉が、春子が歌手をやめる重要なきっかけと私が判断した根拠ですが、いかが思われますか。一応、出典で「103話 冒頭及び無頼鮨での春子と鈴鹿のやりとりより。」ともつけてありました。
2つ目のご指摘に関しては、私がこのノート上記において記載した「重要な伏線だと判断します。」はご指摘の通り、独自研究に該当するかと思いますが、Bsxさんが削除された、『「キミにはプライドってものがないの?」 注記:「83話の春子がユイに言った「プライドあんじゃん」は103話の回想シーンで「プライドなんて、あるに決まってるじゃない。」と反発した春子を連想させる』に関しては、「あまちゃんメモリアルブック」のP67に記載してある二次資料を要約して追記したつもりであり、この部分に関しては独自研究に該当しないと考えますが、いかがでしょうか?
最後に、誤解無きようお願いしたいのですが、私は自分が記載した内容を守りたくてここで議論している訳ではありません。削除された理由を把握した上で、今後の二次資料を記載していく上での参考にさせて頂きたいと思っているだけです。その点は、ご了承下さい。--Moonstar24会話2013年9月25日 (水) 13:22 (UTC)
  コメント Moonstar24 さんのこのたびのコメントを拝見して、「あまちゃん」に関しては、ドラマ内で伏線が様々に絡み合っており、それを視聴者が様々に解釈して楽しんでいる(Twitterやネット上で、「あの話の伏線はこうだった」というやりとりが多数交わされているのを目にしております)ことが、ある意味ドラマのストーリーやアウトラインの整理を難しくしているのかなと改めて感じる次第です。
二次資料と二次資料をつないで執筆者が「解釈」すれば、多分今記述のある(あるいは、これから書かれようとする)「伏線」はすべて二次資料を“用いて”説明することは可能なのだろうと思いますが、それを客観的に見て(もう少し具体的に言えば、このドラマのことを全く知らない人が見て)そういった「伏線」が多数書かれていることで、「このドラマがどんなドラマだったか」がわからなくなっているのではないのかと感じる次第です。であれば、「二次資料に書かれていること以上のことを推察・判断して書かない」というのが、雑多にならずに、かつ執筆者の思い入れが強すぎない程度にドラマのアウトラインを書く為の一つの線引きになるのかな、と考えるのですが。--Bsx会話2013年9月26日 (木) 22:47 (UTC)
  コメント回答、ありがとうございます。まず、現在、Bsxさんとここで議論している内容ですが、既に、本来の 「出典のレベルを基にした記述内容の推敲について」と、議題が変わってしまったと思うので、ここで終結しませんか?。
私も執筆については、いくつか心配はあります。ひとつは、記載した内容が、確認も無く、一方的に削除されることです。私は執筆をする上で、極力、それまで記載されている内容については残すようにこころがけているつもりです。(文脈等により、表現を見直す等はなありますが)。出典が不明な場合は、まずは、「要出典」を付けるなどした上で、暫くなんの反応もなければ、削除すべきかと思います。「あまちゃん」は15分x156話という膨大な時間なドラマであり、かつ、いくつかの信頼性のある情報が存在するため、そのどこかに描かれているかもしれないのに、それを確認もせず、削除するのは妥当な編集方法なのか疑問があります。出典の明確性以外でも、内容を削除する場合は、その理由を明確にした上で削除しないと、その内容の復帰と削除がイタチごっこのように繰り返されるだけではないかと思っております。
また、先日も申し上げましたが、今後、あまちゃん関連の書籍は多数、出版されると思います。それを元に色々執筆が続くと、どうなるかは予想がつかず、心配になることはあります。私は、「伏線」についてある程度記載が進むことについては、先日申し上げた通り、このドラマの主題だと思っているので、肯定してはいますが、出版物の記載内容の信憑性自体には危惧しております。私としては、出版物を参照する場合、NHK等の公式なWEBや書籍の情報、もしくは、スタッフ及びキャストが直接、記載しているWEBや書籍の情報といった、なんらかのガイドを設けないと、NHKの公式出版物以外で、Twitterでのコメントを単にまとめて本にして、それを出典と言い出した場合、それにどれだけ二次資料としての価値があるのかは疑問を持ってはおります。--Moonstar24会話2013年9月29日 (日) 09:54 (UTC)
