クラウンピラード日本競走馬。1977年春秋の天皇賞で、それぞれ2着となるなどの成績を残した。半兄(異父兄)に1975年の宝塚記念優勝馬ナオキ(父サウンドトラック)がいる。

クラウンピラード
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1973年4月5日
死没 不明
ダイハード
エイトクラウン
母の父 ヒンドスタン
生国 日本の旗 日本北海道三石町
生産者 大塚牧場
馬主 桜山ホース(株)
調教師 田中康三栗東
競走成績
生涯成績 25戦4勝
獲得賞金 1億1837万7400円
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馬名について

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馬名のクラウンは、母・エイトクラウンと同じトヨタ・クラウン[1]からで、ピラードは誕生翌年に登場した5代目クラウンに加わったピラード・ハードトップからである。馬主の桜山ホースはクラウンのディーラーである愛知トヨタ自動車の創業家が運営する団体で、現在は法人名を「名古屋友豊株式会社」としている。

略歴

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1975年9月14日、デビュー戦で初勝利。7着敗退に終わった次走で骨にヒビが入り戦線離脱。翌1976年5月に復帰したが、条件戦で出走を続け9戦1勝という結果に終わる。

しかし、年明け早々に特別戦を連勝してオープンクラスに昇格すると、京都記念(春)テンポイントの3着、中京記念ホースメンホープの2着、鳴尾記念でテンポイントの3着と重賞を好走。兄・ナオキが優勝できなかった天皇賞(春)を迎えた。当日は14頭立ての12番人気というものであったが、最後の直線で体勢を乱したテンポイントに4分の3馬身差まで追い込み2着となった。その後休養に入り、秋の復帰3戦を4、2、2着として、天皇賞(秋)に出走。3番人気に支持された。第3コーナーからのトウショウボーイグリーングラスの競り合いに乗じ、クラウンピラードは最後の直線で本命2頭を内から交わした。しかし最後方待機策を採っていたホクトボーイが一気の追い込みを見せ、同馬に交わされての2着に終わった。

以降は精彩を欠き、重賞勝利のないまま、1979年天皇賞(秋)で4番人気7着となったのを最後に引退となった。 引退後は種牡馬となったが、1992年用途変更になってからの消息は不明である。

血統表

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クラウンピラード血統(ネヴァーセイダイ系(ナスルーラ系) / Vatout 4x5=9.38%、 Alcantara(Eglantine) 父内5x5=6.25%) (血統表の出典)

*ダイハード
Die Hard
1957 栗毛 イギリス
父の父
Never Say Die
1951 栗毛 アメリカ
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Singing Grass War Admiral
Boreale
父の母
Mixed Blessing
1946 栗毛 イギリス
Brumeux Teddy
La Brume
Pot-pourri Rose Prince
Sweet Lavender

エイトクラウン
1962 鹿毛 日本
*ヒンドスタン
Hindostan
1946 青毛 イギリス
Bois Roussel Vatout
Plucky Liege
Sonibai Solario
Udaipur
母の母
アルペンローザ
1951 栗毛 イギリス
Chamossaire Precipitation
Snowberry
Stargrass Noble Star
Grass Widow F-No.2-f


脚注

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  1. ^ 但し、母と伯母・トヨタクラウンの時代はトヨペット・クラウンの名称であった。

外部リンク

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