エルジー・クリスラー・シーガー
エルジー・クリスラー・シーガー(英語: Elzie Crisler Segar, 1894年12月8日 - 1938年10月13日、E・C・シーガーとも)はアメリカ合衆国の漫画家である。「ポパイ」の作者として知られる。
エルジー・クリスラー・シーガー | |
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生誕 |
1894年12月8日 アメリカ合衆国 イリノイ州チェスター |
死没 |
1938年10月13日(43歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタモニカ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1916年 - 1938年 |
代表作 |
『シンブル・シアター』(ポパイ) 『サッポ』 |
来歴
編集前半生
編集ミシシッピ河畔の小さな町・イリノイ州チェスターでユダヤ人家庭に生まれ育つ[1]。幼少時は便利屋の子として、住宅塗装や壁紙貼りなど、父の仕事を手伝った。その一方でドラムさばきにも定評があり、地元の劇場で映画やヴォードヴィルの伴奏を務め、遂にはチェスター・オペラ・ハウス[1]で映写技師の職を手に入れる事となる[2]。
しかし、18歳にして漫画家への転向を決心。オハイオ州クリーブランドのW・L・エヴァンズから、漫画についての遠隔教育を受ける[2]。仕事が終わってからというもの、午前3時まで漫画家修行に精を出したという。
漫画家デビュー
編集『イエロー・キッド』や『バスター・ブラウン』の作者である、リチャード・F・アウトコールトと出会ったシカゴに転居。アウトコールトがシカゴ・ヘラルドを紹介した事もあり、1916年3月12日、同紙にて初の連載漫画『チャーリー・チャップリンのドタバタ喜劇』がスタート、念願の漫画家デビューを果たす。連載は1年強続いたが、次いで1917年『とんまのバリー』を連載するに至る。
1918年にはウィリアム・ランドルフ・ハースト率いるシカゴ・イブニング・アメリカンへ移籍し、『宙返り』(Looping the Loop、「the Loop」とはシカゴ中心部の意味でもある)の連載が開始。同年ミルトル・ジョンソンと結婚し、2子を儲けた。1919年10月、同年のワールドシリーズに赴き、スポーツ欄で8枚の漫画を書き上げる[3][4]。
シンブル・シアターとポパイ
編集イブニング・アメリカンの編集長であるウィリアム・カーリーは、シーガーがニューヨークでも成功し得ると踏んだため、キング・フィーチャーズへ送り込み、以後同社で長らく執筆活動を続けることとなる。1919年12月19日ニューヨーク・ジャーナルの『シンブル・シアター』にて連載を開始。オリーブ・オイルやカスター・オイル、ホラス・ハムグレイビー(連載開始直後ハム・グレイビーと改称)が登場するこの作品は、約10年にわたり人気を博す。
1929年1月、カスターがダイス島へと航海を行うため水夫を探していたところ、造船所のそばでポパイという老水夫と出会う。最初の台詞は、水兵であるかどうかを尋ねられた際に発した、「私がカウボーイに見えるかい?」であった。当初は脇役に過ぎなかったポパイも、やがては現在まで続く人気スターとなってゆく。なお、この他にシーガーが生み出した人気キャラクターとしては、J・ウェリントン・ウィンピーやジープのユージンなどがある。
サッポ
編集1920年には『ファイブ・フィフティーン』(1926年『サッポ』と改称)の連載を開始。サッポは『シンブル・シアター』日曜版の人気連載漫画となった。
晩年と死後
編集長期にわたる病気療養を経て、カリフォルニア州サンタモニカで白血病と肝臓病により死去[5]。43歳没。
死後数10年が経過した頃からリバイバル・ブームが興り、その嚆矢となったのはウッディ・ゲルマンのノスタルジア・プレスであった。ロバート・アルトマン監督のアクション映画『ポパイ』(1980年)は、シンブル・シアターでの連載を原作としており、ジュールス・フェイファーの脚本は1971年にノスタルジア・プレスが刊行した、1936年から1937年までの作品集の復刻版に基づいている[6]。2006年には『シンブル・シアター』での連載を全て網羅した、6巻組の復刻版を初めて刊行。
全国漫画家協会は1971年から1999年まで、エルジー・クリスラー・シーガー賞を制定[7]。協会のウェブサイトによると、同賞は「漫画界において独特かつ顕著な貢献を行った人物に贈られる」もので、これまでチャールズ・シュルツ、ビル・ケーン、アル・カップ、ビル・ガロ及びモート・ウォーカーが受賞している。
2012年には作家のロジャー・ラングリッジと漫画家のブルース・オゼラが、『ポパイ』の限定版をIDWより刊行。
連載作品
編集題名 | 開始年月 | 終了年月 |
