ガストン・ガウディオGastón Gaudio, 1978年12月9日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の男子プロテニス選手。El Gato(エル・ガト、スペイン語で「猫」の意味)というニックネームを持っている。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。シングルス自己最高ランキングは5位。ATPツアーでシングルス8勝、ダブルス3勝を挙げた。

ガストン・ガウディオ
Gastón Gaudio
ガストン・ガウディオ
基本情報
フルネーム Gastón Norberto Gaudio
愛称 エル・ガト
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
出身地 同・ブエノスアイレス
生年月日 (1978-12-09) 1978年12月9日(46歳)
身長 175cm
体重 70kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1996年
引退年 2011年
ツアー通算 11勝
シングルス 8勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 296勝235敗
シングルス 270勝196敗
ダブルス 26勝39敗
生涯獲得賞金 $6,066,156
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2002・05・06)
全仏 優勝(2004)
全英 2回戦(2002・06)
全米 3回戦(2002・06)
優勝回数 1(仏1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2004)
全仏 3回戦(2004)
全米 1回戦(2003・04)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 5位(2005年4月25日)
ダブルス 78位(2004年6月14日)

2004年全仏オープン男子シングルスにて当時世界ランキング44位でありながら優勝を果たした。2005年最終戦テニス・マスターズ・カップベスト4。

選手経歴

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6歳からテニスを始め、成長期にはテニスと並んでサッカーにも親しんだ。1996年にプロ入り。2000年9月のシドニー五輪に出場したが1回戦で敗退している。

2002年4月、バルセロナ・オープンマヨルカ・オープンで2週連続優勝を果たす。バルセロナ・オープンでは準決勝で第1シードのレイトン・ヒューイットを破り、決勝でアルベルト・コスタを破ってツアー初優勝を決めた。翌週のマヨルカ・オープンでは準々決勝でグスタボ・クエルテンを破った後、決勝でヤルコ・ニエミネンを破り、2週連続優勝を飾った。しかし、ガウディオはその後2004年全仏オープンまで2年間シングルスの優勝がなかった。

2004年全仏オープンで、ガウディオはノーシード選手であったが、準々決勝でレイトン・ヒューイット、準決勝でダビド・ナルバンディアンを破って決勝に進んだ。準決勝のナルバンディアン戦に続き、決勝もギリェルモ・コリアとのアルゼンチン対決になった。最初の2セットを0-6, 3-6で落とし、コリアの優勝まであと1セットから、ガウディオは反撃を開始、第3,4セットを6-4, 6-1で奪うと、最終第5セットでもコリアのチャンピオンシップ・ポイント(優勝が決まるポイント)を何本もしのぎ、8-6で取って全仏オープン初優勝を決めた。この年はダブルスでも、同じアルゼンチンフアン・イグナシオ・チェラと組んだ優勝が2つあった。

全仏優勝の翌年、ガウディオは2005年に男子ツアーで自己最高成績のシングルス年間5勝を挙げたが、大会前年優勝者として臨んだ全仏オープンでは4回戦でダビド・フェレールに6-2, 4-6, 6-7, 7-5, 4-6のフルセットで敗れた。2006年はシングルスの優勝はなかったが、ダブルスでマックス・ミルヌイと組んだ優勝が1つある。2007年以降は足首の怪我に悩まされておりランキングも下降、2008年9月にはついにATPランクを失っている。

2010年全仏オープンでは6年前の優勝者が予選で敗退するという屈辱を味わった。2010年8月にオーストリアのチャレンジャー大会に出場したのが最後になり、2011年8月、アルゼンチンのテレビ番組で引退を正式に発表した[1]

ガウディオのシングルス16回、ダブルス3回の決勝進出は全てクレーコートの大会である。

ATPツアー決勝進出結果

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シングルス: 16回 (8勝8敗)

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大会グレード
グランドスラム (1-0)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (2-5)
ATPインターナショナルシリーズ (5–3)
サーフェス別タイトル
ハード (0-0)
クレー (8-8)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2000年7月17日   シュトゥットガルト クレー   フランコ・スキラーリ 2–6, 6–3, 6–4, 4–6, 2–6
準優勝 2. 2001年2月12日   ビニャ・デル・マール クレー   ギリェルモ・コリア 6–4, 2–6, 5–7
優勝 1. 2002年4月22日   バルセロナ クレー   アルベルト・コスタ 6–4, 6–0, 6–2
優勝 2. 2002年4月29日   マヨルカ クレー   ヤルコ・ニエミネン 6–2, 6–3
準優勝 3. 2002年7月15日   グシュタード クレー   アレックス・コレチャ 3–6, 6–7(3–7), 6–7(3–7)
準優勝 4. 2004年5月2日   バルセロナ クレー   トミー・ロブレド 3–6, 6–4, 2–6, 6–3, 3–6
優勝 3. 2004年5月24日   全仏オープン クレー   ギリェルモ・コリア 0–6, 3–6, 6–4, 6–1, 8–6
準優勝 5. 2004年7月5日   ボースタード クレー   マリアノ・サバレタ 1–6, 6–4, 6–7
準優勝 6. 2004年7月12日   シュトゥットガルト クレー   ギリェルモ・カナス 7–5, 2–6, 0–6, 6–1, 3–6
準優勝 7. 2004年7月25日   キッツビュール クレー   ニコラス・マスー 6–7(3–7), 4–6
優勝 4. 2005年1月31日   ビニャ・デル・マール クレー   フェルナンド・ゴンサレス 6–3, 6–4
優勝 5. 2005年2月7日   ブエノスアイレス クレー   マリアノ・プエルタ 6–4, 6–4
優勝 6. 2005年5月1日   エストリル クレー   トミー・ロブレド 6–1, 2–6, 6–1
優勝 7. 2005年7月4日   グシュタード クレー   スタニスラス・ワウリンカ 6–4, 6–4
準優勝 8. 2005年7月24日   シュトゥットガルト クレー   ラファエル・ナダル 6–3, 6–3, 6–4
優勝 8. 2005年7月31日   キッツビュール クレー   フェルナンド・ベルダスコ 2–6, 6–2, 6–4, 6–4

ダブルス: 3回 (3勝0敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2004年2月15日   ビニャ・デル・マール クレー   フアン・イグナシオ・チェラ   ニコラス・ラペンティ
  マルティン・ロドリゲス
7–6(7–2), 7–6(7–3)
優勝 2. 2004年4月18日   エストリル クレー   フアン・イグナシオ・チェラ   フランティシェク・チェルマク
  レオシュ・フリエドル
6–2, 6–1
優勝 3. 2006年7月24日   シュトゥットガルト クレー   マックス・ミルヌイ   イブ・アレグロ
  ロベルト・リンドステット
7–5, 6–7(4–7), [12-10]

4大大会優勝

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大会 対戦相手 試合結果
2004年 全仏オープン   ギリェルモ・コリア 0-6, 3-6, 6-4, 6-1, 8-6

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 通算成績
全豪オープン A A A 1R 1R 3R 2R 2R 3R 3R 1R A A A 8–8
全仏オープン A A 3R 2R 1R 4R 3R W 4R 4R 2R A 1R LQ 21–9
ウィンブルドン LQ LQ 1R 1R 1R 2R 1R A A 2R A A A A 2–6
全米オープン A A 1R 1R 1R 3R 1R 2R 1R 3R A A LQ A 5–8

: 2005年全仏2回戦の不戦勝は通算成績に含まない

脚注

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外部リンク

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