キルワ・キヴィンジェ
タンザニアの町
キルワ・キヴィンジェ(Kilwa Kivinje)は、タンザニアの都市。リンディ州キルワ県に属する。1998年当時の人口は約10,000人[1]。
キルワ・キヴィンジェ | |
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ドイツ植民地時代の建物 | |
南緯8度44分52秒 東経39度24分48秒 / 南緯8.74778度 東経39.41333度座標: 南緯8度44分52秒 東経39度24分48秒 / 南緯8.74778度 東経39.41333度 | |
国 | タンザニア |
州 | リンディ州 |
県 | キルワ県 |
等時帯 | UTC+3 (東アフリカ時間) |
キルワ・キヴィンジェはダルエスサラームの南216km、リンディの北145kmに位置する[1]。キルワ島対岸の町キルワ・マソコから北に25km離れた場所にあり[2]、マタンドゥ河口南岸に臨む。コプラ、綿花、トウモロコシが主要な農産物となっている[1]。
18世紀後半から19世紀にかけて、キルワ・キヴィンジェはニャサ湖方面からキャラバンによって運ばれる象牙と奴隷の終着地となり、それらの商品はモーリシャスやザンジバルに輸出された[2]。イギリスによって奴隷貿易が禁止された後、町は次第に廃れていった[2]。1886年にドイツの行政府が設置され、アブシリの反乱、マジ・マジ反乱、第一次世界大戦ではキルワ・キヴィンジェでも戦闘が発生した。20世紀半ばまでキルワ・キヴィンジェには県庁所在地が置かれていたが、タンザニアの独立後はキルワ・マソコが県の行政の中心となる。
ドイツの大砲、植民地時代の病院がキルワ・キヴィンジェに残されている。しかし、かつての目抜き通りに建てられた建築物の多くは崩壊寸前の状態になっている[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 加藤正彦「キルワキヴィンジェ」『世界地名大事典』3収録(朝倉書店, 2012年11月)
- 栗田和明、根本利通編著『タンザニアを知るための60章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2006年7月)
- 栗田和明、根本利通編著『タンザニアを知るための60章』第2版(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2015年4月)