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チャーリー・チャップリンのドタバタ喜劇 | 1916年3月 | 1917年4月 |
とんまのバリー | 1917年4月 | 1918年4月 |
宙返り | 1918年6月 | 1919年12月 |
シンブル・シアター(ポパイ) | 1919年12月 | 1938年10月 |
ザ・ファイブ・フィフティーン(サッポ) | 1920年12月 | 1938年10月 |
ポパイ・ピクニック
編集1977年、シーガーの郷里であるイリノイ州チェスターは、彼の栄誉を讃え公園にその名を冠した。公園には6フィートのポパイ像が設えられ、1980年以降毎年「ポパイ・ピクニック」と称して、映画祭などが行われている[8]。
2006年には、町中にシーガーが生み出したキャラクターの銅像を設置する計画にも着手[9]。ガゼボ公園にウィンピー像が建てられたのを皮切りに、2007年にオリーブ・オイルやスウィーピー、ジープの銅像がランドルフ郡庁に、2008年にはブルート像がブエナビスタ銀行の正面に完成した。この他、2009年にカスター・オイルと気まぐれ雌鶏バーナイスの銅像が、チェスター記念病院に建つ事となる。
なお、11体の銅像がシーガー生誕125周年に当たる2020年まで毎年1体ずつ完成、同年にはシーガーの胸像も建つ予定。町が発行した地図によると、以下のようになる見込み。
年 | キャラクター | 位置 |
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2010年 | シーハグ/バーナード | マクドナルド/ウォルマート |
2011年 | コール・オイル | チェスター公共図書館 |
2012年 | ならず者アリス | チェスター・センター |
2013年 | プーデック・パピー | コーエン複合ビル |
2014年 | ウォタスノズル博士 | チェスター高校 |
2015年 | ラフハウス | レイズ・ハーベスト・ハウス |
2016年 | 甥のピーピー/ポーピー/ピピー/プピー | チェスター小学校 |
2017年 | 犬のチェスター | チェスター消防署 |
2018年 | ブロゾ王 | チェスター町役場 |
2019年 | 海賊パチェイ | ミシシッピ河畔 |
2020年 | エルジー・シーガーの胸像 | 生誕地 |
脚注
編集- ^ a b Grandinetti 2004, p. 2.
- ^ a b Adam Gabbatt (2009年12月8日). “E.C. Segar, Popeye's creator, celebrated with a Google doodle”. London: Guardian 2011年5月12日閲覧。
- ^ The Early Works of E.C. Segar
- ^ The Thimble Theatre Comic Strip starring Popeye
- ^ “Ed Black's Cartoon Flashback”. Ncs-glc.com. 2011年5月12日閲覧。
- ^ Mint Condition: How Baseball Cards Became an American Obsession, pp. 125-126, Dave Jamieson, 2010, Atlantic Monthly Press, imprint of Grove/Atlantic Inc., New York, NY, ISBN 978-0-8021-1939-1
- ^ “NCS Awards”. Reuben.org (1965年9月22日). 2011年5月12日閲覧。
- ^ “City of Chester, Illinois .::. Home of Popeye - Segar Park”. Chesterill.com. 2011年5月12日閲覧。
- ^ “City of Chester, Illinois: Popeye Character Trail”. Chesterill.com. 2013年8月21日閲覧。
参考文献
編集- Grandinetti, Fred (2004). Popeye: An Illustrated Cultural History. McFarland. ISBN 978-0-7864-1605-9 2012年6月24日閲覧。
- Blackbeard, Bill. Marschall, Richard. ed. “E. C. Segar's Knockabouts of 1925 (and low blows before and after): The Unknown Thimble Theatre Period”. Nemo (Fantagraphics Books) (3): 6–25.