ウィリアム・ハミルトン (第11代ハミルトン公爵)

第11代ハミルトン公爵ウィリアム・ハミルトン英語: William Hamilton, 11th Duke of Hamilton1811年2月19日 - 1863年7月8日)は、イギリスの貴族、政治家。

ウィリアム・ハミルトン
William Hamilton
第11代ハミルトン公爵
第8代ブランドン公爵
在位 1852年 - 1863年

出生 (1811-02-19) 1811年2月19日
イギリスの旗 イギリスロンドングローヴナー・プレイス英語版
死去 (1863-07-08) 1863年7月8日(52歳没)
フランスの旗 フランス帝国パリ黄金の家フランス語版
配偶者 マリー・アマーリエ・フォン・バーデン
子女 ウィリアム
チャールズ・ジョージ
メアリー・ヴィクトリア
家名 ハミルトン家
父親 第10代ハミルトン公爵アレグザンダー・ハミルトン
母親 スーザン・ベックフォード
テンプレートを表示

1819年までアンガス伯爵(Earl of Angus)、1819年から1852年までダグラス=クライズデール侯爵(Marquess of Douglas and Clydesdale)の儀礼称号を使用した。

経歴

編集

1811年2月19日、第10代ハミルトン公爵アレグザンダー・ハミルトンとその妻スーザン(ウィリアム・トマス・ベックフォードの娘)の長男としてロンドングローヴナー・プレイス英語版に生まれた[1]

イートン校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチへ進学[2]1832年11月にバチェラー・オブ・アーツの学位を取得[1]

1833年から1835年にかけてフリーメイソンスコットランド・グランドロッジ・グランドマスター英語版を務めた[1]

1843年にはバーデン大公カールナポレオン・ボナパルトの養女ステファニー・ド・ボアルネの間の娘であるマリーと結婚した[1]。ボナパルト家と縁戚関係になったことでフランス皇帝ナポレオン3世に厚遇され、主にパリで生活するようになった[2]

1846年から死去までナイト・マリスカル英語版を務めた[1]。1852年8月18日に父が死去し、第11代ハミルトン公爵位を継承し[1]貴族院議員に列した[3]。1852年から死去までラナークシャー知事英語版を務めた[1]

1863年7月8日フランスパリ黄金の家フランス語版での転倒事故で死去した[2]

栄典

編集

爵位

編集

1852年8月18日に父アレグザンダーの死により以下の爵位を継承した[1]

  • 第11代ハミルトン公爵(11th Duke of Hamilton)
    (1643年4月12日勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第8代ブランドン公爵(8th Duke of Brandon)
    (1711年9月10日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
  • 第8代ダグラス侯爵(8th Marquess of Douglas)
    (1633年6月14日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第11代クライズデール侯爵(11th Marquess of Clydesdale)
    (1643年4月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第18代アンガス伯爵英語版(18th Earl of Angus)
    (1389年4月9日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第10代ラナーク伯爵(10th Earl of Lanark)
    (1639年3月31日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第11代アラン=ケンブリッジ伯爵(11th Earl of Arran and Cambridge)
    (1643年4月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第8代アバーネシー=ジェドバラ・フォレスト卿(8th Lord Abernethy and Jedburgh Forest)
    (1633年6月14日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第10代マッカンジリー=ポルモント卿(10th Lord Machanshire and Polmont)
    (1639年3月31日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • 第11代エイヴェン=インナーデール卿(11th Lord Aven and Innerdale)
    (1643年4月12日の勅許状によるスコットランド貴族爵位)
  • チェスターのパラティン州におけるダットンの第8代ダットン男爵(8th Baron Dutton, of Dutton in the County Palatine of Chester)
    (1711年9月10日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

家族

編集

1843年バーデン大公カールナポレオン・ボナパルトの養女ステファニー・ド・ボアルネの間の娘であるマリーと結婚し、彼女との間に以下の3子を儲けた[1]

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ a b c d e f g h i Lundy, Darryl. “William Alexander Anthony Archibald Hamilton, 11th Duke of Hamilton” (英語). thepeerage.com. 2015年9月6日閲覧。
  2. ^ a b c "Douglas, William Alexander Anthony Archibald" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  3. ^ UK Parliament. “Mr William Hamilton” (英語). HANSARD 1803–2005. 2015年9月5日閲覧。

外部リンク

編集
フリーメイソン
先代
第12代バカン伯爵
スコットランド・グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1833年 – 1835年
次代
フィンキャッスル子爵
名誉職
先代
第18代エロル伯爵
ナイト・マリスカル英語版
1846年 – 1863年
空位
先代
第10代ハミルトン公爵
ラナークシャー知事英語版
1852年 – 1863年
次代
第8代ベルヘヴン=ステントン卿英語版
スコットランドの爵位
先代
アレグザンダー・ハミルトン
第11代ハミルトン公爵
1852年 – 1863年
次代
ウィリアム・ダグラス=ハミルトン