  質問確認ですが、先日、Bsxさんが削除された根拠は、削除された部分が「二次資料に書かれていること以上のことを推察・判断して書かない」に該当すると判断されたということでしょうか?二次資料のステラに関しては、内容を若干要約して追記しただけのつもりであり、記載内容に推察・判断を交えたという意識は無いもので。--Moonstar24会話2013年9月29日 (日) 09:54 (UTC)
  コメント(インデント戻します)ある程度こちらの編集に対してまとまった時間(編集の時間だけではなく、資料を精査する時間も含めて)がとれなかったこと、ドラマが最終盤にさしかかり中途半端な記述になる可能性があったことを踏まえて、「あまちゃん」関連の記述はドラマが終了するまで極力差し控えていたのですが、予想通りというか、予想以上にカオスな状況になってしまっていますね。まあ、個人的感想はこのくらいにして。
「執筆をする上で、極力、それまで記載されている内容については残すようにこころがけているつもり」との仰せは非常に感銘を受けるところで、ほとんどの記事では私もそうしているのですが、正直なところ、ここまで玉石混淆状態になってしまっていると、ある程度雑多な記述(それこそワンシーンだけ取り上げられたようなトリヴィアのような事象など)は割愛せざるを得ないのかなと考える次第です。その意味で、内容を減らさずに内容を整理するのは「もはや不可能」と断言できる状況であるとも言えます。こういった状況になることは私は最初から危惧していた次第なのですが、もはや大胆な編集(それこそ文面の全面改稿とか)をしない限り「手が付けられない」状況になってしまっていると言わざるを得ません。
あまちゃん関連の書籍に関して言えば(ドラマも終了しましたし、ある程度収束に向かうと私は見ていますが)、その資料にドラマ関係者がどのくらい関わっているかが信憑性の鍵になるでしょうし、いわゆる「著名人のファン」の言及であれば、その人の言及であることを明示する必要があると思っています。なので、ストーリーや登場人物の設定にファンブック的な書籍・雑誌記事は極力用いないようにしています。
ステラ増刊の記述は私も資料を入手しましたので目にしていますが、「春子とユイの名コンビ」というのは一面的な言及であると私は判断しました。その根拠として、ステラ増刊 p.66の吉田照幸氏のコメント自体には「名コンビ」という文言は出てこない(節のインデックスに「名コンビ?迷コンビ?」との記述があるのみ)からというのがあります。二次資料を要約する際には「Wikipedia:独自研究は載せない」にある「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」には特に注意を払う必要があると思っております。--Bsx会話2013年10月1日 (火) 12:30 (UTC)
  質問先週末から出張に出かけており、回答遅れて申し訳ありません。改めて誤解無きようお願いしたのですが、今回、この記事について議論を継続させて頂いているのは、この記事の記載を例に二次資料の付け方の方向性を確認することが目的です。ご承知置きをお願い致します。
Bsxさんの意図とすると、今回の下名が記載し、Bsxが冗長とご判断されて削除された記述(2013年9月23日 (月) 10:48時点における版)は「発表済みの情報の合成」に該当するためということでしょうか。または、P67に限定した、要約の方法に問題があったというご判断でしょうか?「名コンビ」については、上記のノートの説明として添えたたけであり、本文にそのような記載はしておりません。
私が二次資料補強のためにと思い追記(2013年9月23日 (月) 07:04時点における版)したのは、
(1) 劇中の荒巻の「キミにはプライドってものがないの?」の発言(こちらは一次資料)
(2) 83話の春子がユイに言った「プライドあんじゃん」は103話の回想シーンで「プライドなんて、あるに決まってるじゃない。」と反発した春子を連想させる。というステラ記載の一部を要約した記載
であり、「名コンビ」という記載はしておりません。このため、「独自研究」の内容には該当しないと考えますし、「発表済みの情報の合成」にもあたらないと考えております。このため、上記でご説明頂いた何に該当して、削除に至ったかの理由がやはり理解できておりません。要約の方法に問題があるのであれば、できれば、具体的な要約の方法はこのようにすべきであったという事例を示して頂けると幸いです。著作物であるため、ステラの内容を部分的であれ、そのまま記載することははばかり、要約したつもりです。不明な点があれば、お忙しいところ大変恐縮ですが、合わせてご指摘をお願い致します。--Moonstar24会話2013年10月6日 (日) 17:41 (UTC)

