シャムスッディーン・カユーマルス
シャムスッディーン・カユーマルス[1](Shamsuddin Kayumars, 1287年 - 1290年?)は、北インドのデリー・スルターン朝、奴隷王朝の第11代(最後)君主(在位:1290年)。
シャムスッディーン・カユーマルス | |
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奴隷王朝第11代君主 | |
シャムスッディーン・カユーマルスのコイン | |
在位 | 1290年 |
出生 |
1287年 |
死去 |
1290年? |
王朝 | 奴隷王朝 |
父親 | ムイズッディーン・カイクバード |
生涯
編集1290年、父ムイズッディーン・カイクバードが貴族らに退位させられると、ハーレムにいたその3歳の息子であるカユーマルスが「シャムスッディーン」の尊称(ラカブ)の下に即位した[2]。貴族らはすぐさまその名を刻んだ貨幣を鋳造して、当時勢力を伸ばしていたハルジー族の族長ジャラールッディーン・ハルジーに対抗しようとし、王朝の存続を試みた[2]。
しかし、同年にジャラールッディーンはデリーの宮殿を先制攻撃し、カユーマルスは捕えられ、すでに病床にあった父カイクバードも殺された[3]。これをもって、奴隷王朝はその終焉を迎え、新たにハルジー朝を創始された。
カユーマルスがその後どうなったのかは不明であるが、のちの記録にその名が見えないことから、恐らく父とともに殺害されたと考えられる。
脚注
編集参考文献
編集- 荒松雄『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』未来社、2006年。
- フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。