エドモン・ジュオー
エドモン・ジュオー(Edmond Jouhaud, 1905年4月2日 - 1995年9月4日)は、フランス領アルジェリアのオラン近郊のブースフェールに生まれた。フランス空軍軍人であり、将軍達の反乱の首謀者の一人。
エドモン・ジュオー Edmond Jouhaud | |
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生誕 |
1905年4月2日 フランス領アルジェリア、オラン |
死没 |
1995年9月4日(90歳没) フランス、シャラント=マリティーム県 ロワイヤン |
所属組織 | フランス空軍 |
軍歴 | 1926 - 1960 |
最終階級 | 空軍大将 |
指揮 |
第4空軍管区司令官 極東航空師団長 |
戦闘 |
第二次世界大戦 インドシナ戦争 アルジェリア戦争 |
除隊後 | OAS |
経歴
編集サン・シール陸軍士官学校に1924年入学。1926年に卒業後、フランス空軍に入隊、第35航空連隊に配属される。1930年から1937年までフランス領西アフリカ(A.O.F.)で勤務し、1935年には大尉に昇進。1938年に空軍大学校への入校を許され、1939年9月3日には少佐に昇進。空軍参謀部に配属され、フランス北西部の地上防空を担当。その後、航空偵察グループの指揮を執った。1942年には空軍大臣の官房付きとなった。イギリスへの脱出を試みて失敗すると、軍事抵抗組織(O.R.A.)を率いるルヴェール将軍の指揮の下、ボルドー地方でレジスタンス活動に参加。 1944年に軍に復帰。1/36特別航空群の指揮官を経て、空軍輸送部隊の指揮官に任命。 1945年12月25日、中佐に昇進。
戦後
編集1946年8月1日、大佐に昇進。1947年には空軍参謀本部、1948年にはチュニジアの軍司令部へ異動。
1949年3月10日、空軍准将に昇進。北アフリカ駐留軍、空軍技術学校と異動。
1954年、空軍少将に昇進し、極東の空軍司令官に任命された。本国帰国後、1955年2月1日には空軍参謀本部長となる。
アルジェリア戦争
編集1956年に空軍中将に昇進、1957年にはアルジェリアに駐留する第5空軍管区の司令官となり、アルジェリア駐留フランス軍の最高司令官ラウル・サラン将軍の指揮下に入った。 1958年、空軍大将に昇進、空軍参謀総長、空軍査察総官など歴任する。 1960年10月15日、退役となる。
将軍達の反乱
編集1961年4月22日、モーリス・シャール、ラウル・サラン、アンドレ・ゼレールらと、アルジェにて反乱を起こすも失敗、逃亡する。
その後
編集1962年、反乱の失敗後、OASと合流、サランの副指揮官となる。3月25日、オランにて抵抗を指揮していたが軍に逮捕される。4月13日、高等軍事裁判所において異例の速さで死刑判決が出された。7ヵ月後、ジュオーの処刑が迫っていたが、刑の執行は中止となり、無期刑扱いとなった。1967年12月、チュール刑務所から出所。1968年7月に恩赦となる。1969年、国民戦線の前身組織である本土送還者連合会の理事長に就任。 1982年、名誉回復がなされる。