ウィリー・マギーWillie Dean McGee , 1958年11月2日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手外野手)。右投両打

ウィリー・マギー
Willie McGee
セントルイス・カージナルス アシスタントコーチ #51
2023年3月25日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1958-11-02) 1958年11月2日(66歳)
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 ドラフト1巡目
初出場 1982年5月10日
最終出場 1999年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • セントルイス・カージナルス (2018 - )

経歴

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現役時代

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後に所属することになるジャイアンツニューヨークからサンフランシスコに移転した1958年に生まれる。 1977年ドラフト会議で、ニューヨーク・ヤンキースから1巡目に指名され、入団したが、メジャー昇格は遅れ、ヤンキースのピンストライプに袖を通すことなく、1981年10月21日セントルイス・カージナルスに移籍。

1982年の開幕は3Aルイビル・レッドバーズで迎えたが、メジャー昇格を果たし5月10日に初出場。 その年はルーキーながら123試合に出場し、打率.296、4本塁打、56打点、24盗塁の活躍。新人王ロサンゼルス・ドジャーススティーブ・サックスに譲ったが、遜色ない働きをみせた。チームはその年ワールドシリーズ進出を果たす。ミルウォーキー・ブルワーズ(当時はア・リーグ所属)とのワールドシリーズ第3戦では、ワールドシリーズの歴史に残る活躍を見せた。2本塁打を打ったが、これは新人としては1939年チャーリー・ケラー1957年のトニー・クーベック(いずれもヤンキース)に次いで史上3人目。後に1996年アンドリュー・ジョーンズブレーブス)が4人目となった。そのシリーズでは、ABCのアナウンサーによって「E.T.」と名付けられた。守備でも9回裏にゴーマン・トーマスの本塁打性の当たりをキャッチする活躍。このシリーズは第7戦までもつれ込んだが、最後はカージナルスがワールドチャンピオンに輝いた。

俊足を生かしてトム・ハーオジー・スミスロニー・スミスらとともに「ホワイティ・ボール」(監督ホワイティ・ハーゾグ好みの俊足)の一員として活躍。1983年には初のオールスター出場を果たし、1984年6月23日にはサイクルヒットを達成。そして1985年には、主に二番を打ち、スイッチヒッターのナ・リーグ記録となる打率.353で首位打者のタイトルを獲得。216安打、三塁打18もリーグ1位。この年新人で110盗塁したビンス・コールマンがいたこともあり、本塁打10ながら82打点をマーク。この活躍でMVPに選ばれた。チームはワールドシリーズ出場を果たしたが、3勝1敗の優位からカンザスシティ・ロイヤルズに敗れる。

守備面でも優れ、ゴールドグラブ賞を3回獲得している。1985年にはシルバースラッガー賞も受賞した。その後も、1985年、1987年1988年にオールスターに出場。1987年には自身三度目のワールドシリーズ出場を果たすが、ミネソタ・ツインズに敗れる。

1990年8月29日に、外野手フェリックス・ホセプラス、マイナー2投手との交換で、ア・リーグのオークランド・アスレチックスに移籍。この時点ですでに最終的な規定打席に達していて、しかも.335の打率を残し、ナ・リーグでそれを上回る選手がいなかったため、メジャー史上初の「シーズン終了時点でリーグに所属していないのに首位打者」という珍事となる。アスレチックスは3年連続の地区優勝・リーグ優勝への追い込みにマギーを獲得し、ワールドシリーズ出場を果たすがシンシナティ・レッズに4連敗に終わる。

オフにフリーエージェント(FA)となって、故郷のサンフランシスコ・ジャイアンツブレット・バトラー(ドジャースにFA移籍)の後の一番打者を探していたこともあって、契約。1991年から1993年までは3割前後の活躍を見せるが、1994年は故障で45試合の出場に終わり、自由契約となる。1995年6月6日ボストン・レッドソックスと契約するがこの年も67試合の出場に終わると、1996年には古巣カージナルスに復帰。アスレチックス時代の監督トニー・ラルーサのもと、出場数は少ないものの1996年、1997年は3割をマーク。1999年を最後に現役を引退。

背番号51」は引退後一度の使用のみであり、2001年以降誰も着用しておらずカージナルスの準永久欠番となっている。

現役引退後

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2013年より、カージナルスのゼネラルマネージャー(GM)であるジョン・モゼリアクの特別補佐に就任した[1]

