ジェルトリュード・ダルザス
ジェルトリュード・ダルザス(フランス語:Gertrude d'Alsace[1], 1135年 - 1186年)は、サヴォイア伯ウンベルト3世の妃、のちユーグ3世・ドワジーと再婚した。
ジェルトリュード・ダルザス Gertrude d'Alsace | |
---|---|
死去 |
1175/86年 |
配偶者 | サヴォイア伯ウンベルト3世 |
ユーグ3世・ドワジー | |
家名 | ロレーヌ家 |
父親 | フランドル伯ティエリー・ダルザス |
母親 | シビーユ・ダンジュー |
生涯
編集ジェルトリュードはフランドル伯ティエリー・ダルザスとその2番目の妃シビーユ・ダンジューの次女として生まれた。正確な生年月日は不明である。
最初の結婚
編集ジェルトリュードは1155年または1157年にサヴォイア伯ウンベルト3世の2番目の妃となった[2][3]。
しかし、2人の間に子供が生まれなかったため結婚は解消された[3][4]。その2年後、ウンベルト3世は家臣から圧力を受け、クレメンティア・フォン・ツェーリンゲンと3度目の結婚をした[3][4]。
2度目の結婚
編集ジェルトリュードはモー子爵ユーグ3世・ドワジーと再婚した[5]。この結婚により、ジェルトリュードの兄マチューが死去し、長兄フランドル伯フィリップが庶子ティエリーを除いて他に男子相続人がいないまま死去した場合、ユーグ3世がフランドル伯位の継承者となった。しかしこの結婚は近親婚であったため解消された。フランドル伯フィリップが死去した後、フランドル伯位はジェルトリュードの姉マルグリットが継承した。
ジェルトリュードは1175年ごろにカンブレーの城代(châtelaine)として印章に記されている[6]。
晩年
編集ジェルトリュードは2度目の離婚の後、現在のパ=ド=カレーにあったメシーヌ修道院の修道女となった。没年に関しては諸説あるが、1175年、1182年あるいは1186年とされている[4]。
脚注
編集- ^ Guichenon 1660, p. 380.
- ^ Marchandisse 1998.
- ^ a b c Prieur & Vulliez 1999, pp. 81–82.
- ^ a b c Palluel-Guillard 2005, p. 11.
- ^ Duthillœul & Duthillœul 1835, p. 381.
- ^ Bony 2002, p. 89.
参考文献
編集- Guichenon, Samuel (1660). Histoire généalogique de la royale maison de Savoie
- Marchandisse, Alain (1998). La fonction épiscopale à Liège aux xiiie et xive siècles : étude de politologie historique. Genève: Librairie Droz, 595 p.
- Prieur, Jean; Vulliez, Hyacinthe (1999). Saints et saintes de Savoie. La Fontaine de Siloé, 191 p.
- Duthillœul, H. R.; Duthillœul, Romain-Hippolyte (1835). Petites histoires des pays de Flandre et d'Artois. Foucart
- Bony, Pierre (2002). Un siècle de sceaux figurés, 1135-1235 : le sceau image de la personne en France d'Oïl, Angleterre, Ecosse et pays de Lorraine : essai de classement chronologique des sceaux figurés des rois, seigneurs, femmes, dignitaires et communautés ecclésiastiques. Léopard d'or, 185 p.
- Palluel-Guillard, André (2005). La maison de Savoie. Editions Le Dauphiné Libéré