コラード・ファビCorrado Fabi, 1961年4月12日 - )は、イタリアミラノ出身の元レーシングドライバー。1982年のヨーロッパF2選手権チャンピオン[1]

コラード・ファビ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ミラノ
生年月日 (1961-04-12) 1961年4月12日(63歳)
F1での経歴
活動時期 1983-1984
所属チーム '83 オゼッラ
'84 ブラバム
出走回数 18 (12スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1983年ブラジルGP
最終戦 1984年ダラスGP
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F1ドライバーのテオ・ファビは実兄。

経歴

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カートキャリア

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ファビ家はベビーパウダー生産工場を経営しており、父はその傍らアバルトでレースに参戦するアマチュアレース愛好家だった。兄・テオは少年時代にスキーの選抜選手として活躍していたため、兄が出場するスキー大会を応援に行った山でコラードは退屈してしまい、たまたま近くあったゴーカート場で時間をつぶしているとそれに夢中になった。それを知った父はコラードにレーシングカートをプレゼントしたため、まずカートを開始したのはコラードだった。

1973年、12歳で本格的にレーシングカートでレース活動を開始すると才能が開花。1975年、14歳でカートコンストラクター・ビレルのワークスレーサーとなった。1977年のFIA世界カート選手権では、100ccシニアクラスで総合4位となる。なお、同選手権での5位はアンドレア・デ・チェザリス、7位はゲオルグ・ベロフ(ステファン・ベロフの兄)、8位はクルト・ティームであった。このころになると兄のテオもレースに興味を持ち始めており、ツーリングカーレースでレースデビューしたあと、1977年よりフォーミュラ3へのスポット参戦を始めた[2]

フォーミュラ3

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1979年、カートレース参戦を続けていたコラードも18歳になるとフォーミュラカーへステップアップし、マーチ・783でイタリアF3選手権に参戦。イタリアF3ではいくつかの好成績を挙げ、1980年のヨーロッパF3選手権にはユーロレーシングのF3チームに誘われ加入、チームメイトはミケーレ・アルボレートとのコンビとなった。同年のヨーロッパ選手権では第5戦以降表彰台の常連となり、アルボレートやティエリー・ブーツェンとチャンピオン争いを展開する。結果、シーズン2勝を挙げてランキング3位を獲得した。

フォーミュラ2

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1981年ヨーロッパF2選手権にステップアップ。マーチ陣営の一翼として第5戦ムジェロでF2初優勝、第9戦ドニントン・パークで2位獲得など、F2初年度をランキング5位と堅調な結果を残す。

1982年には13戦中5勝をマーク、最終戦での勝利によってジョニー・チェコットを逆転、ブーツェン、ベロフ、ステファン・ヨハンソンジョナサン・パーマーマイク・サックウェルアレッサンドロ・ナニーニなど並みいるF1予備軍のドライバーを破りシリーズチャンピオンに輝いた。

フォーミュラ1

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コラード・ファビ(1984年ダラスグランプリ

1983年開幕戦ブラジルGPにてイタリアの小規模チームであるオゼッラからF1デビュー。チームメイトはピエルカルロ・ギンザーニアルファロメオ製V12エンジン搭載とオール・イタリアン体制でのF1参戦であったが、資金不足のためニューマシンはギンザーニの乗る1台しか用意できず、ファビは旧型マシンであるフォードDFVエンジン搭載車FA1Dを第8戦カナダGPまで使い続けた。マシンの戦闘力も低かったため予選落ちを6回喫するなど結果を残せなかったが、レースでは(第11戦オーストリアGPなど)ギンザーニを上まわる走りを見せた。

1984年は兄テオがCARTシリーズとF1の日程が被る際に代役としてブラバムからF1参戦。第9戦ダラスGPでは自己最高の7位完走するが、結局このグランプリが最後のF1出走となった。同年後半はフォーサイス・レーシングからCARTシリーズに参戦するが、この年に父親が急逝する。このためコラードは家業のタルカムパウダー事業を継ぐことを決意し、兄より先にレーサーを引退。経営者へ転身した[3]

1987年に一時復帰し、国際F3000選手権にスポット参戦した。

レース成績

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ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 Pos. Pts
1980年 ユーロレーシング マーチ・803 アルファロメオ NÜR
6
ÖST
4
ZOL
Ret
MAG
Ret
ZAN
3
LAC
2
MUG
1
MNZ
3
MIS
2
KNU
1
SIL
15
JAR
5
KAS
2
ZOL
8
3位 50

ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権

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チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1981年 マルボーロ ロロイル・レーシング マーチ・812 BMW・M12/7 SIL
3
HOC
Ret
THR
Ret
NÜR
3
VLL
4
MUG
1
PAU
Ret
PER
Ret
SPA
4
DON
2
MIS
Ret
MAN
7
5位 29
1982年 ロロイル・レーシング マーチ・822 SIL
Ret
HOC
3
THR
Ret
NÜR
2
MUG
1
VLL
1
PAU
Ret
SPA
5
HOC
1
DON
1
MAN
Ret
PER
Ret
MIS
1
1位 57

フォーミュラ1

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所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1983年 オゼッラ FA1D BRA
Ret
USW
DNQ
FRA
Ret
SMR
Ret
MON
DNQ
BEL
Ret
DET
DNQ
CAN
Ret
NC
(27位)
0
FA1E GBR
DNQ
GER
DNQ
AUT
10
NED
11
ITA
Ret
EUR
DNQ
RSA
Ret
1984年 MRD インターナショナル (ブラバム) BT53 BRA RSA BEL SMR FRA MON
Ret
CAN
Ret
DET DAL
7
GBR GER AUT NED ITA EUR POR NC
(24位)
0

(key)

CART PPGインディカーワールドシリーズ

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チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 Pts
1984年 フォーサイス・レーシング ローラ・T800 フォード・コスワース・DFX V8t LBH PHX INDY MIL POR MEA CLE MCH ROA POC MDO
25
SAN
10
MCH PHX
6
LS CPL
25
28位 11

国際F3000選手権

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エントラント シャーシ エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1987年 ジェノア・レーシング マーチ・87B コスワース DFV A SIL
VLL
SPA
PAU
DON
Ret
PER
DNQ
BRH
BIR
IMO
BUG JAR
NC -

脚注

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  1. ^ 1982EuropeanFormula2 RacingYears.
  2. ^ Drivers Corrado Fabi GrandPrix.com
  3. ^ #外部リンク Grandprix.com、2011年11月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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タイトル
先代
ジェフ・リース
ヨーロッパF2選手権
1982年
次代
ジョナサン・パーマー