2018年からは、アシスタントコーチの肩書でコーチングスタッフ入りし[2]、外野守備、走塁、打撃など多部門の指導を行っている[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1982 STL 123 439 422 43 125 12 8 4 165 56 24 12 2 1 12 2 2 58 9 .296 .318 .391 .709
1983 147 631 601 75 172 22 8 5 225 75 39 8 1 3 26 2 0 98 8 .286 .314 .374 .688
1984 145 604 571 82 166 19 11 6 225 50 43 10 0 3 29 2 1 80 12 .291 .325 .394 .719
1985 152 652 612 114 216 26 18 10 308 82 56 16 1 5 34 2 0 86 3 .353 .384 .503 .887
1986 124 539 497 65 127 22 7 7 184 48 19 16 0 4 37 7 1 82 8 .256 .306 .370 .676
1987 153 652 620 76 177 37 11 11 269 105 16 4 1 5 24 5 2 90 24 .285 .312 .434 .746
1988 137 600 562 73 164 24 6 3 209 50 41 6 2 3 32 5 1 84 10 .292 .329 .372 .701
1989 58 211 199 23 47 10 2 3 70 17 8 6 0 1 10 0 1 34 2 .236 .275 .352 .627
1990 125 542 501 76 168 32 5 3 219 62 28 9 0 2 38 6 1 86 9 .335 .382 .437 .819
OAK 29 123 113 23 31 3 2 0 38 15 3 0 0 0 10 0 0 18 4 .274 .333 .336 .669
'90計 154 665 614 99 199 35 7 3 257 77 31 9 0 2 48 6 1 104 13 .324 .373 .419 .792
1991 SF 131 543 497 67 155 30 3 4 203 43 17 9 8 2 34 3 2 74 11 .312 .357 .408 .765
1992 138 510 474 56 141 20 2 1 168 36 13 4 5 1 29 3 1 88 7 .297 .339 .354 .693
1993 130 519 475 53 143 28 1 4 185 46 10 9 3 2 38 7 1 67 12 .301 .353 .389 .742
1994 45 176 156 19 44 3 0 5 62 23 3 0 1 4 15 2 0 24 8 .282 .337 .397 .734
1995 BOS 67 217 200 32 57 11 3 2 80 15 5 2 5 3 9 0 0 41 5 .285 .311 .400 .711
1996 STL 123 331 309 52 95 15 2 5 129 41 5 2 1 1 18 2 2 60 8 .307 .348 .417 .765
1997 122 323 300 29 90 19 4 3 126 38 8 2 0 1 22 2 0 59 6 .300 .347 .420 .767
1998 120 286 269 27 68 10 1 3 89 34 7 2 0 3 14 5 0 49 6 .253 .287 .331 .618
1999 132 290 271 25 68 7 0 0 75 20 7 4 0 2 17 3 0 60 5 .251 .293 .277 .570
MLB:18年 2201 8188 7649 1010 2254 350 94 79 3029 856 352 121 30 46 448 58 15 1238 157 .295 .333 .396 .729
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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内野守備


一塁(1B) 遊撃(SS)
























1987 STL - 1 1 1 0 0 1.000
1996 6 23 4 0 0 1.000 -
1998 1 2 2 0 0 1.000 -
1999 3 9 0 0 0 1.000 -
MLB 10 34 6 0 0 1.000 1 1 1 0 0 1.000
外野守備


左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1982 STL 1 0 0 0 0 ---- 116 243 5 11 1 .958 -
1983 - 145 387 7 5 1 .987 -
1984 - 141 374 9 6 4 .985 -
1985 3 0 0 0 0 ---- 146 378 10 9 2 .977 -
1986 - 121 325 8 3 0 .991 -
1987 - 152 353 8 7 1 .981 -
1988 - 135 349 10 9 0 .976 -
1989 - 47 118 2 2 0 .984 -
1990 - 118 329 10 16 3 .955 6 12 2 0 1 1.000
OAK - 28 71 1 1 1 .986 -
'90計 - 146 400 11 17 4 .960 6 12 2 0 1 1.000
1991 SF - 89 189 5 3 3 .985 48 69 0 3 0 .958
1992 - 31 66 2 0 1 1.000 90 164 9 6 1 .966
1993 - - 126 220 9 6 1 .974
1994 - - 42 76 2 1 1 .987
1995 BOS 3 2 0 0 0 1.000 27 66 5 2 1 .973 47 33 2 1 0 .972
1996 STL 35 36 1 2 0 .949 11 24 2 1 2 .963 42 58 3 2 1 .968
1997 18 15 1 0 1 1.000 18 27 1 1 1 .966 53 58 4 1 1 .984
1998 56 43 3 3 0 .939 7 8 0 2 0 .800 38 49 3 2 1 .963
1999 30 31 0 2 0 .939 19 29 1 0 1 1.000 43 43 1 1 0 .978
MLB 146 127 5 7 1 .950 1351 3336 86 78 22 .978 535 782 35 23 7 .973

タイトル

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表彰 

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脚注

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  1. ^ CARDS NAME MCGEE SPECIAL ASSISTANT TO GM”. FOX SPORTS (2013年3月6日). 2023年2月19日閲覧。
  2. ^ Jenifer Langosch (2017年10月24日). “McGee among adds to Cards' coaching staff”. MLB.com. 2023年2月19日閲覧。
  3. ^ Willie McGee - Assistant Coach | St. Louis Cardinals”. MLB.com. 2023年2月19日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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