  返信 (Moonstar24さん宛) 再確認のため、2013年9月23日 (月) 10:48 (UTC) に私が編集する直前の部分を、編集前の状況を踏まえて再掲載します(太字がBsxが削除した部分。便宜上、出典の表記は一部を除き割愛しました)。

その後は、原宿にある純喫茶「アイドル」でアルバイトしながらオーディションを受け続けるが、アイドルは「素人らしさ」が時流になり、プロになるべく勉強済みの春子は落ち続けることとなる。1985年に当時新人スカウトマンの荒巻に頼まれ鈴鹿ひろ美の名義で「潮騒のメモリー」のレコーディングを行う。以後も春子をデビューさせるという荒巻を信じて鈴鹿の歌唱面の影武者を続ける。しかし、1989年デビューの見込みが無いと察して影武者を辞めようかと思っているところ、荒巻の「キミにはプライドってものがないの?」<ref group="注">83話の春子がユイに言った「プライドあんじゃん」は103話の回想シーンで「プライドなんて、あるに決まってるじゃない。」と反発した春子を連想させる。</ref>という一言が許せず歌手の道を諦め、荒巻と喧嘩別れする。直後に乗ったタクシーで、鈴鹿の影武者の事情を知っていた運転手である正宗と偶然再会し、後に結婚し、専業主婦となる。 — あまちゃんの登場人物 2013年9月23日 (月) 10:29 (UTC) 版より

これを改めて考察すると、荒巻の「キミにはプライドってものがないの?」という台詞 (1) と、83話の春子がユイに言った台詞が103話の回想シーンでの“春子の台詞”を連想させるという事柄 (2) の2つが直結していない、ということが判ります。確かに荒巻の台詞は103話の台詞であり、その後に春子の「プライドなんて、あるに決まってるじゃない」という台詞がつながることから、両者が間接的につながるのは確かなのですが、この表現だと(1)と(2)が直接関連のある事柄となっているかのような印象を与えかねないということがわかります。すなわち、荒巻の台詞に対してこのエピソード(というか演出家の考察)を加えることが冗長(あるいは「発表済みの情報の合成」)と判断したため、割愛を行った次第です。

その上で、Moonstar24 さんが 2013年9月29日 (日) 09:54 (UTC) におっしゃった「「伏線」についてある程度記載が進むことについては、先日申し上げた通り、このドラマの主題だと思っているので、肯定してはいます」という部分に関して敢えて言及すると、「伏線」「小ネタ」の多さはこのドラマにおいてある意味最大の特徴であると思います。たしかにある程度記載が進むことについてはこのドラマの主題につながることだとは私も思いますが、それに言及する場所は「登場人物」の項目ではなく、ドラマの「あらすじ」もしくはドラマの「特徴」としてとらえるべきことではないかと思います。上述の「プライド」という台詞を基にした伏線を見ても、こういった事柄・エピソードがその人物の人物像をクリアにさせるための要因になるとは考えにくい(むしろこういった事柄を全網羅しようとするが為に人物像を描くのに混乱を招きかねない)との懸念を持っている次第です。--Bsx会話2013年10月7日 (月) 15:00 (UTC)

