ジョージ・チャムリー (初代チャムリー侯爵)
初代チャムリー侯爵ジョージ・ジェームズ・チャムリー(英語: George James Cholmondeley, 1st Marquess of Cholmondeley KG GCH PC、1749年5月11日 – 1827年4月10日)は、イギリスの貴族、政治家。国王親衛隊隊長(1783年)、王室家政長官(1812年 – 1821年)を務め、後者の在任中に伯爵から侯爵に昇叙された[1]。
生涯
編集マルパス子爵ジョージ・チャムリー(1724年10月17日 – 1764年3月15日、第3代チャムリー伯爵ジョージ・チャムリーの息子)と妻ヘスター(Hester、1727年ごろ – 1794年9月3日、第4代準男爵サー・フランシス・エドワーズの娘)の息子として、1749年5月11日にノーサンプトンシャーのハーディングストンで生まれた[1]。
1764年3月15日に父が、1770年6月10日に祖父が死去すると、チャムリー伯爵位を継承した[1]。1770年7月14日にチェシャー海軍次官に任命され、1827年に死去するまで務めた[2]。1770年7月19日にチェシャー統監に任命され、1783年5月まで務めた[3]。
フォックス=ノース連立内閣期の1783年4月14日に枢密顧問官に任命された[1]。1783年4月30日に国王親衛隊隊長に任命され、同年12月31日までに退任した[4]。1795年5月にウェールズ公ジョージ(のちの国王ジョージ4世)の侍従長(Chamberlain)に任命され、1800年ごろまで務めた[5]。政界では1797年に第4代オーフォード伯爵ホレス・ウォルポールからキャッスル・ライシング選挙区の1議席への影響力を継承した[6]。オーフォード伯爵家はアシュバートン選挙区にも影響力を有したが、アシュバートンでの不動産はロバート・トレフュージスが継承したため、チャムリー伯爵はトレフュージスの相続を定めた遺言状の有効性について裁判を起こし、裁判は1822年に決着した[7]。
チャムリー伯爵はウェールズ公の支持者であり、パーシヴァル内閣期の1812年にウェールズ公とともに与党に転じた[6]。1812年2月19日に王室家政長官に任命され、リヴァプール伯爵内閣で続投して1821年12月10日まで務めた[4]。1815年11月22日、連合王国貴族であるチェスター州におけるロックサヴェージ伯爵およびチャムリー侯爵に叙された[1][8]。1819年にロイヤル・ゲルフ勲章ナイト・グランド・クロスを、1822年7月22日にガーター勲章を授与された[1][9]。
1827年4月10日にピカデリーの自宅で死去、チェシャーのマルパスに埋葬された[1]。息子ジョージ・ホレイショが爵位を継承した[1]。
家族と私生活
編集結婚前にグレース・ダルリンプル・エリオットと関係を持ち、エリオットが娘を出産するとその娘を引き取って育てた[10]。
- ジョージアナ・オーガスタ・フレデリカ(1782年[11] – 1813年12月10日) - 1808年9月21日、チャールズ・ベンティンク卿(第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクの息子)と結婚、1女をもうけた[10]
ほかにも愛人のサンタルバン夫人(Madame Saint-Albin)との間で庶子を1人もうけた[12]。
- ハリエット(1790年ごろ – 1815年7月11日[13]) - 1812年1月11日、ジョン・ジョージ・ラムトン(のち初代ダラム伯爵)と結婚、子供あり[12]
1791年4月25日、ジョージアナ・シャーロット・バーティー(1764年8月7日 – 1838年6月23日、第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティーの娘)と結婚[1]、2男1女をもうけた[14]。
- ジョージ・ホレイショ(1792年1月16日 – 1870年5月8日) - 第2代チャムリー侯爵[1]
- シャーロット・ジョージアナ(1795年2月16日 – 1828年6月24日) - 1818年5月18日、ヒュー・ヘンリー・ジョン・シーモア(1821年12月2日没)と結婚、子供あり[14]
- ウィリアム・ヘンリー・ヒュー(1800年3月31日 – 1884年12月16日) - 第3代チャムリー侯爵[1]
祖母メアリーが初代オーフォード伯爵ロバート・ウォルポールの娘だったため[1]、チャムリー侯爵は1797年に第4代オーフォード伯爵ホレス・ウォルポールからホートン・ホールを相続した[15]。侯爵一家はホートン・ホールに10年ほど住んだのちチェシャーの邸宅に戻った[16]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 204.
- ^ Sainty, John Christopher (June 2003). "Vice Admirals of the Coasts from 1660". Institute of Historical Research (英語). 2006年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月19日閲覧。
- ^ Sainty, John Christopher (1979). List of Lieutenants of Counties of England and Wales 1660–1974 (英語). London: Swift Printers (Sales).
- ^ a b Bucholz, Robert Orland, ed. (2006). "Index of officers: Ca - Ch". Office-Holders in Modern Britain (英語). Vol. 11. London: University of London. pp. 822–855.
- ^ Bucholz, Robert Orland. "Household of George Augustus Frederick, Prince of Wales (from 1812, Prince Regent) 1762-1820" (PDF) (英語). p. 10. 2023年12月19日閲覧。
- ^ a b Thorne, R. G. (1986). "Castle Rising". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月19日閲覧。
- ^ Symonds, P. A.; Fisher, David R. (1986). "Ashburton". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月19日閲覧。
- ^ "No. 17066". The London Gazette (英語). 30 September 1815. p. 1997.
- ^ "No. 17842". The London Gazette (英語). 10 August 1822. p. 1315.
- ^ a b Fisher, David R. (1986). "CAVENDISH BENTINCK, Lord William Charles Augustus (1780-1826).". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月19日閲覧。
- ^ "Georgiana Augusta Frederica Elliott (1782–1813), Later Lady Charles Bentinck". The Metropolitan Museum of Art (英語). 2023年12月19日閲覧。
- ^ a b Major, Joanne; Murden, Sarah (31 January 2016). An Infamous Mistress: The Life, Loves and Family of the Celebrated Grace Dalrymple Elliot. Pen and Sword. Pt. 128. ISBN 978-1-4738-4484-1。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 559.
- ^ a b Lodge, Edmund, ed. (1872). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (41st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 119.
- ^ Historic England. "Houghton Hall (Grade I) (1160656)". National Heritage List for England (英語). 2023年12月19日閲覧。
- ^ "The Hall". Houghton Hall (英語). 2023年12月19日閲覧。
参考文献
編集- "No. 16580". The London Gazette (英語). 3 March 1812. p. 425.
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Mr George Cholmondeley
- ジョージ・チャムリー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ジョージ・チャムリーの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
公職 | ||
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国王親衛隊隊長 1783年 |
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先代 第4代エイルズフォード伯爵 |
王室家政長官 1812年 – 1821年 |
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名誉職 | ||
先代 第3代チャムリー伯爵 |
チェシャー統監 1770年 – 1783年 |
次代 第5代スタンフォード伯爵 |
チェシャー海軍次官 1770年 – 1827年 |
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イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | チャムリー侯爵 1815年 – 1827年 |
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先代 ジョージ・チャムリー |
ニューバラ男爵 (繰上勅書により) 1770年 – 1822年 |
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イングランドの爵位 | ||
先代 ジョージ・チャムリー |
チャムリー伯爵 1770年 – 1827年 |
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