チェリャヂ
チェリャヂ[1][2](ロシア語: Челядьとは、キエフ・ルーシ期の隷属民を指す言葉である。
チェリャヂという用語は、元来は戦争捕虜奴隷を指す言葉であり、後に家内奴隷的な意味で用いられた[1]。その登場は古く、指導者層を意味する用語と共に、東スラヴの諸部族における社会的階層の分化の進行が示唆される[2]。9世紀から10世紀にかけては売買の対象となった。12世紀には、チェリャヂに代わってホロープ(ru)という用語が用いられるようになった[1]。
16世紀より、ポーランド・リトアニア共和国において、若干意味の異なる(用法に幅のある)Czeladź(pl)という用語が用いられ、18世紀のポーランド分割の後に帝政ロシアでも使用された。18世紀から19世紀のロシアでは、チェリャヂはポメシチニク(ru)(地主貴族[3])の召使い(ru)を意味した。
出典
編集参考文献
編集- Енциклопедія українознавства. У 10-х томах. / Головний редактор Володимир Кубійович. — Париж; Нью-Йорк: Молоде життя[uk], 1954—1989.
- 田中陽兒、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史 1 -9世紀~17世紀-』山川出版社、1995年
- 和田春樹編 『ロシア史』 (世界各国史22)、山川出版社、2002年
- 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年