  コメント Bsxさん、ご丁寧なご説明ありがとうございます。私の記載の意図がうまく伝わっていないと思いました。(私の文章力、表現力の問題だと思いますが)。ご指摘の(1),(2)を結びつける説明がステラに書いてあり、それを二次資料として記載しようとしたのが私の意図です。ステラのP67には(1)のセリフと、(2)の2つのセリフが書かれていて、これらに関連にあることを補足しようとしたのが私の意図です。つまり、私は一見、直結していないと思われるセリフの中に演出家の視点(ステラの内容)からは、つながり(もしくは関連)があったということを伝えようとしたかったわけです。私は、それこそが二次資料を追記する意義だと考えていました。私の二次資料に関する考え方は妥当なものでしょうか?
Bsxさんが、『「伏線」「小ネタ」の多さはこのドラマにおいてある意味最大の特徴であると思います。』とおっしゃて頂いたことは、私の考えと方向性が一致していると感じ非常に嬉しく思いました。あとは、Bsxさんが懸念されている事項をクリアにしながら、記載を洗練していく方法を、皆さんで考えていけたら良いかと思いました。個人的には網羅性については、以前述べたように、公式本の内容(今回のステラ)を含め、出演者やスタッフが直接記載している内容であれば、それなりに限界があると思うので、仮にある程度網羅的に記載しても、表現(構成の見なおしを含む)を工夫すれば、問題ない(混乱しない)のではないかと考えています。ただし、信憑性に疑いがあるような記事などを二次資料として網羅的に記載を進めると、問題が出て来るかもしれませんね。(私は単なる網羅性による混乱よりも、信憑性の低い記事の引用による混乱の方を心配しています)。--Moonstar24会話2013年10月8日 (火) 15:38 (UTC)

まず、議論の進み方を考慮して節タイトルを変更し、節分けの場所を移動しました。ご了承ください。

本題に戻りますが、議論のためにステラ増刊の当該箇所の記述を引用してみます。書籍からの引用ですので、誤字脱字がありましたらご指摘ください(太字はBsxが挿入した箇所)。

このシーンの中盤で(中略)ユイに止められる。そして春子は「プライドあんじゃん!……カッコつけてんじゃねえよ、18の小娘が!」とどなりつける。このときの春子の言葉は、25年前、太巻(古田新太)に「キミにはプライドってものがないの?」と言われて「プライドなんて、あるに決まってるじゃない。なかったらとっくに諦めてます!」と反発した春子を連想させる —  山田美登利ほか(編)、2013、『あまちゃんメモリアルブック』、NHKサービスセンターNHKウィークリー ステラ臨時増刊10/30号〉 p. 67

ここで言及されているのは、83話の「春子の言葉」が、103話の回想シーンの「春子(の言葉)」を連想させるということであり、「太巻の言葉」に対してこの言及を掛け合わせるのは、“情報の合成”の懸念があると判断した次第です。余談になりますが、この部分は演出の吉田照幸氏の言及(吉田氏のコメント箇所はカギ括弧でくくってある)ではなく、このページを編集したライターさんが書かれたものだと思います。外部媒体による言及であることには間違いないので、このこと自体を問題視はしませんが。二次資料を用いる場合には、二次資料がどういう形で(=誰が、どういうシチュエーションで)言及しているか、さらには二次資料に言及されている事項以上のことを語らないようにするのが、二次情報を用いて執筆する際にその事柄の信憑性を損ねないことにつながるのではないかと思います(二次資料そのものの信憑性を執筆者が検証することは不適当とされていますので)。

あと、先の私のコメントの繰り返しになりますが、「伏線」「小ネタ」の多さは「『あまちゃん』というドラマ」の特色であるのは確かなのですが、その事柄を逐一記述することが“登場人物を明らかにするのに必要な事柄かどうか”という点では疑問を持っています。そもそもの話として「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述」には以下のような記述があります。

フィクション作品の解説を行うにあたり、あらすじや作中に登場する要素といった一次情報についての解説は閲覧者の作品に対する理解を助けてくれます。ただし、作品記事での主題は物語の世界ではなく、現実に公刊された作品です。必要とされるのは制作背景や現実社会での動き、分析、評価を含めた総合的な解説であり、作品内容に関しては主題の理解を助けるために必要な情報を簡潔にまとめることが求められます。作品記事中の登場人物や設定節はあくまで作品解説の一手段であり、作中要素の設定を個々に解説することが目的ではありません。「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉もあるように、詳しすぎる物語内容の解説は作品の全体像を掴みにくくします。たとえ充実していても、目的に合わない記述であれば閲覧者の理解を阻害し、逆に記事の品質を落とすこととなるのです。 — 「プロジェクト:フィクション/登場人物と設定の記述#作品記事内ではより簡潔に」より

ということを踏まえれば、重要な「伏線」「小ネタ」に関しては主には「あらすじ」節で言及するべきだと考えますし、「伏線」「小ネタ」の多さという部分に着目するのであれば、別の項目で言及しまとめるのが妥当なのではないかとも考えます。--Bsx会話2013年10月8日 (火) 21:01 (UTC)

