カーム・バフシュ
カーム・バフシュ(Kam Bakhsh, 1667年3月6日 - 1709年1月14日)は、北インド、ムガル帝国の第6代皇帝アウラングゼーブの皇子。母はウダイプリー・マハル。
カーム・バフシュ Kam Bakhsh | |
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ムガル帝国皇子 | |
カーム・バフシュ | |
全名 | ムハンマド・カーム・バフシュ |
出生 |
1667年3月6日 デリー |
死去 |
1709年1月14日 ハイダラーバード |
配偶者 | ジャミーラトゥンニサー・ベーグム |
アーザム・バーヌー・ベーグム | |
ファキーレ・ジャハーン・ハーヌム | |
ほか2名 | |
子女 | 6人の息子と2人の娘 |
父親 | アウラングゼーブ |
母親 | ウダイプリー・マハル |
生涯
編集1667年3月6日、ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブの5男として生まれた[1]。母はダーラー・シコーの元妃であったウダイプリー・マハルである。
1698年12月から1699年6月まで、カーム・バフシュは不正を行ったとして、父アウラングゼーブの命により投獄されていた[1]。
1707年2月16日、カーム・バフシュはビジャープル太守に任命され、ハイダラーバードへと移った[1]。
同年3月3日、父アウラングゼーブが死亡し、兄ムアッザムがバハードゥル・シャー1世の名の下に即位すると、カーム・バフシュもこれに対抗して皇帝(パードシャー)を号した[1]。
しかし、1709年1月13日にカーム・バフシュはハイダラーバードでバハードゥル・シャー1世の軍勢に敗北して重傷を負い(ハイダラーバードの戦い)、翌14日に死亡した[1]。