カテリーナ・ボルピチェルリ

カテリーナ・ボルピチェルリ(イタリア語Caterina Volpicelli、1839年1月21日 - 1894年12月28日)は、イタリアの修道女であり、「イエスの聖心侍女会」(Ancelle del Sacro Cuore di Gesù)の創立者である。2001年、教皇聖ヨハネパウロ2世により列福 され、ベネディクト16世により2009年4月26日に列聖された。

聖カテリーナ・ボルピチェルリ
修道女
生誕 1839年1月21日
ナポリナポリ
死没 1894年12月28日
ナポリ, イタリア
崇敬する教派 カトリック教会
列福日 2001年4月29日
列福決定者 教皇聖ヨハネ・パウロ2世
列聖日 2009年4月26日
列聖場所  バチカン
列聖決定者 教皇ベネディクト16世
記念日 12月28日
象徴 ロザリオ
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伝記

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聖カテリーナ・ボルピチェルリはナポリのデ・ミケーロズ家(de Micheroux)に1839年1月21日に誕生した。デ・ミケローズ家は中流より上で、カテリーナは聖マルセリーノ王立学校で文学・語学・音楽を学んだ[1]

10代のカテリーナは、バレエと演劇脚本に心を奪われる生活を送っていた。15歳の時、ルドヴィコ神父、後の「ガゾーリアの聖ルドヴィコ」(San Ludovico da Casoria)と知り合い、イエスの聖心を崇敬することを教わり、それがカテリーナの人生の指針となった。ルドヴィコ神父の勧めに従い、カテリーナはフランシスコ会の世俗会に入り、20歳の時には修道会に入会したが、健康上の理由で修道生活を止めなければならなかった。その後もカテリーナは深く聖体を崇敬し、教会の礼拝堂でいつも長い時間祈りを捧げた[2]

その後、カテリーナの聴罪司祭がフランスの「祈祷の使徒」が毎月発行するリーフレットを彼女に見せた。これは聖心を崇敬する団体であり、このことがきっかけとなってカテリーナは数人の仲間と「祈祷の使徒」の普及に努めることとなった[1][2]

フランスに同じ目的の組織が設立され、その後にジャン·ジュール·シュヴァリエ(Jean Jules Chevalier)による新しいイエスの聖心の宣教会に集約された。 それは「聖心の世俗会」と呼ばれ 福者ルイーズ・テレーズ・ド・モンテニャック(Louise-Thérèse de Montaignac)が指導していた。動き始めたばかりのこのナポリの組織は、それ自体の独自性を出そうとしていたので、ド・モンテニャックは2つの組織に切り離すことにした。これについては ナポリの大司教シスト・リアリオ・スフォルツァ (Sisto Riario Sforza)は理解を示している。1874年に聖カテリーナの組織は、ナポリの大司教から承認を受け、「聖心の信仰深い侍女連合」 (Pia Unione delle Ancelle del Sacro Cuore)と命名された。

しかしながら、聖カテリーナは、聖座からもまた認可をもらう必要があると感じていた。 独創性とこの組織の形態の目新しさを、公的な修道者としての誓願とともに、本物の宗教的な機関と認められることを望んだ。多くの難問が起こり、敵意が、特にローマの教会権威周辺から向かってきたが、様々な難問は解決され、1890年の6月に「聖心侍女修道会の制定」(Istituto delle Ancelle del Sacro Cuore di Gesù)は司教からその確信的な模様を変えることなく「神を賛美する者たち」の布告を得た。聖カテリーナはその短い生涯を1824年12月28日に終えた。

列福

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聖カテリーナは1945年3月25日に教皇ピウス12世に尊者の宣言を受け、1999年6月28日に教皇ヨハネ・パウロ2世は 聖カテリーナの取次ぎによって奇蹟が起きたことを宣言し、彼女は2001年4月29日に列福した。2008年12月6日に、教皇ベネディクト16世は聖カテリーナの取次ぎによる奇蹟を認める宣言書に署名し、列聖の前提となる奇蹟がそろった。

聖カテリーナは2009年4月26日にローマの聖パウロ大聖堂で教皇ベネディクト16世により、列聖した。 彼女の祝日は1月22日である。彼女の飾り額が最近、生まれ故郷ナポリのアルバ通り(Alba)に30本飾られた。聖カテリーナは修道女として 女性の修道的な生活に戻る道を与えた。

脚注

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  1. ^ a b Caterina Volpicelli (1839-1894)” (英語). 2016年8月16日閲覧。 “Vatican website”
  2. ^ a b Bl. Caterina Volpicelli” (英語). 2016年8月16日閲覧。 “Catholic Online”

外部リンク

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