ジョージ・ルイカー
神奈川県横浜市出身の俳優、声優、タレント
ジョージ・ルイカー(George Luiker、1929年3月25日 - )は、神奈川県横浜市出身の俳優、声優、タレント[1][2]。
ジョージ・ルイカー George Luiker | |
---|---|
本名 | 類河 丈治 |
生年月日 | 1929年3月25日(95歳) |
出生地 | 日本 神奈川県横浜市中区鷺山 |
職業 | 俳優、声優、タレント |
ジャンル | 映画、ラジオ、テレビドラマ |
活動期間 | 1951年 - 1974年 |
配偶者 | あり |
主な作品 | |
映画 『はりきり社長』 『サラリーマン忠臣蔵』 ラジオ 電報クイズ(文化放送) |
本名は日本帰化後、類河 丈治と名乗った。
来歴・人物
編集1929年、神奈川県横浜市に生まれる。父ヘンリー・ルイカーはエストニア人の技術者で、母はアルメニア人である。セント・ジョセフ・カレッジ卒業。1956年、ソ連から日本へ国籍変更。
1951年、鎌倉市で行われた外人のど自慢で「カンカン娘」を日本語で歌い優勝したのがきっかけで、文化放送のラジオ番組「電報クイズ」の司会者に抜擢され8年間務めた。流暢な日本語が人気を呼び、その後は国際劇場のジャズ・ショーの司会やテレビでも活躍。映画では1956年の映画『はりきり社長』でデビューし、社長シリーズを中心に多くの作品に出演する。
1966年からはオーストラリアに移住し、同年12月からメルボルンの短波放送局ラジオ・オーストラリアで日本語の音楽番組のディスクジョッキーをした。現在は芸能界を引退している。
出演作品
編集映画
編集- はりきり社長(1956年、東宝) - ジョージ・マーナ
- 金語楼の天晴運転手物語(1956年、新東宝) - 松永譲二
- 美男をめぐる十人の女(1956年、新東宝) - 外人牧師
- 歌う弥次喜多 黄金道中(1957年、松竹京都) - 浦賀の外人
- 角帽と女子大三人娘(1957年、新東宝) - 水野宗兵衛
- 日米花嫁花婿取替合戦(1957年、新東宝) - ジェームス・ホワイト・ベア
- 太陽娘と社長続(1958年、新東宝)
- フランキーの僕は三人前(1958年、東宝) - ジョージ宮田
- 裸の大将(1958年、東宝)
- おしゃべり奥様(1959年、東宝) - サム・ギャレット
- お姐ちゃんはツイてるぜ(1960年、東宝) - ゲイリー・ジェイムス
- サラリーマン忠臣蔵(1960年、東宝) - アンリ・リシャール
- 東京騎士隊(1961年、日活)
- 社長漫遊記(1963年、東宝) - ジョージ
- 続・社長漫遊記(1963年、東宝) - ジョージ
- 銀座の次郎長 天下の一大事(1963年、日活) - クロヒーモ
- 無責任遊侠伝(1964年、東宝) - ヘッケル
- 続 西の王将・東の大将(1965年、東宝) - ケラーマン
テレビ
編集- ミュージカルショウ(NHK)
- 私は魔女よ(1953年10月13日)
- OK横丁に集まれ(日本テレビ、1957年10月20日 - )
- 人生ご案内(KRテレビ、1959年2月1日放送)
- 日曜大法廷(NETテレビ)
- 第4回「ベニスの商人貸金支払請求事件」(1959年3月22日放送)
- 第7回「蝶々夫人 道義的殺人事件」(1959年4月12日)
- うきよ劇場(KRテレビ)
- 第1回「ユーモア週刊誌」(1960年1月9日放送)
- 第3回「誤解された日本の巻」(1960年1月23日放送)
- 第4回「男と女とX」(1960年1月30日放送)
- 第5回「美人誕生」(1960年2月6日放送)
- 第6回「地球売ります」(1960年2月13日放送)
- 回不明「結婚5分前」(1960年5月14日放送)
- 魅惑の宵(NETテレビ、1959年10月2日 - 1961年4月7日)
- イガグリくん(日本テレビ、1960年3月31日 - 1960年12月26日)
- あなたをスターに(NETテレビ、1960年5月22日 - 1963年5月9日、司会)
- 近鉄金曜劇場(TBS)
- ヘチマくん 前篇・後篇(1962年6月29日 - 1962年7月6日)
- 特別機動捜査隊(NETテレビ)
- 第89話「恋と金と少女(1963年7月10日放送)
- 天下の若者(フジテレビ、1964年10月9日放送)
- テレビ指定席(NHK)
- 夢をつくる(1964年4月11日放送)
- 忍者ハットリくん (実写版)(NETテレビ、1966年4月7日 - 1966年9月28日)[3]
ラジオ
編集- オールスターゲーム 第2戦(日本短波放送、1960年7月26日放送) - ゲスト
脚注
編集- ^ KINENOTE ジョージ・ルイカーの項
- ^ 『日本映画人名事典 男優篇 上巻』キネマ旬報社、1996年、817頁。
- ^ 出演未確認である。