ウィーンのボンボン
『ウィーンのボンボン』(ドイツ語: Wiener Bonbons)作品307は、ヨハン・シュトラウス2世が作曲したウィンナ・ワルツ。1866年1月28日の夜、ホーフブルク宮殿内の舞踏会場「レドゥーテンザール(Redoutensaal)」で初演された。
『ウィーンのボンボン』 | |
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ドイツ語: Wiener Bonbons | |
ピアノ譜表紙(C.A.シュピーナ社出版) | |
ジャンル | ウィンナ・ワルツ |
作曲者 | ヨハン・シュトラウス2世 |
作品番号 | op.307 |
初演 | 1866年1月28日 |
楽曲解説
編集このワルツのタイトルにある「ボンボン」とは、甘味のフランスの砂糖菓子のことを指す。
1866年1月28日夜のレドゥーテンザールでの「産業協会舞踏会」において初演された[1]。この日、弟であるヨーゼフ・シュトラウスが作曲したワルツ『ドイツの挨拶』(作品191)やポルカ・マズルカ『パウリーネ』(作品190a)も同時に初演されている。これら3つの作品は、この大舞踏会の経済的なパトロンであったパウリーネ・フォン・メッテルニヒ侯爵夫人(オーストリア帝国パリ駐在大使の妻)に献呈された[1]。いずれの作品も、パリ在住の侯爵夫人パウリーネに関わりのある曲名となっている。
当時メッテルニヒ侯爵夫人は、パリ市内にドイツ病院を建設しようとしており、舞踏会は資金調達のチャリティーの目的で開かれたものだった[要出典]。シュトラウス兄弟は、翌1867年の夏に催されるパリ万国博覧会で演奏会を開こうとしており、その助力を求めるために「パリ駐在大使の妻」としてパリで影響力を示せる彼女に作品を献呈したのである[1]。ただし、この舞踏会が終わった後に、実際にパリにドイツ病院が建設されたのかどうかは分かっていない。
構成
編集序奏、5つの小ワルツ、コーダからなる。曲名にも取り入れられている「ボンボン」がもともとフランスの菓子であることもあり、全体的に垢抜けたフランス趣味の内容になっている。
第1ワルツ
ニューイヤーコンサート
編集ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートへの登場歴
開催年 | 指揮者 | 備考 |
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1955年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1958年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1963年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1967年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1978年 | ヴィリー・ボスコフスキー | |
1983年 | ロリン・マゼール | |
1998年 | ズービン・メータ | |
2010年 | ジョルジュ・プレートル | |
2024年 | クリスティアン・ティーレマン |
出典
編集参考文献
編集- 若宮由美「ヨーゼフ・シュトラウスの〈ロメオとジュリエット〉 : グノーのオペラに基づくポプリ」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第14号、埼玉学園大学、2014年12月、75-87頁、ISSN 1347-0515、NAID 120005768684。
外部リンク
編集音楽・音声外部リンク | |
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全曲を試聴する | |
Johann Strauss - Wiener Bonbons, Waltz - ズービン・メータ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。EuroArts公式YouTube「EuroArtsChannel」。 | |
Strauss Jr. Bombón de Viena. 2006.12.29 - 「ORQUESTAFILARMONIA」公式YouTube。 |