ジョン・レズリー (第10代ロシズ伯爵)
第10代ロシズ伯爵ジョン・レズリー(英語: John Leslie, 10th Earl of Rothes KT PC (Ire)、1698年? – 1767年12月10日)は、グレートブリテン王国の軍人、スコットランド貴族。50年以上イギリス陸軍に従軍して、晩年はアイルランド軍総司令官(在任:1758年 – 1767年)を務めた[1]。最終階級は陸軍大将(1765年[1])。
生涯
編集第9代ロシズ伯爵ジョン・レズリーと妻ジーン(Jean、旧姓ヘイ(Hay)、1731年9月4日没、第2代ツィードデール侯爵ジョン・ヘイの娘[2])の息子として、1698年ごろに生まれた[3][1]。
1715年ジャコバイト蜂起が勃発すると、大尉としてオーウェン・ウィン将軍の竜騎兵連隊に入隊、1717年7月17日に近衛歩兵第3連隊に転じた[1]。1721年1月21日に第21歩兵連隊の中佐に昇進した[1]。
1722年5月9日に父が死去すると、ロシズ伯爵位を継承、同年8月30日に父の遺産継承者として認定された[2]。父が務めていたスターリング城総督職にも任命され[3]、1741年まで務めた。世襲職のファイフ司法官(Sheriff of Fife)については1722年5月18日に辞令を受け、再任命が確定した[4]。1723年にスコットランド貴族代表議員に選出され、1727年に再選した[3]。1734年イギリス総選挙で貴族代表議員を退任したが、1747年の総選挙で再び当選、1754年、1761年に再選した[3]。
爵位継承以降も軍務を続け、1732年5月25日に第25歩兵連隊隊長(軍階は大佐)に昇進した[3]。1739年7月2日に准将に、1743年1月1日に少将に昇進[1]、同年6月16日にオーストリア継承戦争におけるデッティンゲンの戦いに参戦した[4]。1745年4月25日にホース・グレナディア・ガーズ第2中隊隊長に転じ、同年5月29日に第6竜騎兵連隊隊長に転じた[4]。その後、1746年10月のロクールの戦いでは騎兵を率いて突撃した[3]。同年、ファイフ統監に任命された[1]。1747年8月5日に中将に昇進[1]、1750年1月16日に第2竜騎兵連隊隊長に任命され、同年4月に近衛歩兵第3連隊隊長に任命された[3]。1753年3月3日、シッスル勲章を授与された[3]。
スコットランド世襲的司法権廃止法により1747年にファイフ司法官(Sheriff of Fife)の世襲権を放棄、補償金に1万ポンドを主張したが最終的には6,268ポンド16シリングを受け取った[3]。
1751年よりアイルランド駐留になり、1754年にダンキャノン砦総督に、1756年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に、1758年にアイルランド軍総司令官に任命された[1]。1765年3月19日、陸軍大将に昇進した[1]。
1763年6月8日、エディンバラの市民権(Freedom of the City)を得た[1]。
1763年12月25日に邸宅のレズリー・ハウス(Leslie House)が火事で全焼し[5]、その再建の資金を捻出するためにバリンブライの男爵領を2万ポンドで初代準男爵サー・ローレンス・ダンダスに売却した[6]。
1767年12月10日にレズリー・ハウスで死去[3]、17日にファイフのレズリーで埋葬された[1]。長男ジョンが爵位を継承した[2]。
家族
編集1741年3月23日にハンナ・ハワード(Hannah Howard、1761年4月26日にダブリンにて没、マシュー・ハンナの娘)と婚約、5月25日にロンドンで正式に結婚した[2]。2人は2男2女をもうけた[2]。
- ジョン(1744年10月19日 – 1773年7月18日) - 第11代ロシズ伯爵[2]
- チャールズ(1747年ごろ – 1762年8月18日)
- ジェーン・エリザベス(1750年5月5日 – 1810年6月2日) - 第12代ロシズ女伯爵
- メアリー(1753年8月29日 – 1799年3月21日) - 1770年11月5日、第3代ポートモア伯爵ウィリアム・コリヤーと結婚、子供あり
1763年6月27日、ティニンガムでメアリー・ロイド(Mary Lloyd、1743年[1] – 1820年1月14日、グレシャム・ロイドの娘)と再婚した[2]。2人の間に子供はいなかった[7]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m Paton, Henry; Spain, Jonathan (23 September 2004). "Leslie, John, tenth earl of Rothes". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/16497。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ a b c d e f g Paul, James Balfour, Sir, ed. (1910). The Scots Peerage (英語). Vol. VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 304–306.
- ^ a b c d e f g h i j Paton, Henry (1893). Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 33. London: Smith, Elder & Co. pp. 104–105. . In
- ^ a b c Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). Vol. II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 129.
- ^ Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). Vol. II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 130.
- ^ Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). Vol. II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 134.
- ^ Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). Vol. II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 137.
関連図書
編集- Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 23 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 757–758.
外部リンク
編集軍職 | ||
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先代 ロシズ伯爵 |
スターリング城総督 1722年 – 1741年 |
次代 ラウドン伯爵 |
先代 ジョン・ミドルトン |
ロシズ伯爵の歩兵連隊隊長 1732年 – 1745年 |
次代 センピル卿 |
先代 ティローリー男爵 |
ホース・グレナディア・ガーズ第2中隊隊長 1745年 |
次代 ピーターシャム子爵 |
先代 ステア伯爵 |
第6竜騎兵連隊隊長 1745年 – 1750年 |
次代 ジェームズ・チャムリー閣下 |
先代 クロフォード伯爵 |
第2竜騎兵連隊隊長 1750年 – 1752年 |
次代 ジョン・キャンベル・オブ・マモア |
先代 ダンモア伯爵 |
近衛歩兵第3連隊隊長 1752年 – 1767年 |
次代 グロスター=エディンバラ公爵 |
先代 ジャーヴァス・パーカー |
ダンキャノン砦総督 1754年 – 1767年 |
次代 ロバート・バーティー卿 |
先代 モールズワース子爵 |
アイルランド軍総司令官 1758年 – 1767年 |
次代 ウィリアム・ケッペル閣下 |
スコットランドの爵位 | ||
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