  追記 今のコメントと少々矛盾するかもしれませんが、「二次資料そのものの信憑性を執筆者が検証することは不適当」といいつつ、一方で「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価」というものもあって、二次資料であってもその情報源の出所が「関係者の話によると…」みたいなものは二次資料としての妥当性を疑ってかかった方がいいのかもしれません。--Bsx会話2013年10月8日 (火) 22:45 (UTC)
  コメント いつも、ご丁寧な説明ありがとうございます。Bsxさんのご説明を伺うと、二次資料のつけ方が難しい印象を持ちます。私の表現(要約方法、文脈)に問題があったのだと思います。ただし、二次資料(ステラの文書)において、それなりに長いものを、そのまま記載することは、著作権上問題があるとも考え、部分的に要約したつもりです。その記載に関して「“情報の合成”の懸念があると判断して」、記事を削除されたということなので、今後、どのように二次資料を要約し、追記すれば良いかはかなり難しいと感じております。できれば、一つで構いませんので、私も持っているステラの増刊を利用して、だれのどの部分でも結構なので、二次資料の付け方としてBsxさんがこうあるべきみたいな、例を追記して頂けないでしょうか?
本件の発端は、一次資料と二次資料のバランスをとる上で、二次資料の追記が必要と思っております。その上で、適切な二次資料をつけ方が難しいと感じており執筆の協力が困難な状況です。お手数ですが、お願いできないでしょうか?--Moonstar24会話2013年10月9日 (水) 15:46 (UTC)
  コメント 「二次資料のつけ方が難しい」という感覚を持たれるのは(これはあくまでも個人的推測ですが)、「書こうとする結論があって、そこに二次資料を当てはめる」という執筆スタイルを取ろうとするからではないかと考えています。すなわち、例えば「AがBである」という事柄があって、それに当てはまる二次資料を探すもなかなか見つからず、「AがBを連想させる」と言及している資料が見つかったのでそれを出典に用いている…という感覚ではないか、と見ています。
となると、二次資料のつけ方はどういう形が望ましいかというと「二次資料で言及されている形で執筆すること」だろうと私は思っています。具体的な例で言えば、例えば今回のステラの記述を基にした事柄を書くには、例えばこういう表現になるのではないかと思っています(あくまでも「二次資料の使用例」として示した次第ですので、表現としてはかなり冗長であるということはお含み置きください)。
その後は、原宿にある純喫茶「アイドル」でアルバイトしながらオーディションを受け続けるが、アイドルは「素人らしさ」が時流になり、プロになるべく勉強済みの春子は落ち続けることとなる。1985年に当時新人スカウトマンの荒巻に頼まれ鈴鹿ひろ美の名義で「潮騒のメモリー」のレコーディングを行う。以後も春子をデビューさせるという荒巻を信じて鈴鹿の歌唱面の影武者を続ける。しかし、1989年、デビューの見込みが無いと察して荒巻に影武者を辞めようかとつげ、荒巻の「キミにはプライドってものがないの?」という言葉に「プライドなんて、あるに決まってるじゃない」と反発<ref group="注">春子のこの言葉が、25年後にユイを怒鳴りつけた春子の「プライドあんじゃん」という台詞の伏線となっていることを示唆する資料もある。</ref>、歌手の道を諦め、荒巻と喧嘩別れする。直後に乗ったタクシーで、鈴鹿の影武者の事情を知っていた運転手である正宗と偶然再会し、後に結婚し、専業主婦となる。 — あまちゃんの登場人物 2013年9月23日 (月) 10:29 (UTC) 版を一部改変
もちろん、この場合は春子とユイのシーンについてどこかで言及する際に用いるのが本来の筋であり、ここで用いる場合でも、春子とユイのシーンにどこかで言及している前提で用いられるべきだろうと思っています。
要は、二次資料で言及されている主題はそれ以上でもそれ以下でもなく、その事柄に沿って淡々と書くことが重要になり、そこには執筆者の思い入れは極力排除されるべきだと考えるのです。なかなか文字で表現するのは難しいですが、こんな感じでしょうか。--Bsx会話2013年10月10日 (木) 16:12 (UTC)
  コメント Bsxさん、お忙しい中、早速、具体的な例を示して頂きありがとうございました。今後、非常に参考になると考えます。
記事を記載する段階において、なんらかの思い入れがあることは否定しませんが、それを極力排除すべきであるということは理解しているつもりです。(思い入ればかり書いていたら、本来のWikiの目的と乖離してしまうと思いますので)。今回のご提示頂いた例を参考に今後、二次資料の追記をさせて頂きたいと思います。
ちなみに、今回、Bsxさんに例示頂いた上記の内容を参考に、「あまちゃんの登場人物」の該当部分を編集させて頂きたいと考えておりますが、問題ないでしょうか。許可を頂いた上で、編集させて頂きたく。(例示頂いた内容とほとんど同じになってしまうかもしれませんが)。いかがでしょうか?--Moonstar24会話2013年10月12日 (土) 15:08 (UTC)
  コメント 使って頂く分には私は問題はありません。ただ念のため申し添えておきますが、先の文例はあくまでも「二次資料の使用例」として示した次第ですので、表現としてはかなり冗長であるということを踏まえて、もう少し整理して頂くと共に、本来は春子とユイのシーンについてどこかで言及する際に用いるのが筋だということを踏まえて使って頂ければと思います。--Bsx会話2013年10月15日 (火) 22:27 (UTC)
  コメントご回答ありがとうございました。表現を見なおして記載してみたいと思います。--Moonstar24会話2013年10月19日 (土) 04:06 (UTC)

