ジョン・ステュアート (第12代マリ伯爵)
第12代マリ伯爵ジョン・ステュアート(英語: John Stuart, 12th Earl of Moray、1797年1月25日 – 1867年11月8日)は、イギリスの貴族。
生涯
編集第10代マリ伯爵フランシス・ステュアートと1人目の妻ルーシー・スコット(Lucy Scott、1798年8月3日没、ジョン・スコットの次女)の次男として、1797年1月25日にエディンバラで生まれた[1][2]。
1815年、ワーテルローの戦い(6月18日)の3週間後にコルネットとして第3竜騎兵連隊に入隊、1816年に中尉に昇進したが、1817年に半給になった[3]。その後、1822年に第13竜騎兵連隊に転じ、1825年に半給の大尉に昇進、以降死去まで大尉に留まった[3]。
1825年2月、首相リヴァプール伯爵の推薦でニューポート選挙区から出馬して庶民院議員に当選したが、会議に出席しないことが多く、発言の記録もなく、わずか2、3回投票した記録しかなかった[3]。1826年イギリス総選挙には出馬せず議員を退任した[3]。
1859年5月6日に兄フランシスが死去すると、マリ伯爵の爵位を継承した[1]。
1867年11月8日にドゥーンで死去[3]、生涯未婚だったため異母弟アーチボルド・ジョージが爵位を継承した[1]。
脚注
編集- ^ a b c Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1422–1423.
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 364–365.
- ^ a b c d e Salmon, Philip; Fisher, David R. (2009). "STUART, Hon. John (1797-1867), of Cambus Wallace, Doune, Perth.". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月18日閲覧。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 サー・レオナード・ウォースリー=ホームズ準男爵 チャールズ・ダンコンブ |
庶民院議員(ニューポート選挙区選出) 1825年 – 1826年 同職:チャールズ・ダンコンブ |
次代 ジョージ・カニング ウィリアム・ヘンリー・ジョン・スコット |
スコットランドの爵位 | ||
先代 フランシス・ステュアート |
マリ伯爵 1859年 – 1867年 |
次代 アーチボルド・ジョージ・ステュアート |