ジョゼフィーヌ・ド・ロレーヌ
マリー・ジョゼフィーヌ・テレーズ・ド・ロレーヌ(Marie Joséphine Thérèse de Lorraine, 1753年8月26日 - 1797年2月8日)は、ブルボン朝末期フランスの貴族女性。
ジョゼフィーヌ・ド・ロレーヌ Joséphine de Lorraine | |
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カリニャーノ公妃ジョゼフィーヌ、E・L・ヴィジェ=ルブラン画 | |
称号 | カリニャーノ公妃 |
出生 |
1753年8月26日 |
死去 |
1797年2月8日(43歳没) サルデーニャ王国、トリノ、パラッツォ・カリニャーノ |
埋葬 | サルデーニャ王国、トリノ大聖堂 → スペルガ大聖堂 |
配偶者 | カリニャーノ公ヴィットーリオ・アメデーオ2世 |
子女 | カルロ・エマヌエーレ |
家名 | ギーズ家 |
父親 | ブリオンヌ伯ルイ・シャルル |
母親 | ルイーズ・ド・ロアン |
生涯
編集フランス宮廷の王室主馬頭を務めたブリオンヌ伯ルイ・シャルルと、その3番目の妻ルイーズ・ド・ロアンの間の第2子・長女。1768年10月18日ウルクスにてカリニャーノ公ヴィットーリオ・アメデーオ2世と結婚[1]。夫の大勢いる妹の一人はランバル公妃マリー・ルイーズであった。1770年、一人息子カルロ・エマヌエーレ(1770年 - 1800年)を出産。1780年夫と死別した。1797年トリノのパラッツォ・カリニャーノで死去。遺骸は当初トリノ大聖堂に葬られたが、1816年スペルガ大聖堂内のサヴォイア王家墓所に改葬された。
引用・脚注
編集- ^ van de Pas, Leo. “Josefa Princesse de Lorraine-Brionne”. Genealogics .org. 2010年9月1日閲覧。