  質問 何ですか、今度は「その資料にドラマ関係者がどのくらい関わっているかが信憑性の鍵になるでしょうし」という二次資料の選別ですか。困ったもんです。Bsxさんの勝手案のうちの
  1. 書籍等、第三者による外部媒体で言及されている内容
  2. NHKの公式媒体(公式サイト、公式本など)で言及されている内容
  3. 当事者(出演者など)が自身の発信する媒体(ブログ、Twitterなど)で言及されている内容
  4. 番組内の「一連のストーリー」(複数の回または複数の場面)で言及された内容
  5. 番組内の「ワンシーン」(一つの回における一連の芝居)で言及された内容
  6. 番組内の「出演者の(単発の)台詞」のみで言及された内容
  7. 番組内の「(シーンに映り込んだ)小道具」のみで言及された内容
の1.は単純には通用しなくなったということでしょうか。修正されて再提案なされたらいかがでしょうか。もちろん基本  反対 ですが。--Benzoyl会話2013年10月2日 (水) 01:32 (UTC)
「ワンシーンだけ取り上げられたようなトリヴィア」というのは、例えばどの記述でしょうか?
現時点で記事上に明記されている話数出典が1話分のみだとしても、「実は複数話で用いられている」事象である可能性もあり。--Benzoyl会話) 2013年10月2日 (水) 01:35 (UTC) --Benzoyl会話2013年10月2日 (水) 01:39 (UTC)
「困ったもんです」はこっちの台詞なんですけどね。「もちろん基本  反対 ですが」などと議論を混迷に導いて強引に現状維持の結論を導き出そうとされている相変わらずのスタンスを見るに付け、Benzoylさんにコメントを差し上げるのは時間と労力の無駄と判断し、Benzoylさんに対してはこれ以上コメントいたしませんのであしからずご容赦ください(念のため申し上げますが「対話拒否」ではありません。以前にも申し上げましたが、記事を改善させようという前向きな議論でしたらいくらでもお受けいたします)。--Bsx会話2013年10月3日 (木) 15:21 (UTC)

過去ログ化します

編集

最近議論が沈静化しているのと、ノート容量が肥大しているため過去ログ化を提案します。上の節での議論を再開される場合は新しい節を作っていただくようお願いします。--Garakmiu2会話2013年12月4日 (水) 21:53 (UTC)

  賛成 過去ログ化に賛成します。--Megevand (会話) 2013年12月4日 (水) 22:42 (UTC)
  賛成 本節も含め、すべて/過去ログ1への収容に賛成します。--Don-hide会話2013年12月5日 (木) 12:10 (UTC)
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