ゾフィー・フォン・ブランデンブルク (1568-1622)

ゾフィー・フォン・ブランデンブルクドイツ語: Sophie von Brandenburg, 1568年6月6日 - 1622年12月7日)は、ドイツのブランデンブルク選帝侯家の公女で、ザクセン選帝侯クリスティアン1世の妻。

ゾフィー・フォン・ブランデンブルク
Sophie von Brandenburg
ザクセン選帝侯
在位 1586年2月11日 - 1591年9月25日

出生 (1568-06-06) 1568年6月6日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ブランデンブルク選帝侯領ラインスベルク、ツェーヒリン城
死去 (1622-12-07) 1622年12月7日(54歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領コルディーツ、コルディーツ城
配偶者 ザクセン選帝侯クリスティアン1世
子女 一覧参照
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク
母親 ザビーナ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハ
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生涯

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ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルクとその2番目の妻で同族のアンスバッハクルムバッハ辺境伯ゲオルクの娘であるザビーナの間の3女として生まれた。

1582年4月25日、ザクセン選帝侯クリスティアン1世と結婚した。夫が1591年に31歳で死去すると、ザクセン=ヴァイマル公フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と共に幼い長男クリスティアン2世の摂政を務めた。

ゾフィーはルーテル派正統主義Lutherische Orthodoxie)の信奉者であり、ザクセンに浸透した隠れカルヴァン派(Kryptocalvinismus)を弾圧した。ゾフィーはカルヴァン派信徒だった大法官ニコラウス・クレル(Nikolaus Krell)と対立しており、1601年にはクレルをケーニヒシュタイン城(Festung Königstein)に逮捕・収監し、ドレスデンで処刑した。正統ルター派の信者達は、ゾフィーを旧約聖書の「ユディト記」に出てくる敬虔な寡婦ユディトになぞらえ、「ザクセンのユディト(Judith von Sachsen)」と褒め称えた。

ゾフィーは未亡人となって以後、ドレスデンの隠居所およびコルディーツ城に住んだ。彼女は1616年にゾフィー・ドゥカート金貨(Sophiendukat)を発行したほか、ドレスデンの旧フランチェスコ会教会も彼女に因んでゾフィー教会(Sophienkirche)と改称した。またドレスデン市街の公爵夫人公園(Der Herzogin Garten)も、ゾフィーに名を因んだものである。

子女

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参考文献

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  • Franz Blanckmeister: Kurfürstin Anna Sophie von Sachsen: eine evangelische Bekennerin, Barmen [um 1891]
  • Franz Otto Stichart: Galerie der Sächsischen Fürstinnen; Biogr. Skizzen sämmtl. Ahnfrauen d. Königl. Hauses Sachsen. Quellengemäß dargest., Leipzig 1857
  • Heinrich Theodor Flathe (1892). "Sophie (Kurfürstin von Sachsen)". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 34. Leipzig: Duncker & Humblot. p. 689.
  • Ute Essegern: Fürstinnen am kursächsischen Hof, Leipziger Universitätsverlag, 2007